第3話:ギャロッピングレディ
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エリザベスの「あの子は今空にいるわ。見に行かないの?」と言われ、俺の足は自然と屋敷の敷地へと向かった。うなるほど金のあるスターリング家だ。ドラゴンライディング用の自前のコースまで用意してある。俺の仕事場の、廃墟になった工場の敷地とは比べものにならない広さだ。
日の当たらないドラゴンライディングに出る、訳ありのライダーたち。日銭か酒代を稼ぐためだけに飛ぶそんなライダーたちを、どうにかこうにか試合に勝てるように尻を引っぱたくのが俺の仕事だ。選手がそろって落ちぶれているから、集まる観客も落ちぶれた連中ばかりだった。試合の裏で何度も賭け金がやり取りされているの見てきた。あのゴミ溜めが、落ちぶれた俺の行き着く場所だと思っていたのに、今俺はあまりにも場違いなところにいる。
俺は空を見上げた。仕事場の空は、いつもばい煙に汚れた灰色の空だ。地上にいる俺たちと何ら変わりなく、竜に乗り空をかけるライダーもばい煙を吸い込む。竜の加護があるから大事には至らないが、それでもばい煙は心身に悪影響を与える。一応ガスマスクもあるが、竜の操縦において呼吸が重要なライダーにとって、ガスマスクは言わば半人前の証だ。見栄えが悪くてつける奴はまずいない。
スターリング家の屋敷が建つこの場所も、ばい煙の影響からは逃れられない。空こそ見えるが、決して晴れ渡った爽快な空ではない。まして、竜に乗り、竜と魂を同調させるライダーの目にはなおさらだろう。ライダーは竜の目で世界を見、竜の心で世界を感じると言われている。だとしたら、あのギャロッピングレディには、この空はどんな風に見えているんだろうか。その時、俺の耳に風を切る音が聞こえた。独特の熱が肌ではなく魂そのものに感じる。
「……『竜炎』か」
竜炎。空を飛ぶ竜のエネルギー。ヒトの魂を燃やして動力にする竜の炎。いい音だ。胸が騒ぐような重低音が響く。仕事場で聞いていた、面倒臭げで出し惜しみした加速ではなく、本気で空を駆けるときに竜の翼が生む加速でしか聞こえない音だ。俺の目に、流星のように空を飛ぶ一匹の竜が見えた。空中のコースに設置されたフェザーが、竜の通過と同時に光る。俺の頭上で急角度のカーブ。選手の手から渾身の力で投げられた槍のような、研ぎ澄まされたフォーム。完璧じゃないか。続いて竜はコースを外れ、ぐんぐんと上空へ昇っていく。
「何かを探しているみたいだな……」
俺はなんとなくそう呟いた。なぜそう思ったのか自分でも分からない。ただ、なぜかその駆り立てられるかのような急上昇にそう感じただけだ。空へと落ちていくかのように昇っていった竜は、しかしいくらも経たないうちにこちらに向けて真っ逆さまに落ちてきた。さっきからめちゃくちゃな動きだ。命知らずというか、爆発的な加速をセンスだけで強引にねじ伏せて飛んでいる。地面に激突するんじゃないかと心配するような落下は、寸前で滑走へと代わり、竜は教本通りのフォームで着陸した。魂を焦がすような竜炎の熱さが、静かに収まっていく。
輝くような白銀の鱗の竜だ。もっとも基本的なデザインの、四本の足と二枚の翼。翼の爪も二本の角も、あちこちから突き出した甲殻も、どこもかしこも尖っている。けれども、一度本気で加速したとき、全ての尖った箇所がきれいに重なって流線型になるだろう。顔立ちは獰猛さとは縁がなく、むしろ優雅と言っていい。メスの竜だ。もっとも、竜の本来の姿は気体なので、オスやメスと言った性別はただの外見でしかないのだが。
サドルからひょいと飛び降りたライダーの姿を見て、俺は驚いて声を上げた。
「おいおい、私服か?」
乗っていたライダーは、専用のユニフォームではなくて私服だった。乗馬でも乗馬服を着るのに、このライダーはまるで散歩の感覚で竜を乗り回していたのか。着ているのは細いズボンと高そうな上着。さすがに手綱を握るから手袋はしている。竜の作る風圧に守られていたため、長い金髪は先端のわずかなカールも痛んだ様子はない。すらりとした気位の高そうな少女は、愛おしそうに自分の竜の首筋を撫でてから、見知らぬ不審者であろう俺の方を見た。さて、なんて言おうか……。
