第58話「文学青年、試される」

”物づくりやってるとね、人生で何度あるかってくらい嬉しい「面白かった」があるわけ。それはお子さんだったり、御老人だったり、若い人だったり、法則があるわけじゃないんだ。ただ、自分がやって来た全部の苦労が、その一言で報われちゃうのよ”


ヴァルター劇団 大道具スタッフへのインタビュー



Starring:ユウキ・ナツメ


 8月1日、エラト広場。


 女神エリスに捧げる芸術イベントは、今日もあちこちで開かれている。ここエラト広場では、風船アートの全国大会が最高潮の盛り上がりを迎えていた。喜ばしい事だと、ユウキ・ナツメは思う。


 彼はイベント会場に背を向け、喧噪に耳を傾けていた。広げたシートに身を投げ出し、欠伸をする。


 もう劇の上演まで一週間を切った。6月から続いた芸術祭も、8月で終了。いや、むしろこれからが佳境だ。演劇祭、映画祭、音楽祭。ファンイベントに秘蔵のお宝を特別公開。そうそう、オタクの祭典、こみっく・クリエイション、通称「こみクリ」が開かれる。そこではファンやプロ志望者が漫画や小説を販売し、様々な企業が限定グッズを売りさばく。ユウキ・ナツメもSSファン小説を二本ほど頼まれて書きおろしている。


こんな事ブレイブ・ラビッツなんてやってる場合じゃないよなぁ。毎年のお楽しみがもうすぐだってのに)


 まだ案内書カタログも読んでいないから、ご挨拶する作家さんのリストも作っていないし、差し入れを何にするかも考えていない。冬こみは自分も本を出すかな。次までにこみクリ禁止法が出来なければだけど。

 我ながら緊張感など無いが、こみクリを楽しみたいから怪盗をやっているわけで、その逆では決してないのである。


「やあ、待たせたね」


 ユウキは、やって来たお客に左手を上げて、歓迎の意を表した。


「さあ、どうぞ。今日は東方風ライスボールと、若鶏のフライだそうですよ。夏野菜はアスパラ尽くし」


 ぽんぽんとシートを叩いて見せるユウキに、二人のお客は警戒心をとりあえず解き、シートに腰を下ろす。一人は長身の男性、もう一人は小柄な少女。はたから見れば親子に見えるだろうが、実は違う。


