第23話:あの日の罪03
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「……あれは、秋のフォモール海に浮かぶ孤島の開拓地だった。良質の熱水が取れるということで、各地から多くの開拓民が集まっている場所だった」
荒浪の打ち寄せる小島。ありあわせのもので建てられた人々の家。天候は常に急変し、船もろくに近づかない僻地。そこに集まったのは、国を追われた難民や、出稼ぎの労働者。あるいは貧しさから脱したい者たちだった。日々何とか生き永らえながら、それでも互いに助け合って彼らは生きていた。
「そこでたちの悪い熱病が流行って、何人も亡くなった。救助の通信を受けた俺たちは島に飛んで病状を記録し、続いて本土の病院に向かった。医者は薬を処方してくれて、俺たちはそれを竜に積んで、後は飛び立つばかりだった。でもその時――竜嵐が発生したんだ」
竜嵐はその名の通り、ただの気象ではない。荒れ狂うこの星のエネルギーがそのまま形になったようなものだ。竜でなければそこを突っ切ることはできないし、たとえ竜であってもこれほど急激に発達した嵐は避けるべきものだ。
「すこぶるつきの凶悪な竜嵐だった。誰がどう考えても、嵐がおさまるまで待つべきだった。どんなベテランのライダーでも、俺たちが飛ばないことを非難することはなかっただろう。俺一人なら、ためらうことなくそうした」
そう。俺ならちゅうちょなく嵐が止むまで待った。どんなに周りに尻を叩かれても、危険を理由に飛び立つことはなかっただろう。そのことに良心の呵責は感じない。救命ライダーであっても、共倒れは無意味だ。教官は常に言っていた。「勇気と無謀は別物だ」と。あの凶悪な竜嵐を突っ切って開拓地へと向かうのは、誰がどう見ても無謀だった。
「……でも、リチャードは違った」
あのバカ野郎。いつも軽薄に笑って何も考えていないお調子者のくせに、こういう時だけは……誰もが驚くほど勇気があった。
「開拓地には、六歳の女の子がいた。その子も熱病で死にかけていたんだ。リチャードには年の離れた妹がいた。その子は珍しい難病で、専門の医者が来るのがほんの少し遅くて亡くなった。あいつは――その二の舞にはしたくなかったんだ」
俺は目を閉じて、あの日を思い出す。
◆◆◆◆
待機していた宿屋から不自然に姿を消したリチャードに嫌な予感を感じた俺が奴を探したところ、予感は的中していた。降ってきた雨の下、フライトの準備を勝手に整えたリチャードが、黙々と道を歩いていたのだ。
「リチャード! おいリチャード! 聞いてるのか!?」
その背に大声で俺は呼びかける。
「ああ」
気のない返事に俺は頭に血がのぼり、大股で走ってリチャードを追い抜くとその前に立ちはだかった。こいつは何を考えている? この竜嵐が迫っている時に飛ぶつもりか? どう考えても死ぬに決まってるだろ!
