第51話 青い小花



「全然怖く無いよ。それに一生懸命、仕事をしてくれているんだから、少しでも気持ち良く働いてもらった方が良いんじゃない?」

 ユーキの言葉に、ケルピーは肩を竦める。彼は船に上がって来た、グリンディローの子供をマジマジと観察していた。


「うわっ、タコみたいな足が生えてる。一、二、三…… 八本だから、君はハッチャンだね」

 ハッチャンは足を触られてくすぐったいのか、身を捩ってキューキューと鳴く。それを見てケルピーは呆れたような声をあげた。

「気軽に我が眷属に名をつけるな」

「え〜、でもグリンディローって長くない? 呼び辛いよ。ハッチャンが駄目なら、グーチャンでもいいけど」

「そういう事を言っているのでは無い」


 銀髪の美女は眉を顰める。しばらくすると成体のグリンディローが、交代で船に上がって来るようになった。初めはおっかなびっくりだった彼らは、ユーキとハッチャンの様子を見て安心するのだろう。渡されたピクルスをボリボリと齧り始めた。

新しい個体が船に上がる度に、ピクルスや他の食べ物を手渡すユーキを見て、彼女はため息をつく。


「人間嫌いの奴らが、ユーキに懐くとは驚いた。言葉も通じないのに大したものだぇ」

 心なしか船のスピードが上がり、揺れが少なくなったように感じる。ユーキの感謝の気持ちが、グリンディロー達に伝わったのかもしれない。

 しばらく深い渓谷が続いていたが山の切れ目から、小さな広場のような岸辺が現れる。岸辺には真っ青な小花が一面に咲き誇っていた。


「うわぁ、綺麗だねぇ」

 ユーキは花畑をウットリと眺めている。その顔を見た子供のグリンディローは、川に飛び込んだ。早い流れにも負けず、あっという間に岸辺にたどり着くと、すぐに船に戻って来た。

「あれ? ハッチャン」

 グリンディローの腕には、青い小花が一掴み握られていた。それをユーキに差し出す。

「僕にくれるの? ありがとう」

 

 ハッチャンはキューキューと鳴き、船底へ戻って行く。そして二度と船に上がってくることはなかった。いつの間にか船は渓流地帯を抜け、水量と川幅を増した中流域へと入って行く。ケルピーは一度川に入り、しばらくして船に上がって来た。


「船の担い手がグリンディローから、人魚ニクセの一族に変わったぞぇ。水妖の縄張りが変わったでな」

「え、じゃあハッチャンは?」

「付いて来たそうじゃったが、諦めさせた。もう一族で上流に帰っておろう。この先も、いくつか縄張りが変わる。グリンディローとあまり友好的でない種族もおるから、子供では危ないし体力が保たんじゃろうしな」

「……そうなんだ」

 ユーキはハッチャンが摘んで来た青い小花を見た。銀髪の美女は、柳眉を上げる。


「その花の名前を知っておるかの」

「分かんない。教えて」

 ケルピーは苦笑した後、少し真面目な表情を浮かべた。

「知ったか振りをしろとは言わんが、少しは自分で考えたらどうじゃ。その花の名は『勿忘草』という。花束を渡した時にグリンディローの子供が、何か言っておったろう。楽しかった、ユーキの事を忘れない。と、言っておったのじゃ」

 美青年はハッとしたような表情を浮かべ、何時迄も勿忘草を見つめていた。


 銀髪の美女は彼を見て肩を竦める。それからレオン達に、船の担い手の交代を知らせに言った。合わせて今後の移動についても話し合っているようで、少し時間が経過する。彼女が戻って来るとユーキは、まだ花束を見つめていた。

 ケルピーは鼻を鳴らして、彼の頭に手を当てる。それから「勿忘草」の名前の由来を説明し始めた。


 昔々、名もない勇者とその婚約者が、ダニューブ川の畔を散策していた。その途中で二人は、対岸に青い小花の群生地を見つける。凄く奇麗だと呟いた婚約者の声を聴いた勇者。危ないから止めろという婚約者を置いて、勇者は彼女に花を手渡すために川へ飛び込んだ……

 

「結末は想像できると思うが、勇者は溺れ死に婚約者の手元には青い小花だけが残った。彼女は生涯、勇者を忘れずに独身を保ったという。これがこの花、勿忘草の名の由来じゃ」

 そこまで話して、銀髪の美女は小さく首を振る。

「だから気軽に我が眷属へ、名前を付けるなと言ったのじゃ。別れるのが決まっている相手に、下手に情を移してもロクな事にはならんじゃろ?」


 美青年の顔を覗き込むケルピー。ユーキは顔をあげて、フニャリと笑った。

「ちょっと寂しいけど大丈夫。チリさんが言ってた事を思い出したよ。死に別れ以外は、本当のお別れじゃ無いんだって。生きていれば、いつかまたハッチャンに会えるよ」


 銀髪の美女は、大きく目を見開く。それから彼の髪の毛をクシャクシャとかき回し、微苦笑した。

「死に別れ以外は別れではないか。確かにそうじゃ。さっさと厄介事を片付けて、またグリンディロー達に会いに行かんとならんな」

「その時は一杯、ピクルスを持って行くんだ。ハッチャン、喜ぶかな?」

「きっと喜ぶじゃろ。どうするユーキ、ニクセ一族にも挨拶しておくか?」

「うん!」


 二人は船縁に向かって歩き出した。

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