第13話:空を目指す者03
◆◆◆◆
わずかに右腕に感じる痛みで、俺は回想から現実に引き戻される。ここは監獄じゃなくてオールドレディの屋敷。目の前にいるのはリチャードじゃなくてエミリアだ。彼女はまだ、深々と頭を下げたままだ。
「くそ、頭を上げてくれ、エミリア」
俺がそう頼んでも、彼女は頭を上げない。
「なんなんだ、君は。俺にどうしろって言うんだ。くそ、こんなことをしてもどうにもならないんだぞ」
ようやくエミリアは頭を上げる。
「あなたはコーチよ。コーチとしてライダーを育てる。ただそれだけでしょ?」
ただそれだけ、か。エミリア、君はそう簡単に言うが、俺にとってはただそれだけじゃないんだよ。けれども、俺が何か弁解する前にまたエミリアは頭を下げた。
「お願いします!」
俺は……折れた。折れるしかなかった。そうだろう? このまま俺が意固地になったところで、エミリアが納得するわけがなかったからだ。
「ああもう、分かった分かった。俺の負けだ。こんなことなんでもないんだ。そうだろ? 先に飛んでてくれ。後から行く」
俺は自分を納得させるように、捨て鉢にそう言った。なんでもない、と自分に言い聞かせるしかなかった。けれども、俺のその言葉にエミリアは頭を上げた。その顔がぱっと明るくなる。
「はい!」
◆◆◆◆
エンタープライズに乗ってエミリアが空へ舞い上がったのを確認してから、俺は側に置いてあったケースを開けた。中には竜の整備をする道具のほかに、非常用の竜骨の入ったフラスコがある。俺はそれを右手で取り出す。軽いしなんのエネルギーも感じない。けれどもこの中には竜骨が確かに入っている。竜が収められている。
「――出てこい」
俺はフラスコを振るう。記憶、思い、情熱、信念。そういった「魂」としか言いようのない何かがかすかに流れ出すような感覚。竜と同調して飛ぶライダーにとっては、むしろそれは誇らしいものだ。今の俺にとっては恐ろしいが。
緑色の鱗の量産型の竜が俺の前に現れた。工房で作り出された、画一的に整えられた何の個性もない竜だ。エンタープライズが燃え上がる灼熱の炎なら、これはまるで燃えさしだ。竜炎の熱量がまるで違う。けれども、これでもちゃんと飛ぶことはできるし、れっきとした竜であることに間違いはない。
「頼むから痛むなよ、頼むから……」
俺はぶつぶつと呪文のように繰り返しながら、シンプル極まりないサドルにまたがる。三流ライダーたちの尻を叩くときは、憧れも過去への悔恨もなく、ただ連中をどやすためだけに飛んでいた。それ以上何も考えないですんでいた。でも今は違う。飛ぶことを心底楽しんでいるエミリアに続いて空に舞い上がる。まるでリチャードと飛んでいたときの再現だ。なくした右腕が痛むに違いない。俺がまたがっても、量産型の竜は何の反応もしない。まるで機械だ。
「――飛べ」
手綱を持って命じると、翼を羽ばたかせて竜は空へと舞い上がった。ほとんど熱さを感じない平凡な竜炎が燃え、俺と竜を空へと導いていく。俺はわずかに冷や汗をかきながら、懸命に息を整える。これくらいならいつもと変わらない。いつもと同じだ。三流ライダーどもを叱るときと何が違う?
「落ち着け――これくらい歩くのと変わらない。そうだろ……」
必死にそう呟いていたから、俺はエミリアの接近に気付かなかった。
「ジャック、来てくれたのね!」
横を見ると、エンタープライズが俺の隣に並んでいる。ギャロッピングレディと呼ばれる彼女にしては、驚くほど静かな接近だった。ちゃんと、俺が飛ぶことに必死で周りを見る余裕がないことに気付いて思いやっている。
「まあな。一応、俺は君のコーチだからな」
ライダー同士の会話は、竜炎の共鳴作用を使って会話する。これを無線機に組み込めば、地上で空を飛ぶライダーと会話することも一応可能だ。
「ゆっくり上昇するわ。私についてきて」
エミリアがそう言うと、手綱を使ってエンタープライズを加速させる。俺は彼女に続いた。だんだんと高度が上がっていく。空に描かれたコースをたどっていく。下を見下ろせば広大な敷地と、そこに建つ立派なオールドレディの屋敷。周囲が一望できる爽快感。これこそがライダーの視点だ。けれども、俺の喉元に恐怖がせり上がっていく。
「ジャック。私がついているわ」
情けない俺の顔に気付いたんだろう。優しくエミリアがそう言う。
「き、君に頼るなんて大人げないことは――」
言いかけて、俺は思いなおした。
「いや、何かあったら頼む」
「もちろんよ。安心して」
共に飛ぶライダーは、空の相棒は互いを頼る。命だって賭ける。リチャードと俺はそうだった。そのはずだった。今は俺しかいない。エミリアが自分を頼るように言うのならば、共に飛ぶ俺はそれに応じるのが正しいはずだ。
そして俺は、エミリアと共に飛ぶ。コースを一周し、彼女の後ろにおっかなびっくりついていく。まるで初心者だ。そしてその時、今さらながら気付いた。
「痛くない?」
絶対に襲ってくると思っていたあの右腕の痛み、幻肢痛がない。俺の右手は、義手ではあるがしっかりと手綱を握り、竜を操縦できていた。
俺は――飛んでいた。
その事実に、ずっと凝っていた血が騒いだ。我知らずスピードを出す。量産型の竜はそれに応えてくれた。竜炎を燃やし、推進力へと変える。急角度に設定されたカーブを曲がるとき、俺はエミリアを追い抜いた。
「ジャック!?」
エミリアの驚きの声を耳にしながら、俺は言う。
「捻りすぎだ。カーブを曲がる感覚を楽しむな。スリルを求めると冒険家として死ぬぞ」
その時のエミリアの顔は、なんて表現したらいいんだろうか。驚きと喜びで正真正銘輝いているように見えた。
「はい! 分かりました!」
それからの時間は、俺にはもったいないくらいに充実していた。エミリアと共に飛び、競い合うかのように駆け、俺のつたないアドバイスをすぐに理解し、前へ前へと貪欲に進んでいく彼女を、一番間近で見ることができていた。まるで、夢のようだった。一度空から落ちた俺には、もったいないくらいの素晴らしい一時だった。
「加速しろ。後ろから見る」
「分かったわ!」
エミリアが改めてサドルに深くまたがる。音を立ててエンタープライズの竜炎が燃え上がり、出力が上がっていくのが離れていても分かる。
「もっと翼を畳め。無駄にエネルギーを使わせるな」
「はいっ!」
改めて見ると、エンタープライズはとんでもない竜だ。まるで燃え盛る灼熱の星のようだ。よくこんな竜をエミリアは乗りこなしている。一度エンタープライズが加速すると、とても量産型の竜では追いつけない。それでも俺は続く。魂に響く重低音。加護によって守られていても感じる風圧。頭上から降り注ぐ太陽の光。その全てにまとわりつくばい煙。
しかし、汚れた空気を振り払うかのようにエンタープライズは飛ぶ。
――振り払う、のか。
無我夢中でエンタープライズについていく俺は、確かに感じた。
あのうっとうしいばい煙が、一瞬だけ消えたかのように。
「そうか、エミリア。君は――」
◆◆◆◆
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