「このバカ野郎! 死ぬ気かお前は!」
唾を飛ばして怒鳴る俺を、リチャードは一瞥した。死人のように顔色が悪い。何かを思い詰めた目をしていて、俺はぞっとした。血気にはやっているんじゃない。冷静に奴は考えた結果、竜嵐の日に飛ぶことを選んでいるのだ。
「ジャック、お前は来るな。俺一人で飛ぶ」
リチャードは肩で息をする俺を片手で押しのけようとする。その雑な仕草にますます俺は腹が立ち、奴の襟首をつかんだ。
「気が狂ったかお前!?」
「狂ってない。俺は正気だ。ジャック、手を離してくれ」
乱暴に俺が襟首をつかんでいるというのに、リチャードは怒りさえしないで淡々とそう言う。死人がしゃべっているかのような温度のない声だった。
「このままだと、開拓地で待つあの女の子が死んでしまう。俺は人殺しにはなりたくない」
「分からないだろ? 竜嵐がおさまるまで待っても間に合うかもしれないじゃないか!」
「間に合わないさ」
リチャードは首を左右に振る。
「なぜ分かる!?」
「あの子は妹と同じ顔をしていたからさ。手遅れになる一歩手前の顔だった」
妹。リチャードの死んだ妹。その言葉を聞いて、俺の手が緩んだ。静かにリチャードは俺の手を脇にどける。
「……妹は最期までいい子だった。俺はベッドに横たわったあの子の手を握って何度も『必ずお医者様が来るからな。お兄ちゃんが約束する。俺を信じろ』って言ってなだめた。――あの子の心臓が止まってからもな。小さな手が冷たくなっていく感触を、今でも覚えてる」
俺は何も言えなかった。リチャードの声には、深い深い悲しみがあった。こいつの後を追いかけていた女の子は、誰一人こいつがこんな顔をして、こんな声でしゃべることを知らないだろう。でも、これがリチャード・ウィルキンソンだ。明るくて女の子にもてる気分屋の仮面の下には、やるせない悲哀が茨のように生い茂っている。
「理屈じゃないんだよ、ジャック。万に一つの可能性があるなら、俺はやらずに諦めたくない。あの子に妹と同じ目に逢ってほしくないし、あの子の両親に俺と同じ目に逢ってほしくない」
なんて目をするんだ、リチャード。そんな目でいたら、お前のファンの女の子が泣くぞ。
「自己満足だよ。分かったらどいてくれ。お前まで俺の酔狂に付き合う義理はないからな」
そう言われて、この俺が「はいそうですか」と言って退くと思ってるのかよ。だとしたらお前は――俺を全然分かってない。
「……バカ野郎。お前、本当に本当の大バカ野郎だ」
俺はそう吐き捨てた。近くの店の壁を思い切り蹴りつけ、、ため息を深々とつく。よし、気が少しは晴れた。俺はくるりときびすを返した。
「急ぐぞ。竜嵐は刻々と変化する。一分一秒が惜しい」
走り出そうとした俺の背に、リチャードの驚きの声が投げかけられた。
「おいジャック、お前の方が狂ったんじゃないのか?」
「まさか。俺は正気だ。少なくとも、お前よりはな」
親友のずいぶんと失礼な物言いに、俺は振り返った。
「お前みたいな危なっかしい奴が一人でふらふら飛ぶよりも、俺がサポートに徹した方が生還する確率は高くなる。ただそれだけだ。文句があるか?」
リチャードに詰め寄って理路整然と訴えてやると、奴はたじろいだ。おかげで胸がすっとした。ざまあみろ。いつも無茶ばかりして散々俺を驚かせた罰だ。たまには、お前の方が仰天するのも悪くないだろう?
「いや……ありがとう」
リチャードは珍しく、下を向いて言葉を迷っているようだった。本当に珍しい。いつもは立て板に水とばかりに、口八丁手八丁な奴なのに。俺程度が正論を言っただけで、どうして口ごもることがあるんだ。
「……今日ほど、お前が相棒であって嬉しかった日はないぜ、ジャック・グッドフェロー。お前と飛べることが、俺の誇りだ。心からお前を尊敬する」
やがて、リチャードは俺をまっすぐに見てはっきりとそう言った。その声は、女の子にささやくときのような軽さがまったくない、真剣そのものだった。こいつでも、こんなにまじめな顔をするんだと俺は思った。ずいぶんと長くリチャードの相棒でいたが、俺はこんな顔は見たことがなかった。そして理解した。
俺は、こいつに認められたのだ。俺と違って世渡り上手で栄光を手にして、いくらでも楽しく浮かれた人生を送られたはずなのに、よりによって一番大変な災害救助の任についた、この勇敢なライダーに。ジャック・グッドフェローという俺そのものを、そっくりそのままこいつは受け止めたのだ。
理解した瞬間、無性に照れ臭くなった。俺は恥ずかしくなって、わざとどうでもいい顔でリチャードから視線を外した。
「そういう気障な台詞は、無事に帰ってから女の子にでもささやいてやれ。ライダーなら……」
「……翼で語れ、か」
「そういうことだ、相棒」
「ああ、そうだ。俺たちはライダーだ。――翼で語ろうぜ」
一度だけ拳を突き合わせて、しっかりと目を合わせてから、俺たちは走り出した。荒れ狂うフォモール海と、竜嵐が待っていた。
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