「君がスパイトフルの、ブレイブ・ラビッツの?」


 男性が問う。ユウキは水筒を取り出し、緑茶を注いだ。


「ええ、まあ代理人と言うか、使い走りみたいなもんです。僕の事はナツメと呼んでください。カルロスさんに、カミラさん」


 この二人はスーファの劇で主演を務める事になった二人。そして今回の脚本改悪問題で、彼女の次に被害を被るであろう二人である。


「まあまあ、とりあえず、料理を。お二人のファンからの、心ばかりのもてなしです」


 ユウキがランチボックスを左の手のひらでで示す。カミラは右手の義手を見つけて一瞬驚いた様子だが、触れないようにしてくれたようだ。良い子だと思う。


「ええと、それじゃあ」


 カミラは恐る恐るフライを口にして、破顔した。


「美味しい!」

「そうでしょう。カルロスさんも、どうです?」


 ユウキは悪い顔をして懐からスキットルボトルを取り出す。カルロスもまた、劇中の王様のように悪い顔になる。


「君、話が分かるじゃないか!」

「でしょう? うちの料理番に伝えますよ!」


 二人は「わっはっは」と大声で笑い、背中を叩き合った。ノエルの料理、その破壊力たるや。


「あ、あの? ラビッツの方がどうして私たちに?」

「そうだね、私たちのサインが欲しいわけじゃあるまい」


 今ひとつノリが理解できないカミラは、素直に問うてしまう。カルロスもそれに続いた。ユウキはちびちび舐めていたウィスキーを、名残惜しそうに置いた。


「サインは帰りがけに頂こうかな。でも本題は別です」


 そう、ユウキ・ナツメ=スパイトフルが二人を呼び出したのは、これから行う作戦の為。そしてこれは、大変な説得になる。


「アナベラ・ニトーの”ビジネスモデル”は、多分もう察しがついていらっしゃると思います」


 カルロスは沈黙で肯定し、それを見たカミラも何も言わない。役者で食べて行く覚悟を持った二人だ。やはり聡い。

 だから、前振り無しに斬り込む。


「『放浪少女と陽気な王様』を救う方法がある。そうリーダーは言っています」


 身を乗り出しかけたカミラを、カルロスが抑えた。その表情は、先ほどとは打って変わって厳しいものだ。


「話を聞こうか」


 ユウキは声のトーンを落とし、まず本題から切り出した。この二人に、小細工はいらない。


「上演の内容をアドリブで変えてしまうんです」

「馬鹿な」


 カルロスは即座に斬って捨てた。カミラも不信感を募らせている様子。


「演劇が何人のスタッフで動いていると思っているのかね?」


 カルロスの否定は当然だ。前座とは言え大劇場で行われる演劇だ。主演だけで劇の流れを変えられるとは思えない。


「賭けます」

「賭ける、ですか?」


 えらくふわっとした言葉が出たと、カミラは首をかしげる。だが、それはユウキにとって偽らざる本音だった。


「皆さんの演劇愛に賭けます。こんなやり方をされて、心から納得してしまえる人は、もう演劇人じゃないんじゃないでしょうか?」

「!!」


 二人は押し黙る。完全に心中を言い当てられたと思っている。ユウキはそう読んだ。


「もちろん、お二人に任せきりにはしません。口説き落とせそうな人はこちらで説得します。その為の情報を頂きたいし、仲の良い人がいれば説得もお願いしたい」


 カルロスは腕を組んだまま何も言わない。カミラは拳を握り、何かに堪えているが、突然立ち上がった。


「カルロスさん! やりましょう! 王様を守りましょう!」


 カルロスは渋い顔をする。もしかしたらこんな話で、中途半端な希望を持ち込んだラビッツを恨んでいるかもしれないと思った。


「カミラ、君はこの街であれだけ努力して役を射止めたんだよ? 今好き勝手にやって、全てを失うのかい?」


 カルロスに現実を突きつけられ、今度はカミラが言葉を失った。それでも彼女は頭を振り、絞り出すように啖呵を切った。


「でも、このままじゃ駄目なんです! みんなみんな、駄目になっちゃう!」

「私だって同じだ。だがもし失業すれば、母親を早くに亡くした子供たちはどうすればいいんだね?」


 「現実」を突きつけられたカミラは、しょげた様子で再び座った。

 ユウキは思う。カルロスの方が「大人の意見」だ。人が感情に任せて動けば、そこに待っているのは破滅。だが、「忍耐を選んだ先にあるもの」を知れば、彼きっと、同じ事は言えなくなる。


「……分かっています。俺たちの戦いは周囲を巻き込む。それは時として、戦いを望まぬ人に戦いを強いる行為です」


 「自分が我慢すればいいい」と。静かに身を固くして生きている人の心に、ブレイブ・ラビッツは土足で踏み込む。今戦わないとやばいぞと吹き込んで、戦いを煽る。ヒーローを自認しようと、無情のそしりから逃れる事は出来ない。

 それでも、ユウキ・ナツメは、スパイトフルは戦いの種を振りまく。それが唯一の道だと信じているから。


「ですが、考えてください。もしあなたがこのまま口をつぐんだ時、次の劇は? その次の劇は? 他の劇場もどんどん同じ事になっていったら? あなたは、今のように演劇人である事を誇れますか?」


 カミラは息をのみ、カルロスは何も言わない。表現の世界に生きる彼らでなければ、ユウキの話は一笑に付しただろう。だが実際に彼らは一度、いやきっと今まで何度も踏みにじられている。


「僕の街は、そうやってすべてを奪われました」


 カミラが顔を上げた。そしてはっとした様子で、ユウキの右腕に視線を合わせる。


「最初は、性犯罪を題材にした本は売るなと言われました。僕の父は作家でしたが、お堅い作風だったのでこれで質の悪い作品が減ると喜んでいましたよ。でも今度は性表現そのものが駄目、出血の描写も駄目。同性愛も戦争も英雄礼賛も駄目駄目駄目。最後に駄目になったのは、何だか分かります?」

「……政治への批判、かね?」


 カルロスがぼそりと答えた。ユウキは首肯する。

 そして彼の祖国、ローラン王国は滅亡した。


「だからは、一歩も引きたくありません。最初の一歩、それを退いたらもう終わるんです」


 やっぱり、楽しい宴会にはならなかったな。何も言えなくなった二人を見つめ。ユウキは思う。もともと、当事者とは言え組織と無関係な人間を巻き込むやり方は好みではない。必要であるとは自覚していても。

 もしここでノーを突きつけられたら。その時はまた別の手を考えよう。


 だが、顔を上げたカミラは、やはり一人の演劇人だった。


「条件があります」


 覚悟を決めたような彼女の表情に、ほのかな期待と罪悪感が湧き上がる。カルロスの制止でも、今度は止まらなかった。


「条件? 聞きましょう?」


 すっと、彼女は手を差し出してきた。賄賂わいろを寄こせ、とでも言うような仕草だが、欲しいのは賄賂ではないようで。


「劇を再改変すると言うなら、そのシナリオがある筈ですよね? 改変前の作品をちゃんと愛してる人がそれを描いたなら、私はあなたたちを信じます」


 そう来ましたか。

 ユウキは鞄から原稿用紙の束を取り出す。スーファから聞いた修正案をユウキが脚本に直したものだ。

 自分はこれから不遜な事、最低な事をする。脚本の改悪を糾弾しながら、今度は自分がそれを弄りまわす。原作に対する凌辱だ。

 だがこれは禊でもある。もし二人が、誰よりもスーファの脚本を愛するふたりが。この脚本で演じるに値すると感じてくれたら。自分もまたあの脚本を愛していると、その愛を表現できていると二人に思ってもらえたら。


 自分は創作者として、死んでもいいと感じる程の喜びを味わえるかもしれない。


 カミラは、現行を何度も何度も、何度も読み返す。修正した部分はほんの最後だけ。枚数としてはそう長くない。だが、カミラは繰り返し内容を咀嚼し吟味し、カルロスに渡す。彼もまた、ゆっくり丁寧に物語を追って行く。

 正直、検閲官センサーと殴り合っている方がよほど気楽だ。


 そして、カルロスは原稿を突き返した。ユウキは、生唾を飲む。

 彼を待っていたのは、あきらめる事をあきらめた人間の笑み。


「負けました!」

「ああ、負けたよ」


 正直に言おう。この時誰も居なければ、ユウキ・ナツメは号泣していただろう。彼はただ笑って、二人のコップにお茶を追加した。

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