第11話:空を目指す者
◆◆◆◆
翌日。俺はオールドレディの屋敷に設けられたコースで、エミリアと向かい合っていた。今日は学校も休みだ。一日しっかりとレースに集中できる。
「エミリア。君の知っている通り、次の目標は女王杯だ」
「ええ、そうね。周りは驚いているわ。身の程知らず、ってみんな言ってる」
エミリアの次のレースは女王杯。いくつかの前哨戦で優秀な成績を残したライダーだけが参加できる、これまた伝統あるレースだ。何しろレースの当日は女王陛下が観覧される。冒険家として推薦されたいエミリアからすれば、ぜひとも勝ちたいレースだろう。
「前哨戦を勝てば文句は言われない。結局、おしゃべりの口を黙らせるのは実力だけだ」
「分かりやすくて好きよ。そういうの」
不敵な笑みを浮かべるエミリア。このところ、彼女はアームの使い方に鋭さが増した。馬上で使うランスに似た形状のアームは、彼女の手にかかれば他のライダーにとって必殺の一撃となることだろう。
「つくづく、君はオールドレディの孫娘だと思うよ」
俺は苦笑してうなずきつつ、本題に入る。
「だが――君のフライトにはまだ迷いがある」
「どうして分かるの?」
「分かるんだよ。君がギャロッピングレディと呼ばれるゆえんだ。まるで跳ね回るみたいにめちゃくちゃで乱暴な飛び方を、センスだけで無理やり形にしている。君は何を求めている?」
正直に言って、俺個人としてはエミリアの今の飛び方は好きだった。無我夢中で、情熱だけを燃料にかっ飛ばすそのフライトは、俺の中のライダーとしての燃えカスにかすかに火をともす。何よりも、彼女は自分の竜、エンタープライズを心から信頼しているのがよくわかる。竜に乗って空を駆けるライダーとして、エミリア・スターリングは一つの理想じゃないだろうか。
「私は冒険家になりたいわ」
俺の漠然とした質問に、しばらく真面目な顔で考えてからエミリアはそう答えた。
「それは結果だ。君を突き動かすものはなんだ?」
言ってから、俺は一方的にエミリアに問いすぎていることに気づいた。確かに、オールドレディの言うとおりだ。『訊けばなんでも答えがすぐ返ってくると思うな』と言っておきながら、当の本人は他人に質問ばかりしている。情けない話だ。
「いや、すまない。練習を始めよう」
俺はきびすを返して、いつものようにコースのスタート地点に行こうと歩き始めた。けれども、むしろエミリアの方がこの話題に関心を示したようだ。
「待って!」
エミリアは俺を呼び止めた。振り向くと、彼女はまっすぐにこちらを見つめていた。その曇りのない視線に、俺は少し居心地が悪くなる。なぜそんな目で俺を見る、エミリア。俺は君にそうやって見つめられるような、まっとうできれいな大人じゃないんだぞ。
「もしかしたら、教えてあげられるかも」
エミリアの言葉に、俺は好奇心がうずいた。エミリア自身が自分の欲求に気づけているのならば、それに越したことはない。俺がない知恵を絞るより、本人の自覚が一番だ。
「でもその代わり――ジャック、私と一緒に飛んで!」
まるで思いの丈を告白するかのように、エミリアは俺に近づいてしっかりと見据える。
「……それはできない」
彼女の視線が痛くて、俺は目をそらす。
「俺とインディペンデンスはもう飛ばないんだ。これ以上魂を食われたくない。そう決めたんだよ」
竜はライダーの魂を食らって姿を現し、空へと舞い上がる。でも、だからと言って乗り手を殺すようなことはしない。そのはずだ。でも俺はもう、インディペンデンスを呼びたくはなかった。呼べばどうしても、あの時のことを思い出してしまう。竜はライダーの感情を体現する。俺がフライトに対して恐怖と自責しか感じていないのだから、きっとインディペンデンスは俺の魂を食らいつくすんじゃないか。俺は勝手にそう思い込んでいる。いや、そう思い込みたかった。
「コーチングに使う量産型の竜を使えばいいじゃない」
エミリアはもっともなことを言う。確かに、俺は廃工場で三流ライダーたちを相手にしているとき、量産型の竜で空を飛ぶこともあった。あの物分かりの悪いくせに、手を抜くことだけは一丁前の連中は、そばで見ていないととんでもない乗り方をして危なすぎるのだ。何度竜を横付けして「そんなに死にたいならとっとと降りて地べたで死ね!」怒鳴ったことか。
「飛びたくないんだよ。頼むから、俺を空に誘わないでくれ」
