天使と悪魔の未練晴らし
宮草はつか
第1話 未練を晴らそう
晴れた日の昼下がり。
オレはとある田舎町の一軒家に、呼び鈴を鳴らさずに入り込んだ。
姿は見えないだろうけど、音を立てないように。忍び足で玄関を上がり、廊下を進む。
「ここを右に曲がって真っ直ぐ行ってくれ。きっと今の時間は寝室で昼寝してるはずだから」
「わかりました」
肩の上から掛かる声に
スルスルと引き戸を開けると、一人のおばあさんが布団の上ですやすやと寝息を立てていた。オレは戸を静かに閉めて、抜き足差し足と枕元へ進む。ここで起こしたら、夜まで待たないといけない。慎重に
小さな力を使い、ゆっくりと手を離した。
「準備オッケーです。三分間だけお話ができますからね」
オレは小声で肩の上に乗る青年に言った。乗っていると言っても、実体はないから重さは感じない。彼はうんと首を縦に振って、オレから離れた。
オレは部屋の隅へ移動し、目立たないように正座する。
青年が緊張した面持ちで、おばあさんの枕元に座った。
「ばーちゃん。なぁ、ばーちゃん」
「うぅん……」
青年は布団の上で寝ているおばあさんを揺すり起こす。
おばあさんは目を覚まして、寝ぼけ眼で頭の上にいる彼を見た。
「だれだい?」
「俺だよ、俺」
「おれ……?」
おばあさんがそう言って、二、三度目をぱちくりさせる。
次の瞬間、その目をカッと大きく見開き、布団から飛び起きた。
「ま、まさかオレオレ詐欺かい!? あたしゃそんなのには引っかからないよ! 息子と約束したんだからね!」
突然の形相に思わず肩が上がり、悲鳴を上げそうになった。最近流行っているらしいからね。本人だって言っても、始めはみんな警戒して信じてくれないケース、多くなったな。
「ひっ!? ばーちゃん落ち着いて! てか、寝ぼけてるのか!? 本物の俺だよ! タカシだよ!」
「た、タカシ!? でも、なんでタカシがここに? あんた、東京にいるんじゃないのかい?」
「そうだけど……。実は俺、今日事故にあって死んじまったんだ」
「あれ、まぁ……」
おばあさんは青年を見ながら、言葉を失った。正しく言うと、青年の魂か。もう肉体からは、離れてしまっているからね。
「だからさ、最期にばーちゃんに会っておきたくて。ばーちゃん、たまに厳しかったけど、いつもやさしかったし、お小遣いもいっぱいくれたし。最近顔見てなかったから元気かなって。死ぬ前に、それが心残りだったんだ」
青年の魂が、最期の想いをおばあさんに伝える。
おばあさんは、まだ状況がわからないようで口をポカンと開けたままだ。たいてい、別れを伝えられた側は、夢枕に相手が出てきたと言う。夢か現実かわからないくらい、突飛で不思議なことだと思ってしまうのだろう。
けど、今大事なのは、相手がどう思おうとも、別れを言う側がしっかりと想いを伝えること。
「ばーちゃん、元気そうだったから俺はもう満足だよ。ちゃんと成仏できそう」
そう言って、青年はにっこりと笑った。
「……そうかい。気をつけて逝くんだよ?」
おばあさんはそれを見て、戸惑いながらもやさしく微笑み返した。
二人の姿を見ていると、思わず涙が出そうになる。きっと二人の関係は、可愛い孫とやさしいおばあちゃん、だったんだろうな。青年は小さい頃からおばあさんが大好きで、おばあさんも青年が大好きで。この家に来るのを楽しみにしていて、やってくるのが待ち遠しくて……。勝手にいろいろ、二人の思い出を想像してしまう。
「あ、あとさ、ばーちゃん、もう一つ言いたいことがあるんだけど」
青年は立ち上がり、笑顔のままおばあさんに言った。
「ばーちゃんに振り込んでもらった三百万円。結局使わなかったから、全額もらっていいよ?」
「「……へっ?」」
思わず漏れてしまった言葉が、おばあさんの声と重なる。
「ま、まさかあんただったのかい!? 三ヶ月前に掛かってきたオレオレ詐欺の犯人!?」
「ひぃっ!? ご、ごめんなさい!
