第24話:あの日の罪04


◆◆◆◆


「俺とリチャードは……竜嵐の只中へと飛んだ。今まで見たことがないくらいの巨大で、凶悪で、恐ろしい竜嵐だった」


 嫌味なくらいに鮮明に思い出したリチャードとのやり取り。熱狂と使命感に燃えていたあの瞬間は、今となっては腐乱死体のように俺の心の中で腐臭を放っている。俺は右腕の痛みを噛みしめながら、言葉を続けた。

 俺は救命ライダーの本部に通信し、めちゃくちゃに怒られながらも用件だけを伝えた。最終的に向こうは竜炎を用いたライダー専用の通信機の向こうで呆れながら「必ず生還しろ。こちらが言いたいのはそれだけだ」と怒鳴った。恐らく、リチャードが何を言っても飛んでしまうと理解したのだろう。俺はリチャードに付き合うことにためらいはなかった。むしろ、勇敢な奴のサポートに回れることを光栄に思っているくらいだった。


「あいつは天才的なセンスで嵐の中を突っ切っていった。俺はその後に続いた。薬は万が一に備えて俺が七割、リチャードが三割持った」


 エミリアはただじっと聞いている。口を差し挟まれないからこそ、俺の記憶はあの日を鮮明に思い出す。竜嵐の中。すさまじい暴風と吹き付ける雨。竜の加護を貫通して押し寄せる荒れ狂うエネルギーの暴威。濃密な竜因が雲の中に蓄積し、それは竜とそれに乗るライダーを狂わせる。何度訓練しても慣れない、自然の驚異そのものに立ち向かう無謀な挑戦だ。竜嵐は、人間が熱水を使った文明を発達させると、それに同調するかのように破壊力を増したらしい。空を汚すばい煙によって嵐の規模が増したのか、それともこの惑星そのものが人間の所業に激怒しているのか。


「そして――『竜雷』が発生した」


 竜因によって引き起こされる竜雷。それはただの雷なんかじゃない。竜の咆哮のような轟音と、雲の中を駆け巡る雷電の閃光は目どころかありとあらゆる感覚と通信機器がやられる。


「竜雷の中を飛んだことはあるか? 雲の中であれに巻き込まれると、右も左も上も下も分からなくなる。俺たちは木の葉のように振り回され、手綱を握るだけで精いっぱいだった。今自分がどこを飛んでいるのか、そもそも飛んでいるのか落下しているのかさえ分からなくなっていった。そんな時だ――――俺の乗るインディペンデンスの翼に竜雷が直撃した」


 体が勝手に震えだす。あの瞬間の激痛と恐怖と絶望が、時間を超えてまざまざと思い出される。両肩を抱いても、震えは止まらない。吐きそうになるのを俺は懸命にこらえた。過去を話すだけで、こんなに自分が恐怖するとは思わなかった。がたがたと震える俺を見て、エミリアが静かに言った。


「ジャック、手を出して」


 わけがわからず、俺はただ義手の右手を出した。


「そっちの手じゃなくて、左手」


 言われるままに、俺は義手を引っ込めて左手を出した。エミリアは何かを渡すつもりだろうか? そう思った瞬間、エミリアの手が俺の左手に重なった。


「辛かったら、私の手を握りしめて」


 年頃の女の子が、独身の男にするべきことじゃない。俺はそう言おうとして、エミリアと目が合った。エミリアは照れることも、恥ずかしがることもなく、真剣に俺を見つめた。まるで、溺れてもがく俺を、救命ボートから手を伸ばして懸命に引き上げるかのようだった。彼女にとってそれは、苦悶する俺を助ける当然の行動だったのだろう。みっともないことに、エミリアに手を握ってもらい、俺は信じられないくらいに体の震えが収まっていった。


「……意識が切れ切れになって、操縦ができなくなる。俺はわけが分からなくなって墜落していった。空から俺とインディペンデンスは落ちていった。あいつを――俺のナビゲートを必要としていたリチャードを置き去りにして」


