第5話「ランカスター芸術学院(前編)」
”今更ランカスター芸術学院に予算を投じて何の意味があると言うのです?
彼らは公金を食みながら女性を侮辱する裸婦画を描いているのですよ?”
共和国議会の議事録より
「では、本日の題材はレジナルド・ダーマシーが晩年に出版した著作です。いつものように4人一組に分かれてディスカッションしてもらいます」
黒板に文学者らしき人物の作品を書き出した講師が、学生たちにばらけるように指示を出す。
いつものようにも何も、事務室で手続きをしたら講義が始まるからといきなり通されたわけで。ダーマシーなる作家は大雑把には知っている。
かと言って黒板にあるようなマイナーな作品など読んでいない。
ここはランカスター芸術学院。
この街がまだ芸術の都と呼ばれていた頃、若き芸術家の登竜門だったと言う。
極彩色に塗りたくられたロボットが中庭に飾られていたのは面食らった。何処かの工業デザイナーが造ったと言うが、素養がない自分には悪趣味にしか見えない。
スーファはいつの間にかここに通う事になってしまった。今更ひらひらの制服まで着させられて。
いったい何故こんな事になったのか。
「では、新入生君から意見を発表してもらおうか?」
いきなり名指しされ固まる。勿論準備などしていない。
「どうしたんだい? もちろん予習くらいしてきたよね? 作品の解釈くらいどの本にも
嫌らしそうに眼鏡をくいくい上げながら、歪ませた唇を張りつかせた顔でさあさあと急かしてくる。
こっちだって普通科の学校は飛び級で卒業しているのだ。試験に出てくるような文学なら諳んじられる。ちゃんと事前に教えてくれていたら、何とでもなったのに。
署長曰く、若者に溶け込むならここだという事だ。
使える時間の裁量が大きく、様々な階層が通うから情報も集めやすいとか。
なお、文芸科を選んだ理由は、「他よりは楽そう」という不順な動機に過ぎない。
とは言え、ここで出来る振りをしても何にもならない。
素直に分からないと言うべきだろう。目の前にやいや笑いする優等生には癪だが。
「そもそも君はそんなんで何しに来たの? 好きな作家とかちゃんといるんだろうね?」
好きな作家。
実のところ、ノンフィクションや学術書に比べ、文学は流行りものしか読んでいない。それでも有名な名前を挙げておけばいいものを、投げやりに答えてしまう。
「……ジョージ・フォートとか」
優等生殿の瞳が輝く。さっそく嫌味を言う材料を見つけたと言う体で。
ジョージ・フォート、二流どころの大衆小説家だ。
だが好きな物はしょうがないではないか。暇つぶしでしかないと言えばそうだが、恋の行方が気になって新刊を追う程度にはファンである。
「新入生君、君ねぇ……」
口調は咎めるものだったが、目が笑っている。体のいい玩具を見つけたと言うところだろう。
もうどうでもいいやと、大きなため息を吐いて見せた。
だが、優等生の言葉が続く事は無かった。
「僕さあ、このヒロインの行動に納得いってないんだよね。自分を逃がす為に死んでいったお供を一顧もしないで、主人公と神学論とか話してる訳だろ? その前にお供を悼む台詞が一言でもあれば悪印象は避けられたのにもったいないなぁ」
彼の唇がぴくりと引き攣った。
それは「批評」と言うより「感想」だろう。
残りのひとりも、「また始まった」と言わんばかりに発言者を醒めた目で眺めている。
「ナツメ君。僕は今彼女の話を聞いてるんだけど?」
発言した赤毛の青年は、ぺろりと舌を出して左手で後頭部を撫でた。
軽薄と言うか、媚びるような笑いを周囲に振りまいている。
「ごめんごめん。気になっちゃってさ。だってまずくない? ヒロインが嫌われたら読んでくれないでしょ」
「君は何を言ってるんだい? この作品は業を背負った2人が救済を求めて心の旅をする純文学で……」
「えー、だって読者がキャラクターを好きにならないとまずいっしょ。それは純文学でも変わらなくない?」
「君が目指すような低級な三文小説と一緒にするな!」
赤毛の学生は明らかに相手を挑発している。
半眼で視線を送ったら、小さくウィンクされた。どうやら助けてくれたという事らしい。
「まあまあ、とりあえず仕切りなおして、やっぱり模範生の意見を聞きたいよ。君が範を示してくれないと、話が取っ散らかっちゃうし」
優等生は改めて青年を嘲るが、持ち上げられて悪い気はしなかったらしい。朗々と文学論を諳んじ始めた。良くわからないが、言わんとしている事は分かる。
まず「誰それ教授の解釈はこうだ。作家の何がしはこう言っている」と言う引き写しに、自分の論評を入れて終了。
全然面白くない。と言うか赤毛の彼がつけたいちゃもんの方がまだ血が通っていると思った。
だが、それっぽくお茶を濁すだけなら優等生流は都合がいい。
結局、講義は優等生の言説の解釈や表現を適当に弄って難を逃れた。
そして誰も突っ込んでこない。
文学とはこう言うものだったろうか?
赤毛の学生も彼女の隔意に気付いたろうか。微妙な笑顔が帰って来た。
このしょうもないやり取りが、ユウキ・ナツメとの出会いであった。
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