第60話「そして演劇祭は開かれる」

”音楽祭は今年も良かったねぇ。酒が飲める。で、明日からは演劇祭だ。また酒が飲める”


街人のインタビュー



8月6日 演劇祭初日


Starring:クロエ・ファーノ


 演劇祭初日。ランカスターの人々は、まず貸衣装屋に出かける。そこで王政時代風の仮装を身に着け、伝統建築の並んだ中央地区を闊歩する。そこで屋台のビールを一杯ひっかけ、お目当ての劇場を目指す。


 その列の中に、スーファ・シャリエールに連れられた、クロエ・ファーノがいた。スーファはいつも着ているチェックの背広。クロエは思い切ってお揃いにしてみた。完璧な助手になれたようで気持ちが良い。スーファにはかなり渋られたが。


「結局、防げませんでしたね。脚本の改変」


 気遣うために言ったつもりだが、落ち込んでいるのは自分もだと気付く。


「それは仕方ないわ。私は自分の作品を守る為ではなく、これから出る被害者を防ぐために捜査したんだから」


 つまり、創作より仕事を優先させた、と言う事だ。当然のことであるし、スーファが”本業”にどれだけの情熱を傾けているかは自分が一番知っている。でも、寂しくなって聞いてしまうのだ。


「お姉さまにとって、創作より本業ってことですよね?」


 問われたスーファは、特に迷う様子も、気負った様子もなかった。ただ、素直に頷く。


「そうね、でも創作も結構好きよ」


 この「結構好き」の重さは、共にあの脚本に向き合ったクロエだから分かる。仕事人間で食べる事しか楽しみが無かったスーファが、「好き」と呼ぶに値すると考えた。それが創作である。

 確かに彼女にとって創作は二番目だが、それは二の次ではなく、大好きだが一位がもっと大事なので仕方なく二位、と言う事である。


「えへへ」

「何を笑っているの?」

「何でもありませーん」


 こぼれる笑みを隠さずに、もぎりにチケットを渡す。外を振り返ると、チケットを買えなかった群衆が広場で場所を取っている。いつものラビッツ効果だ。


「ラビッツの人たち、今度は何をするんでしょう? もしかしたら、本当にお姉さまの脚本を救ってくれるつもりとか? そうだとしたら、私」


 ラビッツを止めたくなくなる。真剣に思い悩むクロエを、スーファは笑い飛ばした。


「無いわよ。あったとしても、有難迷惑だわ」


 はっとして、スーファの顔を見る。確かにそうだ。いじくりまわされた脚本を、今度はラビッツがいじくりまわしては意味がない。クロエは肩を落とす。


「恐らく、ラビッツは清貧教やニトーがこの劇場に関わっていると分かった上でここで騒ぎを起こす気なのよ。ニトーもそれを分かっているから、このチャンスに何か仕掛けてくるでしょうね」


 クロエは、生唾を呑み込む。まさに三つ巴の戦いだ。しかも、スーファは更なる一言を付け加えた。


「それと、私はさしずめ釣り餌ってわけね」


 スーファは笑う。それはもう楽しそうに。この人は、こう言うの好きでずっと生きてきたんだと思う。正直ついていけない部分もあるけど、彼女を応援したい。


「釣り餌なのに、何の備えも無くて大丈夫なんですか?」


 それを聞いたスーファは笑みを強め、自信満々にウィンクした。


「大丈夫、手は打ったからここに居るのよ」




 そんな彼女の上機嫌も、隣の予約席を見たことで霧散した様子だ。


「やあ、お嬢さん方。チョコ菓子でもおひとつどうだい?」


 露骨に「テンションが下がった」とばかり彼を睥睨へいげいして、スーファはナツメ・ユウキの隣に腰掛けた。


「こんなところで遊んでて良いの? ご自慢の『作戦』は?」


 ユウキはにかっと笑い、チョコ菓子のケースを差し出す。スーファは無言で手を伸ばし、少しだけ頬をほころばせ、咳払いした。どうやら美味しかったらしい。


「仕掛けはもう済んでるからね。今日の僕は君と同じ、見届ける役さ」


 そんな意味深な事を言って、チョコ菓子を口に頬り込む。


「そうそう、ひとつだけ。今日の僕は相応の覚悟を持ってここにいる」


 覚悟? いつもは覚悟をしていなかったと言うんだろうか? あんなに危ない橋を渡っているのに。スーファ・シャリエールもその辺り気になったらしく、言い返さず続きを促した。


「もし、もしだよ? これから起こる事が気に入らないならば、今までの関係をってくれて構わない。一生憎んでくれても構わないし、約束を違えて学生としてのユウキ・ナツメを逮捕してくれても構わない」


 彼が何を言っているのか分からなかった。しかしそれがとても不穏な言葉である事は受け取れた。ユウキとの間に挟まれたスーファを見上げると、大きなため息を吐く彼女が見えた。


「つまりあなた、やっちゃった・・・・・・のね?」

「やっぱり気付いたかい? ああ、やっちゃったんだ」

「そりゃ、前に『改悪された脚本をどんな風に再修正する?』なんて聞かれていたからね」


 暗号のような会話を始める二人。スーファはそんなクロエに気付き、率直な説明をした。


「つまり、彼は改変された私の脚本をもう一回変えたと言ってるの」

「ええっ!」


 あのニトーがやったように、スーファを苦しめる事をユウキ・ナツメもやったと言う事なのか? だとしたら許せることではないが、彼がそのような事をするとはどうにも思えない。


「まあ、上演を待ちましょう。それで本当に酷い出来だったら、役者に配った台本の作者名を、一部一部あなたの名前に書き直してもらいましょう」

「うわっ、そりゃ手厳しい」


 何故それが手厳しいか分からないけれど、物作りをやっている人間の共通認識だろうと想像できた。


「それで終わりなんですか? もっとバシッバシッとやっちゃってもいいと思いますけど?」


 ユウキは苦笑していった。


「僕はその方が楽だよ。名前を書き換えると言う事は、『その脚本はもう失敗作だから、自分の物ではない、駄目にした貴方の物だ』と認める事さ。酷い仕事を突きつけられるのもこたえるけど、それをやるのは『原作者から見限られた』証だからね」


 つまり、友人としてはともかく、創作者としてのナツメ・ユウキは絶縁状を叩きつけられると言う事だ。そして、スーファからの軽蔑を受け続ける。

 一見厳しいが、ユウキは彼女がニトーに受けた仕打ちを知っている。それなのに敢えて改変に挑んだのだから、傷口に塩を塗る行為だろう。すぐに絶縁を申し渡さないのは、それでもユウキが改変に挑まざるを得なかった理由があると察しているからだろうか。


 人の作品を預かるのは・・・・・・・・・・、それだけ重い行為・・・・・・・・・なのだ。


「まあ、見てみたい気もあるのよ。どこまで酷くなるのかをね」


 仏頂面のスーファを見て、クロエはようやく合点がいった。これはいつもの天邪鬼あまのじゃくな言葉。ユウキが改変した脚本が、自分の満足するに足るものか。それを見てみたい気持ちがあるのだ。


「まあ、期待しててよ。僕も最高のライバルをここで失いたくはないからね」


 スーファはふんと鼻を鳴らして、左手を差し出した。ユウキは苦笑して、チョコ菓子のケースを箱ごと手渡したのだった。

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