第20話:打つ手なし02
◆◆◆◆
「……すみません。僕はそのようなつもりで口にしたつもりはありませんでした」
長い沈黙の後、アーサーは静かにそう言った。
「波風の立たない上手な反論だ。君は将来政治家を目指した方がいい」
俺の渾身の皮肉にも、アーサーは怒らなかった。むしろ、清涼な目で俺を見る。
「ありがとうございます。あなたが指摘して下さらなければ、僕はきっともっと多くの人を傷つけていたかもしれません」
アーサーはどこまでも英雄だった。俺のこんなくだらない愚痴を聞いて、なおもここまでポジティブなことを言えるのだから。俺は怒る気さえ失せて空を見上げた。
「そんなんじゃないさ。これはただの八つ当たりだ」
さっさと愛想をつかしてどこかに行ってほしい、と俺は態度で訴えるのだが、なぜかアーサーは立ち去らなかった。
「でも、僕は信じます」
俺は目だけでアーサーを見る。聖剣を持つ英雄の少年の目は、どこまでもまっすぐだった。まるで、エミリアのように。
「あなたとエミリアが、再び空に舞い上がることを」
空、と聞いて俺の頭にいきなり血がのぼった。
「呪いをかけるのはやめろ!」
俺は怒鳴る。
「銀のスプーンをくわえて生まれてきた君に何が分かる! レッドカーペットの上から俺を見下ろすな! 何か言いたければまずそこから降りて俺と同じ目線に立て! 気が変わったか? そうだろうなあ!」
期待は呪いだ。願いは呪いだ。励ましは呪いだ。どこに行っても、どこまで逃げても、呪いが俺に付きまとってくる。
「なぜみんな俺を空に飛ばそうとするんだ!? どいつもこいつも人の顔を見れば同じことばかり! 君も、エミリアも、オールドレディもそうだ! 俺はもうとっくの昔に終わった燃えカスなんだよ!」
俺のことは放っておいてくれ。俺のことはいいんだ。俺なんかよりも、エミリアが大事なんだよ。あいつの方がよっぽど苦しんでいるんだ。あの子にこそ助けが必要なのに。
「だとしたら、どうして今もここにいるんですか?」
アーサーに図星を突かれて俺は黙った。
「決まってるだろう。金のためだよ。酒代がかさむからなあ」
そうなんだ。俺は無様にも、こんなにも空を拒絶しながら、空を見上げている。それを追及されるのが怖くて、俺はたちの悪いろくでなしになろうとする。俺はなれなれしく、アーサーの肩に手をまわした。アーサーの取り巻きの女の子が見たら、顔色を変えてものを投げつけるのが間違いなしの失礼な態度で。
「なあ、英雄様。俺とエミリアを飛ばしたいなら、おごってくれよ。口だけじゃなくて行動で示してほしいよなあ。金持ってるだろ? たまにはいい酒を頭がぶっ壊れるまで飲みたいんだ」
何もかもがどうでもいい。単に酒さえ飲めればそれでいい。そういう呆れた酔漢になろうと俺は必死になる。けれども、そんな俺の空しい努力を、アーサーはじっと見ていた。アーサーの別名『聖剣』。それは清冽な湖から与えられた伝説の剣にちなんだ名だ。アーサーの青い瞳は、まるでその剣を生んだ湖のように澄んでいた。だからこそ、そこに映っている俺の汚らしさがほとほと嫌になった。
「ははは、冗談だよ。俺は安上がりな男でね。安酒で十分酔えるからな。英雄様におごらせたら、後でどれだけ嫌味を言われるか分からないからな」
俺はアーサーの肩から回していた腕を離す。こいつのユニフォームに俺の汚れがこびりついたようで、悪い気持ちになる。きっとこの後、アーサーは今着ているユニフォームを捨てるかもしれないな。俺はへらへら笑いながら立ち上がった。
「じゃあな、アーサー。せいぜい空の王様気取りでいてくれ。金も名声も女も手に入って、得意の絶頂が待ってるぜ」
義手の右手をひらひらと振りながら、俺は観客席を後にしようとしていた。
「……待って下さい」
背中にアーサーの声がかけられる。
「だからおごらなくてもいいって言ってるだろ。しつこいな」
無視できなくて、俺は振り返った。アーサーは真面目な顔で、俺をじっと見ていた。その目には、ゴミをさげすむ侮蔑も、弱者を見下げる憐憫も、勝ち組特有の余裕もなかった。
「僕は、あなたとエミリアのために祈ります」
祈る。俺の無様な現状とはあまりにもかけ離れた健全な言葉に、俺は呆れることさえ忘れた。
「……何を言ってるんだ、君は」
俺はつい向き直る。百万個は反論が思い浮かぶ。祈りがなんだ。祈りになんの価値がある。祈りは無料だぞ。祈って何が変わる。祈ってエミリアの竜症が治るのか? 祈って彼女はアイルトンカップに出られるのか? そういう有象無象の罵詈雑言は……アーサーの真摯さの前に一つも俺の口から出てこなかった。
「祈ります。毎日、心を込めて。きっとそれが、僕のできることです」
俺の乾いた喉と口はやっとのことで、わずかに動いた。
「下らな……」
しかし俺は「下らないな」とさえ言えなかった。分かってしまったのだ。アーサーのその言葉が、本心からであり、そしてきっと俺たちが必要としているものかもしれないということを。
誰かが、俺たち以外の誰かが、心から俺たちの復帰を願っている。強い願い。強い思い。ひたむきな願い。ひたむきな思い。それが――祈りだ。神様が与えるのは試練じゃない。祈る心だ。
俺はがっくりと肩を落とした。自分の無力さを突きつけられ、涙がわずかににじんだ。
「俺のことはいい。頼む。エミリアのために祈ってくれ。祈る資格のない俺じゃ駄目なんだ」
俺の血を吐くような言葉に、初めてアーサーは首を左右に振った。
「いいえ。あなたのことも僕は祈ります。あなたにも、祈りが必要なんです」
――忠誠と正義と信仰を重んじる、本物の騎士がそこにいるかのようだった。
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