第67話 アーチャンの涙



 真っ白な世界。濃霧に覆われて数メートル先も見えない。不思議に明るい視界の中で、ユーキはペタリと座り込んでいた。レヴィアタンの卵をユーシヌス海に帰した事までは覚えているが、そこから先の記憶が無い。


「あれぇ? ここは来たことあるなぁ」

 頭をポリポリと掻いてキョロキョロしていると、あの笙の音が聞こえてきた。


 フォ~


 音のする方に歩いて行くと、ボロボロの神社が浮かび上がってきた。徐々に霧が晴れていく。

「……また、あのコントを繰り返さないといけないのかな。ちょっと面倒臭いかも」

 しかし今回は神社の前で、神様は立って待っていた。真っ白な着物に、ボサボサの白髪と瓶底眼鏡。酒に焼けた赤い鼻を、プルプル震える指先で掻いている。


「ご苦労さん。儂の子供を無事、送り届けてくれたの。被害も想像以上に少なく済んだ。お前さんを見込んで大当りじゃったな」

「???」

 美青年はポカンとした表情を浮かべている。少しイラっとする神様。

「お主が鉛の容器で運んでくれた、卵じゃよ」

「神様ってレヴィアタンだったの! 何かもっと巨大なドラゴンとか、黙示録の獣みたいな恰好をしているのかと思った。それにお爺さんなのに、卵を産めるの?」

「……また訳の分からん事を。この姿は、お主が思う神の姿じゃ。本来の姿を見せたら話が回りくどくなるじゃろ」


「あぁ、それもそうだねぇ」

 ヘラヘラと笑うユーキ。彼を見て神様は心配そうな表情を浮かべた。

「儂が言っている意味が、本当に分かっているのかの?」 

「それはいいんだけど、エルマたちは無事なの」

「当然無事じゃ。見てみるか」

 神様はプルプル震える指で、目の前に大きな円を描く。その円はピカリと光り、キャラック船を映し出し始めた。



「あぁ、驚いた。何だったのかしら、今の光は。ねぇ、ユーキ?」

 数秒前までエルマの傍に立っていた、美青年の姿が消えていた。金髪の美少女は辺りをキョロキョロと見渡す。

「何よ、またふざけているの? いい加減にしないと怒るわよ、本当に」

「どうされました?」

「シスター、ユーキの姿が見当たらないの。どこに隠れたのかしら?」

 二人は甲板を探し始めた。そのうち美青年の不在は、オットー達も知ることになる。キャラック船の最下層倉庫まで、全員で探したが彼の姿は見えない。


「おかしいわね? アイツどこに隠れたのかしら」

 小首を傾げるエルマ。その肩に銀髪の美女が手を置いた。少女が振り返ると、彼女の顔色が、今までに無いほど蒼ざめている。

「ユーキの気配を察知できない。あ奴は、この世に存在しておらんの」

「アーチャン、何言っているのよ!」


 ケルピーは悲しげに、美貌を歪ませる。

「私はユーキの気配を、この世界でどんなに離れていても察知できるのじゃ。それが今、とんと分からん。 ……以前、あ奴は遠い世界から来たと言っておったな」

「そうよ。トーキョーとかニホンとか言ってたけど。凄く遠い所から来たって言ってたわ」

「ユーキは、そのトーキョーとやらに帰ったのやも知らん」

「どうしてよ!」

「私は、これまでのユーキの行動を考え直したんじゃ。お主らの話をまとめるとこうなる」

 銀髪の美女は、大きくため息を付いた。


 美青年は突然ダウツ近郊に現れた事。彼は得意の引越技術で、様々な依頼を解決し始めた事。その行動の中で、専門家と知り合い共同作業を重ねた事。そして最高のパーティーが結成された時、本当に必要な使命を与えられた事。


「その使命がレヴィアタンの卵の引越じゃ」

「誰がその引越を頼んだのよ!」

「決まっておろう」

 ケルピーは海上の円に首を倒した。


「レヴィアタン。神であり、卵の親じゃ」

 それを聞いた途端、エルマは甲板を駆け出し船縁に手を掛けた。その首根っこを銀髪の美女に、ヒョイと持ち上げられる。

「急にどうしたんじゃ?」

「レヴィアタンに文句を言ってくるのよ! この円の下にいるんでしょう。ユーキを取り戻さなきゃ!」

「神がいるのは、人間が行く事の出来ない深海じゃ。息が続かないのは勿論じゃが、水圧でペチャンコなるぞぇ」


 金髪の美少女はケルピーを睨みつける。

「じゃあ、ユーキがペチャンコになっているかもしれないじゃない! 早く助けなきゃ……」

「あ奴は、神が遣わした天使だったのかもしれん。考えてみれば、人間離れした奴じゃった」

「そんな事ある訳ないじゃない。ユーキはユーキよ! 何よ、アーチャンはアイツの事が心配じゃないの!」


 銀髪の美女は何も言わない。ただ静かに涙を流し、美貌を悲しげに揺らすだけだ。それを見たエルマは息を呑む。

「……御免なさい。アーチャンに当たり散らしても意味が無かったわね」


 キャラック船の乗組員は言葉を無くす。只々明るく輝く円の中と、甲板に降ろされポロポロ涙を流すエルマを、見つめ続けることしかできなかった。


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