第29話 ケルピー登場
オットーと赤髪姫の提案で野営地は川から、かなり離れた場所に設置された。ユーキが理由を尋ねると、赤髪姫は肩を竦めて返事をする。
「オットーの話からユーキ、お前は何かの水妖に魅入られたのだと推測できる。しかも人間の言葉が話せるというのは、モンスターとしても高位の存在になる。かなり厄介だ」
「ユーキは人間だけじゃなくて、モンスターにも好かれちゃうんだねぇ」
ノアは感心した様にため息をつく。エルマは小首を傾げる。
「明日の渡河は大丈夫なのかしら。 ユーキが狙われているのよね?」
「そうだよねぇ。みんなに迷惑が掛かるから僕、この辺で引越が終わるまで待っていようかなぁ」
「そんなの駄目に決まっているでしょう! みんなで一緒に仕事をして、みんなで無事にウビイに帰るの!」
すぐさまエルマが、ユーキを叱り飛ばす。
「まぁ、何とかなるだろう。ユーキは夜、川に近づくな」
赤髪姫は苦笑交じりに肩を竦める。そうだ、彼女は帰らない。その事に皆が気付き何となく気まずい空気の中、野営準備を始めるのだった。
その夜の不寝番をユーキは免除された。見張りをしている時に、モンスターに襲われる、もしくは呼び寄せてしまう危険を回避する為である。
新月の深夜。月明かりも無い暗闇の中を、ユーキはゴソゴソと起き出した。同じテントで寝ていた、レオンを跨ぎ超えて外に出る。闇夜の中で一つ伸びをした。幾つもある篝火替わりの焚火を避けて、暗闇へと歩き出す。
「ユーキさん、一人で出歩いては危険ですよ」
暗闇の中から突然声をかけられて、ユーキは小さく飛び上がる。
「トイレに行きたいんです。用を足したら直ぐに戻りますから! って、シスターは、どうして起きているんですか?」
「何か、モンスターの気配を感じるのです。でも、気配が一定でなくて……」
ゾフィアは闇夜に視線を向ける。小首を傾げて首から銀のネックレスを外し、ユーキに渡した。
「人目の有る所で用を足していただきたい所ですが、そうもいきません。魔除けのネックレスをお貸しします。身に着けておいて下さい」
用を足す所を監視すると言われず、ホッとしたユーキはネックレスを胸ポケットに滑り込ませた。
「ありがとう。すぐに戻るね」
「あの…… 心細いというなら、全然お付き合いしますよ?」
本当に付いて来そうなシスターの気配を感じ、ユーキは慌てて闇の中に逃げ込んだ。
用を足し終わったユーキは、もう一度伸びをした。手を洗いたいところだが、川に近づく事は禁止されている。何となく大木の幹に手を擦り付けていると、近くの闇が白く光った。
「うわっ、綺麗。 ……馬だよね?」
月明かりの無い新月の闇の中に、一頭の白馬が浮かび上がっていた。ユーキを見つけると、恐れることなく近づいてくる。優雅にすら見える仕草で、白馬が鼻先を彼に擦り付けようとした。その瞬間、ユーキの胸ポケットが激しく震え始め、キューンと高い音が鳴り響く。
「あれ? これって……」
「ユーキさん、何がありました!」
野営の方からシスターの声が聞こえる。白馬は優雅な顔を顰めた。
「ちっ!」
「馬が顔を顰めて、舌打ちした!」
白馬は身を翻して、川の方向へ消えて行く。松明を持った騎士とシスターがユーキを取り囲む。ユーキは振動と音を止めたネックレスを、ゾフィアに返した。その手をシスターは押し返す。
「このネックレスが出すのは、モンスターが嫌がる音になります。ウビイに帰るまでは、貴方が持っていて下さい」
「ありがとう。シスターは大丈夫なの?」
「私よりモンスターに慣れていない、貴方が持っていた方が良いでしょう。何を見たのですか?」
「凄く綺麗な白馬! でも顔を顰めて、舌打ちしていたけど」
それを聞いたシスターは眉をひそめた。
「ケルピーですね。これはまた、厄介なモンスターが……」
ケルピーは人間に化けることも出来る水妖だ。大昔から、このダニューブ川や、その周辺の河川に存在している。オスのケルピーは人間の男性に、メスは女性に化け、異性を誘惑して川に誘い込む。
川に入った犠牲者は戻って来ない。どうやら捕食されているようで、しばらくすると、川面に心臓や肝臓などの内臓が浮かんでくる。
「うわぁ。ケルピーって、ホルモンは苦手なタイプなんだねぇ」
ユーキは水妖の事をシスターから教わる。聞けば聞くほどタチの悪いモンスターであることが分かった。
「そしてケルピーは、この辺りでは最も高位なモンスターです。おそらくこの川の主でしょう」
「シスター。本当に僕は足手まといに、なっちゃうねぇ」
「出来る限りのことをします。ユーキさんは心配しないで下さい」
ゾフィアは腕を組み、フンスと息を吐いた。
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