「なんでそんな
「うぅっ……。じ、実は、友達と起業した会社が倒産して、借金がなかなか払えなくてさ……。でも、ばーちゃんに会社のこと言ってなかったし、上手く言い出せなくて……」
「あんたは、そんな無鉄砲なことやってたのかい!? おまけに
「そんなこと言ったって……、俺にとっては死んだ後より、現世でばーちゃんに説教されるほうが怖かったんだよー!」
おばあさんはずいぶんな健脚で、青年の魂をぐるぐると追いかける。さっきまでのしんみりとした感動はどこへやら。というか、オレの涙を返して。
青年の魂は逃げ回りながらも、徐々に輪郭が薄くなり胸の辺りが光り出した。大事なのは、相手がどう思おうとも、別れる側がしっかりと想いを伝えること。青年の魂は満足したのか、満面の笑みを浮かべて言う。
「じゃあな、ばーちゃん! 俺の分まで長生きしてな! しばらく来なくていいから!」
「待たんかい! このバカもんが!」
おばあさんは憤怒した様子で彼を捕まえようとする。けれども手は青年の魂をすり抜けてしまう。
「あ、天使くんもじゃあな。未練晴らすの手伝ってくれて、ありがとな」
最期にオレに向かって手を振って、青年の魂は消えてしまった。
未練を晴らして、三途の川を渡りに行ったのだろう。
うーん……、なんだかんだで、一件落着かな。
「そこに、だれかおるのかい?」
そう思った
見ると、おばあさんが鬼の形相でこっちを
えっ、なんで? オレの姿は見えないはずなのに。なんでギラギラ光る眼光が、オレを
「まさかあんたかい! あたしの可愛い孫に取り
「ひぃぃいいいいいいいっ!?」
鬼神と化した目の前に人間に、オレは為す術がなく悲鳴を上げた。
*
「――という未練を今日は晴らしてたんだけど、どう思う?」
オレは三途の川原で、目の前の人物にそう
彼は川原にある大きな岩に座り、こっちも向かずに自分の黒い翼を指で
「どうって、特に意見はない。魂の未練が晴れたなら、それでいいだろ?」
「そうだけど……。言わぬが花って言葉もあるじゃん。何も最期の最期で、あんなカミングアウトしなくても。おばあさん、ものすごく怒ってたし」
あげくにオレはとばっちりを受けてしまった。慌てて窓から飛び出て、文字通り飛んで逃げてきたんだから。
「詐欺の犯人がわかって、そのばあさんも死ぬ前に未練が一つ晴れてよかっただろ?」
「なるほど、そういう考え方もあるか……。うぅん、でも、もっと言い方があったと思うんだよね。せっかく感動的な別れだったのに……」
話をする前に、オレは魂へ何か助言ができたんじゃないだろうか。そうすれば、心温まる愛に
そんなオレの頭上から、またも大きなため息が降ってきた。
「お前は、仕事に何を求めてんだ……。美談が見たいんなら、本でも読んでろ」
「オレ、字読めないし」
「だったら、人間界で映画館にでも行け」
「そんなお金ない!」
「お、さすが貧乏神。天使のくせに神呼ばわりされるだけはあるな?」
「そ、そんな
頭を抱えて思わず叫んでしまう。
と、その時、オレの横を丸い球が横切る。夕日に照らされたそれはオレンジ色の光を反射して、ふわふわと漂っていた。
次の仕事がやってきたから、休憩時間はもう終わりだ。
「まだやっていくのか?」
「うん。今月ピンチだから稼がないと。それに、ふたりでならそんなに遅くならないでしょ?」
「それは、魂の未練によるだろ」
会話をしながら、オレは丸い球――魂に手を触れた。淡い光に包まれて、それはゆっくりと人間の姿へ変わっていく。
「ここは?」
ここへ来た人間の魂が口にするお決まりの第一声を聞いて、オレは笑顔で答えた。
「ここは三途の川の手前です。あなたの未練は何ですか?」
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