「――探し物は見つかったか、お嬢さん?」
俺の口から出た第一声は、我ながら意味不明なものだった。自己紹介でも、ここに自分がいる理由でもなく、相手の名前を聞く質問でもなく、俺の口が発したのは少女の先程の飛行に対する感想だった。
「……どうして私が何かを探してるって思ったの?」
しかし、少女は俺のぶしつけで意味不明な質問にも、なぜかまったくいぶかしがる様子もなく、逆にそう訊ねてきた。会話になっているところが我ながら不思議だ。
「いろいろあるが、手っ取り早く言えばただのカンだ。いっさんに空に向かって急上昇していく君のフォームを見ていた時、ふとそう思った」
「……そう」
少女が手袋をサドルに乗せて竜に合図すると、竜の姿がサドルや手綱ごと熱のない銀色の炎へと変わり、少女の手に持つ専用のケースに入ったフラスコへと吸い込まれていく。あの中には竜を呼び出す触媒である竜骨が入っている。ライダーの基本的な装備だ。ユニフォームの時はベルトにつるすフラスコを手に持ったまま、少女は俺の何気ない言葉を反すうしている様子だった。
「エミリア、降りてきたのね」
俺が振り返ると、エリザベスが一人でこちらに歩いてきた。手に杖は持っているが、使う様子はない。
「……おばあ様」
少女がエリザベスをそう呼んだのを聞いて、俺は合点がいった。
「やはり君が『ギャロッピングレディ』エミリア・スターリングか」
よく見ると、彼女の顔はエリザベスに似ていた。プライドが高そうで、物怖じしない豪胆そうな顔つきは、昔の俺たちが何度も写真や新聞で見て憧れたあの勇敢なライダー、オールドレディことエリザベス・スターリングの若いときの顔にそっくりだった。
「ええ、そうよ。『暴走機関車』『出来損ない』『スターリング家の失敗作』『最下位常習者』って呼んでもいいわよ」
「気にしないのか?」
「別に。事実でもあるわ」
少女――エミリア・スターリングは自分へと向けられた蔑称を、こともなげに一通り口にしてけろりとしている。この子はプライドが高そうだが、悪口を言われて激昂する形で高いのではなく、その程度の悪口など気にしないという形で高いらしい。
「それよりおばあ様、この方がそうなのね?」
一通り俺のさえない格好を頭のてっぺんから爪先まで見てから、エミリアははしゃいだ様子でエリザベスに駆け寄る。
「ええ、そうよ。ジャック・グッドフェロー。あなたの新しいコーチです」
勝手にコーチになることを決定事項にされ、俺は苛ついて否定しようとする。
「おい、オールドレディ。俺はまだ――」
だが、エリザベスは俺の抗議に耳をまったく貸さず、エミリアにほほ笑んだ。
「気に入りましたか?」
話にならない。俺はエリザベスに直訴するのはやめて、エミリアに向き直った。まだこっちの方が、若いから俺の言うことを聞いてくれるだろう。
「お嬢さん。悪いが俺はもう飛ばないんだ。ほかをあたってくれ」
しかし、エミリアもまた俺の話をまったく聞いていなかった。
「すごく気に入ったわ」
「は?」
なんなんだこの孫と娘は。揃って人のことを無視して話を進める血筋なのか? 二人揃ってとんでもないじゃじゃ馬だ。
「お願いします、ジャック・グッドフェローさん。どうか私のコーチになってください!」
エミリアはようやくエリザベスではなく俺を見ると、深々と頭を下げた。金持ちの家のお嬢さんが、薄汚れた片腕の元ライダーに見せる態度にしてはあまりにも真剣なものだった。その気迫に押されつつ、俺は首を左右に振る。
「コンテストで一位になりたいんだったら、お断りだ」
「違うわ!」
即答され、俺は思わず気圧された。
「私は本物のライダーになりたいの。冒険家を導く先導者になって青空を飛ぶライダーに。私は――本物の空が見たいの!」
その言葉。その目。その真剣さ。エミリアの全てが、今の俺にはあまりにも眩しすぎた。そう、心臓が抉られるような、激痛しか感じない眩しさだった。
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