俺は後ずさりする。このままエミリアのペースにはまれば、俺は気が付くと竜にまたがって空に飛ぶ羽目になりそうだ。ぐいぐい攻めてくる気性の強さは、本当にドラゴンライディングに向いている。彼女を最初にギャロッピングレディと読んだ奴はきっとネーミングの天才に違いない。
「なぜ? あなたは立派なライダーだったじゃない」
エミリアは首を傾げた。
「……俺について、オールドレディから何か聞いていないのか?」
「ジャック本人が話すまで、私から言うことは何もないわ、って言われたわ」
「そりゃよかった。適当に噂されたらたまったもんじゃないからな」
どうやらオールドレディは口さがないご老体ではなかったようだ。エミリアは俺の過去については一般に出回っている当たり障りのない情報以外知らないらしい。
「おばあ様はそんなことはしないわ」
エミリアは少しだけ不服そうな顔をする。
「…………手が痛むんだ」
「え?」
俺は正直に話すことにした。俺の犯した救いようのない失敗を、かいつまんでエミリアに教える。
「俺はどうしようもないへまで空から落ちて右腕をなくした。今でも、その時のことを思い出すと、なくしたはずの右腕が痛むんだ。きっと、竜に乗って空に舞い上がればまた腕が痛む。分かるか? ないはずの手が火の中に突っ込んだみたいに痛むんだよ」
エミリアは言葉を失ったようだ。彼女の視線は、俺の右肩に注がれている。そこから先に生身はない。あるのは、精巧な作り物の腕だ。
「俺はもう空を飛びたくない。それでいいだろ?」
俺はできるだけぶっきらぼうにそう告げた。これ以上、エミリアに俺の過去に関心を持ってもらいたくなかったからだ。リチャードのことをこいつに教えるのは、辛かった。
しかし、エミリアは言った。
「――怖いの?」
その言葉には、わずかだが確かにあざけっているような響きがあった。俺はかっとなって、彼女に詰め寄った。
「お嬢さん、言っていいことと悪いことがあるぞ」
本当ならば義手で彼女の肩を鷲掴みにしてやりたかったが、それはさすがにできなかった。頭に血がのぼる。久しぶりの怒りが、安い酒を流し込んだときのように、腹の奥底から湧き上がってきた。自分でも、まだこんなに生々しい感情が残っていたのかと、頭のどこかで驚いていた。
「空から落ちて楽に死ねるだけだと思うな。腰から下が動かなくなって一生車椅子生活かもしれないし、背骨を折って残りの人生をベッドの上で過ごすことになるかもしれないんだ。君は責任を取れるのか?」
怒りつつも、俺は怒鳴りもしなければ手を上げもしなかった。相手は子供だ。それに、俺はエミリアにそう言われて当然のクズだった。怒る資格など本当はない。
「……ごめんなさい」
エミリアの目から、ぽろりと涙がこぼれた。俺は喉を絞められたかのように、それ以上言葉が出てこなかった。
「本当にごめんなさい。私が言い過ぎたわ。許して」
真摯に謝るエミリアを見て、俺は頭が冷えていくのを感じていていた。クズが一丁前に正論を吐いて、年端もいかない女の子に説教とは、痛々しくて我ながら死にたくなる。
「まあいいさ。君は子供だからな。失言だってある」
俺は努めてどうでもいいような顔をした。確かに俺はクズで、エミリアにあざけられても仕方ない男だ。だけど、フライトの危険について軽々しく考えてほしくなかったことは事実だ。
これでこの話は終わり、エミリアはおとなしく練習を始める――そのはずだった。
「落ちたら私が受け止めるわ」
次の瞬間、涙を拭きながら言ったエミリアの言葉に、俺は耳を疑った。
「は?」
「ジャック、お願い。一度でいいから、勇気を出して」
エミリアは両手を握り締め、再びまっすぐに俺を見つめる。もうその言葉のどこにも、俺をさげすむような響きはなかった。だから「勇気を出して」といきなり子供のように励まされても怒る気にはなれなかった。
「どんなことがあっても、私が絶対に助けるわ。責任も取る。だから、私の飛ぶ姿を一緒に空で見てほしいの」
一息にそう言うと、エミリアは深々と俺に向かって頭を下げた。
「お願いします――お願いします!」
エミリア。君はなぜ、そんなに俺に飛んでほしいんだ?
――落ちたら私が受け止めるわ
彼女のその言葉が呼び水になり、俺はまだリチャードと一緒にライダーの訓練生だったころのことを思い出していた。
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