第54話 手押し相撲



 中流域に入り流れが安定したせいか、ユーキの尊い犠牲のおかげでニクセ達の労働意欲が向上したせいかは分からないが、船旅はスムーズに進行した。甲板の揺れも少なく、それぞれが思い思いに過ごせる時間が発生する。


 レオンは狭い船上で出来る筋肉トレーニングと、ストレッチを黙々とこなしていた。それを興味深そうに眺めるニクセの少女。そのうちオットーも昼食の仕込みが終わったとかで、彼に稽古をつけ始めた。

 今回の稽古は手押し相撲である。遊びのようだが自分と相手の体重移動の確認に都合が良く、場所を取らないので船上では持ってこいのトレーニングだった。

 手押し相撲のルールは簡単で、両足を肩幅の間隔に広げ動かさない。両手を押したり引いたりして相手のバランスを崩し、固定していた足を動かした方が負けとなる。


「よし、始めよう」


 オットーとレオンは向き合い、互いの手をパチンと合わせた。フェイントを掛けながら時折、強く腕を前に出すレオン。筋肉質な巨体を持つ大山猫の戦斧ハルバードは見た目を裏切る、しなやかな体捌きで弟子の動きを往なす。

 焦れたレオンが強く右腕を押し出すと、戦斧の巨大な掌から一切の圧力が消えた。慌てて腕を戻した瞬間に、オットーが軽くその腕を押し返す。弟子のバランスは見事に崩れ、堪らずに二の足を踏み出してしまった。短髪のニクセは手を叩いて喜んでいる。


「攻撃した後は、どうしてもバランスが崩れる。それを戻そうとする時には、どうしても隙が生じてしまうものだ。そこを突かれると、人間でもモンスターでも防御が厳しい展開となる」

 総合格闘技ディーフェンドゥーで学生代表まで務めたレオンでも、まるで歯が立たない。オットーの恐るべき実力だった。


「やっぱり師匠には敵いません」

「別に俺じゃなくても、コツさえ掴めれば簡単な事なんだが…… おい、ユーキ。ちょっと手伝ってくれるか?」

 彼らの稽古をヘラヘラ笑って見ていた美青年は、キョトンとした顔で自分を指差す。軽く頷いたオットーは、彼に何やら耳打ちをし始めた。それからユーキをレオンの前に立たせる。どうやら選手交代らしい。


「えー! 無理だよ、僕がレオンに敵う訳ないじゃん」

「まぁ、やって見よう。さぁ、スタートだ!」


 嫌々、レオンの前に立つユーキ。彼も頭一つ分小さな美青年に、ケガをさせないようにと戸惑った動きになる。ユーキの立ち姿は内股で、膝の力が抜けてフニャフニャしていた。頭が少し前に出ており、お尻は後ろに少し出っ張っている。

 贔屓目に見ても、格好の良い立ち姿では無かった。美青年の方から攻撃する気は無い様なので、早めに勝負を負わせるべくレオンが動く事にする。


 ヒョイ


 ユーキは見ていたものがビックリするほど俊敏に、彼の攻撃を受け流した。美青年は闘争が嫌いなだけで、運動神経は悪くないのだろう。戦斧の動きを真似して、繰り返される攻撃を風に柳と受け流す。焦れたレオンが少し強めの掌底を繰り出し、それをユーキが避けた瞬間、オットーが声をかけた。


「はい! 今!」


 美青年は屁っ放り腰で両手を前に出した。その手を受けたレオン。グンっという圧力と共に下から身体を持ち上げられ、足が甲板から浮き上がった。浮き上がった高さと時間は大した事は無かったが、あまりの驚きに着地したレオンは尻もちを付いてしまう。


 大きく目を見開く人魚の少女。それからケロケロと笑い始めた。慌てて彼を助け起こすユーキ。

「大丈夫? どこか痛くしてない?」

「いや全然、大丈夫だが。 ……驚いたな」


 彼はユーキが力持ちである事は、今まで同じ引越作業を行っているので、身に染みて良く分かっていた。しかし最後の突きの威力には驚く。美青年より八十五マーク(約二十キログラム)は重い自分を、一突きで浮き上がらせたのだ。

 これが大剣や大振りの刃物であれば、自分は真っ二つになっていたかもしれない。その驚きから彼は言葉を失っていた。


「今の稽古で分かったことはあるかな?」

 戦斧は弟子に優しく問いかける。レオンはしばらく考えてから、自分の言葉を選ぶようにポツポツと答えた。

「勝敗を分けた攻撃は、やっぱり俺が攻撃から防御に移る瞬間でした。ユーキが力持ちなのは分かっていましたが、あんなに強い突きが打てるとは……」

 それからハッとしたように顔を上げた。


「下半身の使い方だ! ユーキは内股にして膝の力を抜いていた。だから効率よく全身の力が掌に乗ったんだ」

「その通り。手押し相撲は上半身の動きばかりに気を取られるが、大事なのは下半身だ。これは通常の戦闘でも同じだ。相手に力を伝えるには武器の重さか、身体を伸ばした時の土台、この場合は下半身で甲板をしっかりと掴んでいなければ、威力が半減してしまう」

 ニッコリ笑ったオットーは、ユーキに話しかける。

「それにしても驚いた。口で説明しただけで、あの突きが打てるとは。失敗したら顔から甲板に落ちるところだが、怖くは無かったのかい?」


「全然! 顔から落ちる前にレオンが受け止めてくれるって思っていたから」


 フニャリと微笑む美青年。それを聞いた師匠と弟子はアングリと口を開ける。しばらくしてゲラゲラと笑い始めた。戦っていたのに突然笑い始めた、三人を見て短髪のニクセは肩を竦める。



 オットーが昼食の準備に消えた後も、レオンは一人で稽古を続けていた。それを飽きずに眺めていた人魚の少女。そこにケルピーが通りかかる。恐れ奉りながらも声をかける彼女の声に、銀髪の美女が足を止めた。

「これ、レオン。お主は何故、そんなに熱心に稽古を積んでおるのじゃ」

「このまま戦闘が起こった時、俺が足手まといにならないようにかな」

「ちょっとやそっとの修練で、急に技量が上がる分けでは訳でもあるまい」

「船の上ではやる事が無いし、師匠が近くにいるから質問も出来るしなぁ」


 レオンの言い分を人魚に伝えるケルピー。フンフン聞いていた少女が、再度質問する。それを聞いた銀髪の美女は、表情を顰めた。


「私が聞きたいのではなく、ニクセの問いじゃ。答えたくなければ答えんでも良いぞ」

 咳払いの後、ケルピーは言葉を続けた。



「自分より小さくて弱そうな者に負けて、お前は悔しくないのか? と、小娘は聞いておる」

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