 俺のインディペンデンスは、競争ライダーを卒業してから、リチャードのトライアンフを補助するために調整していた。何しろトライアンフはスピードに特化したすさまじく過激なデザインの竜であり、災害救助として飛ぶためには俺がサポートに回る必要があったからだ。俺が気流を読み、地形を把握し、周囲を視認し、その情報を得たリチャードが真っ先に現場に急行する。最高だったはずのコンビは、竜嵐の中俺の方が一方的に解消したのだ。


「俺は落ちた。空から落下して木立に突っ込み、めちゃくちゃになりながら誰かの家畜小屋に突っ込んだらしい。俺の記憶に残っているのは、木立に突っ込んだときの枝が折れる音と、レンガが砕ける音、荒れ狂う風雨の音。そして、右手の痛みだけだった」


 エミリアの手が、俺の手を握りしめる。なぜそうするんだ、エミリア。これはただの、終わってしまった俺の失策だ。同情される価値のない、一人の救命ライダーが空から落ちただけの話なんだ。


「目を覚ましたら、開拓地のベッドに寝かされていた。全身は大小さまざまな傷と竜炎によるやけどだらけで、右手はがれきに押し潰されて切断するしかなかったらしい。俺は枕元で感謝するあの女の子の両親の声を聞き流しながら、何もかもが終わったことを悟った。笑えることに、俺は女の子とその両親を恨んでいた」


 燃える炎とがれきの中から、俺は助け出された。そして、俺がここまで運んできた薬も。数は足りなかったが、重篤な患者が峠を越すには充分な量だったらしい。それだけが、唯一の救いだ。これであの女の子まで死んでいたら、俺はきっとそのまま絶望で死んでいたことだろう。……もっとも、無様に生き残ってしまったようなものだが。

 哀れなことに、俺は口にこそ出さなかったが、女の子とその両親を恨んでいたのは本当だ。女の子が病気にならなければ、両親がもう少し健康に気を使っていれば、いや、そもそも彼女たちさえいなければ、こんなことにはならなかったのに。俺は粗末な家のベッドに横たわりながら、そんなことを考えていた。災害救助に携わるライダーとして、あまりにもみっともなく恥ずかしい思考だったが、止められなかった。


「リチャードの遺体の一部は一応見つかった。ライダーの仲間たちは、リチャードだったものを棺に納めて葬式を行った」


 俺は葬式には出なかった。葬式の時、俺はまだ開拓地のベッドから起き上がれなかったからだ。埋葬の時にはあのアイザックも来ていたそうだ。仏頂面で奴の柩が土に埋まるのを見守っていたらしい。俺はその後、歩けるまでに回復してから開拓地を後にし、一度だけリチャードの墓の前を訪れた。

 一度が限界だった。あいつの墓石を見た途端、全身が震えだして立っていられなくなった。竜嵐のただ中で、空から落ちていったあの瞬間をまざまざと思い出し、俺は悲鳴を上げて逃げ出した。周りの人間が狂人を見る目で俺を見ていたのを思い出す。


「それからだ。俺は飛ぶことが怖くてたまらなくなった。空が嫌いになった。何よりも、自分が嫌で嫌でたまらなくなった」


 俺は救命ライダーの職を辞した。周りの上司や同業のライダーが何か言っていたが、非難しているのか慰めているのか、辞職を思いとどまるよう言っているのか、何も聞こえなかった。ただの雑音にしか聞こえなかったからだ。

 生きながら死んでいるような日々の始まりだった。俺はすべてに背を向けて、酒浸りの生活を続けた。いつ死んでもいいと思ったし、むしろ内心ではさっさと人生にけりをつけたかった。他人が影法師に見えたし、人の声が意味の分からない音にしか聞こえなかった。それでも、生活するために野良のライダーのコーチになった。要領の悪いものぐさたちをどやしつけてレースに出させ、もらったはした金で意識を失うまで飲む。そんな日々をずっと繰り返していた。俺の魂は、右腕と一緒にあの日空で燃えて灰となり散り散りになってしまったらしい。ここにあるのは、魂のないただのジャック・グッドフェローだった抜け殻だ。


「――つまらない話だっただろう? これが俺が飛ばなくなった理由だ。満足したか?」


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