第60話 ハインリヒの助言



「荷物の積み込みは終わったかぇ。それでは岸を離れる。悪いが出発までに数日時間を貰うぞぇ」

「アーチャン、どうしたの?」

「今回の騒動の後始末をせんとな」

 ケルピーの美貌が不気味に歪む。その表情を見たメンバーは、余りの迫力に言葉も出ない。今後半魚人達に、どのような運命が待っているのであろうか?


 しかし、ユーキの鋼の精神は健在である。場の空気を全く読まず、ヘラヘラ笑って手を振った。

「別に気にしなくていいよ。みんな無事だったしヴォジャノーイ達は、これまでだって船を動かしてくれていたんだから」

「そうはいかん。あ奴らはダニューブ川の主を、この私を謀ったのじゃ。相応の処置を取らねば、周りの者に示しが付かん」

 ユーキの言葉を銀髪の美女は、全く聞き入れる様子が無い。さっさと水中へ移動しようと船縁に足を進める。確かに半魚人達を無罪放免にしては、ケルピーの沽券に係るのであろう。その時、ハインリヒが口を挟んだ。


「暗殺教団の方々とヴォジャノーイ達が、どうやって共闘の条件を結んだのか、大変気になります」

「斥候兵よ、何を言っておる?」

 ハインリヒの呟きに興味を引かれたのか、ケルピーの足が止まった。

「いえね、教団側のお話は、そこに転がっているお二人から、と伺う事が出来るんですよ。でもねぇ。水妖達と腹を割って話す事が、私たちにはできませんのでねぇ」

「それが分かったら、どうなるというのじゃ」

「これまで人間と水妖の共闘なんて、あまり聞いたことがありませんからねぇ。大きな背景が見えるかもしれません。分かった所で、それが防げるとは限りませんが」

 銀髪の美女は顎に指を当てて考え込む。それからニヒルな中年に怖い視線を送った。


「確かにそうじゃの。今の私らの状況は別として、人間と水妖の共闘など聞いたことが無いわ。尋問は、お主が行うのかえ?」

「及ばずながら人間は、私が担当しますよ」

「よし分かった。これユーキ」

「何? アーチャン」

「お前と小娘は船倉にでも入って耳を塞いでおけ。呼ぶまで出て来んで良いからな」

「??? ハーイ」

 美青年は言われたことが理解できているのかどうか、ヘラヘラした表情を浮かべる。それから素直にエルマを抱き起すと、船倉の中に引っ込んだ。


 手足を縛られた暗殺教団の使徒達は、キョロキョロと不安げに辺りを見回す。しかし周辺はダニューブ川の広大な水面しか見えない。どんなに大声を出しても、救いの手は届きそうに無かった。ハインリヒは使徒の傍に跪き、ため息を吐き出す。

「これから一人ずつ別々に、質問させて頂きます。お二人の解答が異なっていたら、それは嘘となりますから一致するまで何度でも、お話を聞かせて頂きます。できれば一回の質問で、全て私たちを納得させる解答を頂きたいものです」

 ニヒルな中年男は、冷徹な表情を浮かべるシスターを指差した。


「彼女は当代一の施療師です。私がをしても、お二人を綺麗に治してくれますよ。……何度でもね」

 使徒達は恐怖に目を見開く。ハインリヒは、もう一度深くため息を吐き出した。

「拷問はされる方も嫌でしょうが、する方だって結構堪えるんです。お互い嫌な思いは出来るだけしないように、ご協力をお願いしますよ」


 ニヒルな中年男の影が、悲鳴を上げて後ずさる使徒の身体に掛かった。



 それから三時間後、船倉のドアがホトホトと叩かれた。その音でエルマは目を醒ます。目の前がオレンジ一色で覆われている。ユーキのツナギの色だった。

「やだ!」

 自分がユーキの膝枕で眠っていたことに気が付く。物凄く満ち足りた気持ちを覚えた後、彼女は飛び起きる。


「ユーキ! ユーキ! 怪我は大丈夫なの!」

 ガクガクと肩を揺さぶられ、美青年も居眠りから目覚めた。フニャリと微笑んで背中を見せる。エルマは何度も背中を確認して、安堵の息を吐いた。

「大丈夫。シスターが直してくれたよ。あの人、凄いんだねぇ」


 パン!


「弱っちい癖に、何で私を庇うのよ!」

「な、何でビンタ? 暴力反対……」

「これは暴力じゃなくて躾けよ! こんな事、二度としないで!」

(……私がどんな思いをしたのか、分からないでしょう。心臓が潰れそうだったんだから)

 というエルマの呟きは、ユーキの耳には届かなかった。


「あー。そろそろ出て来てもらって良いかな」

 船倉のドアの前に、申し訳なさそうな表情の赤髪姫が立っている。エルマは顔を真っ赤にして、ユーキを突き飛ばした。命を救った少女に平手打ちをされ、突き飛ばされる美青年。それでもヘラヘラ笑っている彼を見て、カタリーナは肩を竦めるだけだった。


 三人が船倉を出ると、甲板では真っ青な顔をしたレオンが、デッキブラシを使って何かを流している。ハインリヒは船尾で、熱心に手を洗っていた。……何度も。何度も。


 暗殺教団の使徒達は、シスターから治癒術を掛けられていた。外見からは全く傷があるようには見えない。しかし彼らの視線はボンヤリしており、意識はどこにも向いていなかった。

「取り合えず、十年分の記憶を消させて頂きました。あまり意味はないかもしれませんが、どこかで教団の方に拾われても、この船の事は思い出せない筈です。それから、暗殺技術も忘れて頂きました」

 使徒達は半魚人に抱えられて船から降ろされた。ケルピーはニヒルな中年男に声をかける。


「斥候兵…… いやハインリヒとやら、汚れ仕事ご苦労。なんじゃな。お主は見た目より芯のある男じゃな。だがのぅ。本当にエグいのは、あの小娘じゃて」

 銀髪の美女は薄気味悪そうにシスターを眺める。ニヒルな中年男が拷問した傷跡を、彼女は何度でも完璧に癒した。永遠に終わらない恐怖と苦痛。仕事の残酷さではハインリヒと同等、ある意味、彼女の方が上なのかもしれない。


 そんなケルピーの視線を感じて、ゾフィアがフワリと微笑む。人間の感情など超越している筈の銀髪の美女でさえ、背筋に寒気が走った。

「次は半魚人達の尋問ですね。また私が治癒術を使った方が宜しいですか?」

「……それには及ばぬ。ヴォジャノーイ!」


 いつの間にか船の周りは無数の半魚人達に囲まれていた。リーダーらしい、一際身体の大きな個体が静かに甲板に上がってくる。大きな頭を下げ平伏した。

「人間共の尋問の激しさは見ておったろう。どうする? 同じことを体験してみるかぇ」

「いえ。この命はケルピー様に捧げます。手前勝手な事を申し上げますが、どうか同族には寛容なご処置を」


 半魚人のリーダーは、真っすぐに銀髪の美女を見つめた。完全に自分の命を諦めているのだろう。不気味な外見とは異なり、彼の大きな目は澄んで見えた。

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