第28話 ダニューブ川の水妖


 森林地帯を抜け、何日か野営を重ねる。夜明け前に起き出し、日暮れと共に眠りに付く生活に慣れ始めた頃、最後の難関に辿り着いた。

「うわぁ、大きな川だねぇ。流れも凄く速い」

「近隣山脈の雪解けの頃は、もっと水量が多い。川幅も倍に広がる。このダニューブ川を越えれば、人里が多くなるんだ」


 見た事も無い大河のスケールに、感心するユーキ。オットーが川の由来を説明し始めた。上流地点であるこの場所でも川幅は330フス(約100m)あり、河口付近では向こう岸が見えない程の大河になる事。水量が多すぎて頑丈な橋を架けることが出来ない事。人間が住み着くズッと昔から不思議な生物が住んでいる事などである。

「この場所に橋を架けるのは、レヴィアタン神様クラスのドラゴンを倒す事より難しいと言われている」


「そうだよねぇ。吊橋を架けようにも足場が無いから、綱を渡せないものねぇ。それじゃあ、この川は渡れないの?」

 ユーキの質問に、オットーは近くの施設を指差した。掘建て小屋があり、その小屋の先から太い綱が二本、遥か向こう岸まで伸びていた。

「川の真ん中位を良く見て見ろ」

「あ、舟みたいな物がこっちに向かってくる!」

 川を見渡したユーキが大きな声を上げる。二本の綱を両脇に固定した鉄環に通した、大型の艀が綱を辿って、こちら側に向かって来ていた。船上には大勢の人々と馬車が乗っている。

「凄い! この方法なら舟よりも安全だし、橋を造るよりも安上がりだよねぇ」

 ユーキも感心した様に首を振る。二本の綱は上流から下流に流れる様に張られていて、オールなどで漕がなくても進むようになっていた。


「あれ? こっちから向こうに行く時は、どうするの?」

 ユーキは辺りをキョロキョロと見回す。すると綱の張られた少し離れたコチラ側から、向こう岸に向かって斜めに張られた、もう一組の綱を発見した。

「そうか! 一往復したら艀を、下った分を引き上げれば良いんだ。そうしたら何度でも、この大河を往復できる。始めに考えた人は頭がいいねぇ」


 初めてダニューブ川の渡し艀を見たグループは、頻りに感心している。地元の人間や何度か見た事のある人々にとっては、当たり前の事なのだろう。普通に乗り降りしていた。


 頻りに感心していたユーキが、川の水に触ろうと手を伸ばす。その瞬間、子猫の様にオットーに襟首をつままれ、彼は宙ぶらりんになる。

「この川はウォーター・リーパ―モンスター界のピラニアの巣窟だ。無暗に手を入れると、指を喰い千切られる」

「ウォーター・リーパーって、どんな魚なの?」

「魚と言うか、何と言うか」


 その時、川を渡る艀の上で一騒動があった。舟に乗り慣れていない羊が一頭、暴れ始めたのだ。

「凄く揺れてるよ。ひっくり返ったりしないかな?」

「艀は両脇をローブで固定されているし、底には大きなセンターボードが付いている。簡単には転覆しないと思うが、危ないな」

 大きな波が来て艀が揺れた時、態勢を保てなくなった羊が横倒しになった。そのまま弾むように水中に放り出される。羊は水中から頭を出し、岸に向かって泳ぎ始めた。その時、羊の周りの水が沸き立つように蠢いた。


「あれがウォーター・リーパーだ」


 羊は何かに水中へ引き込まれ、必死に頭を上げようとした。何度か頭を浮かび上がらせたが、遂に浮かび上がって来なくなる。周りの水の動きは激しくなる一方であった。

 水面に不思議な生物が飛び上がる。大きさは中型犬位。身体は蛙だが手足は無く、代わりに魚の尾と飛び魚の様な翼を持っている。透き通るように真っ白な身体の至る所が、羊の血で赤く染まっていた。

 暫くすると羊の毛皮だけが、水面に浮かび上がってくる。骨をも嚙み砕くウォーター・リーパーは、食べる物が無くなるとまた川の深みに消えて行った。

 

「うわっ、エグいなぁ。アマゾン川のピラニアみたい」

「ピラニアがどんなモンスターか知らないが、水の中は俺たちの世界とは違う仕来たりがある。不用意に川に近づくな」

『はーい』

 ユーキとノアは手を挙げて、良い子の返事をした。その時、どこかから声が掛けられる。


「綺麗な男の子達……」


 いつの間にか銀髪の美女が、ユーキの後ろに立っていた。白い肌に深い鼻梁。青い瞳は彼に向けられている。ユーキはピョコンと飛び上がると、コソコソとオットーの後ろに隠れた。

「おい、どうした?」

「あの人、怖い。凄くヤバい感じがする。元の世界でも似たような女の人に、酷い事をされそうになった」

「元の世界? 酷い事ってなんだ?」

 今はノアと話している銀髪の美女を見ながら、オットーは首を傾げる。


「何度か呑み会に誘われたんだけど、お酒を呑めないって言って断ってた。3回目くらいかな? 断った瞬間、スタンガンを当てられて、動けなくなった所を車に連れ込まれそうになった」

「半分ぐらい言いていることが分からなかったが、命の危険を感じたという事で良いのかな」

「うん、そう。チリさん達に助けて貰ったのだけど、彼女の車には拘束道具やら刃物やらが山積みだったって」

 顎に指先を当てて黙り込む二人。ノアと話し終わった美女が、ユーキの方へ歩いて来た。


「ひぃ!」

 慌ててオットーの陰に逃げ込むユーキ。それを見た銀髪の美女は苦笑する。

「何をそんなに怯えているのかしら、ユーキ?」

「何で僕の名前を知っているの!」

「彼に聞いたわ。川を渡ってイザールのお城に行くのでしょう?」

 美女は首をノアの方に倒す。そしてニンマリと微笑んだ。

「また逢いましょう。美しいユーキ」

 そう言って、川下方面へ歩き去って行った。


 銀髪の美女が消えてから数分後、川下方向からレオンとエルマが戻ってきた。艀の使用状況について確認して来たのである。レオンはオットーに報告する。

「渡河は明日になるようです。今日は時間も中途半端ですし、ウォーター・リーパーが興奮しているから、危ないとの事でした」

「それでは野営準備を始めよう。あぁ、それから銀髪の女性とすれ違わなかったか?」

「いえ、艀小屋とここまでの間には、誰にも会いませんでしたけど?」

 オットーは眉を顰める。エルマは足元を見て首を傾げた。

「嫌だ、誰か川に落ちたの?」

 川下方向に向かって、濡れた足跡が続いていた。その足跡はダニューブ川の畔で消えていた。

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