誰かが語る怖い話
北里有李
ひとつめ 猿孝行
山根直人(仮名) 35歳男性
私は田舎出身で、大学進学を期に都会に出ました。
今では社会人となり、一人暮らしをしています。
一か月前、父の体調が悪化しているということで急遽実家に呼び戻されました。数時間かけて車で戻ったのですが、実家の扉を開けてみると父は普通に出迎えてくれました。
思わず、は?という素っ頓狂な声が口から出てしまいました。
「おかえり」
「え、元気そうじゃん」
「そうなんだよ。昨日までは寝込んでたんだけど、今日起きたらすっかり良くなってて」
私は安堵した反面、肩透かしをくらった気分になりました。それから少し冗談を言って、和やかに家に入りました。
・
折角もどってきたのですから、二、三日泊まっていってもいいなと思い、仕事場に連絡します。簡単に休みをとることができ、私は少しばかりの休養をとることになりました。
今は物置になってしまった自分の部屋に荷物を置き、久しぶりの故郷を散歩することにします。
相変わらず田んぼばかりで、虫が沢山いました。昔登った木や、友達と遊んだ川も見に行きました。
初めこそ何も思わなかったのですが、よく考えると人が全くいないような気がしました。
いくら田舎とはいえ、昼間に外を出歩いて人に会わないなんてことあるのかと思いました。
(まあ、みんな歳取って家で引きこもってんだろうな)
私はそう思って、散歩を続けました。
そういえばと思い、幼なじみの家に行ってみることにしました。彼は確か、歩いていける距離にある農業高校に進学したあと、田んぼを継いだはずです。
高校が別になってからは疎遠になりましたが、久しぶりに会いたいと思いました。
時間は夕方になっていて、ひぐらしが鳴くのが聞こえました。
幼なじみの家に着くと、ビックリするくらいボロボロです。
まるで廃墟です。
(引越しちゃったのかな?)
疎遠だったので連絡もなかったのは仕方の無いことでしょう。念の為ノックし、呼びかけますが反応がありません。私は帰ろうとしました。
すると、突然名前を呼ばれました。
私は驚きました。声は廃墟のような幼なじみの家から聞こえます。ヒビの入った玄関扉のガラスから、わずかに人影が見えました。
ガタガタと激しく揺れながら扉が開きます。中から出てきたのは、廃墟には似つかない綺麗な姿をした幼なじみでした。
見た目はあまり変わっていません。
「ひ、ひさしぶり」
少し面食らった私は、引きつった笑顔でこたえました。
「久しぶり。帰ってきたんだな」
ぎこちなく笑う幼なじみは、私を歓迎していないように見えました。
どこかからケモノ臭がします。
「ちょっと色々あってね。……なんか動物飼ってたりする?」
「いや――あ、うん。最近イヌ飼い始めたんだ。でっかいの」
「へえ、そうなんだ。今度見せてよ」
「ああ、また今度な。それよりさ、今ちょっと手が離せなくて。ごめんな。また今度な」
少し慌てた様子でした。
「そっか。ごめんな、突然」
そう言って別れました。
幼なじみはさっさと扉を閉めてしまいました。その一瞬だけでしたが、幼なじみの黒目が異常に大きくなった気がして二度見しました。しかしガラスから透けて見える幼なじみはもう背中を見せていました。
そういえば、私は幼なじみの記憶と随分違っているはずです。身長も伸びたし、髪も伸ばしました。なぜ分かったのか疑問に思いましたが、幼なじみはそういうものなのかもしれないと、スルーしました。
・
暗くなったころ、実家に戻りました。
もしかしたら何か知っているかもしれないので、両親に幼なじみのことを聞きます。
「ねえ、あいつ何かあったの?」
「何も知らんぞ。何かあったのか?」
「いや、なんかおかしい気がしたんだよね」
「ちょっと前まで体調崩してたらしいわよ。最近元気になったんだって」
「へえ」
両親はあまり興味なさそうでした。
・
その夜、物置部屋を少し片付けてそこで寝ることにしました。
眠っていると、トイレに行きたくなってしまいます。廊下を歩いてトイレに向かいました。
すると、微かに物音がします。
耳をすませると、どうやら庭から音がしているようでした。
私は動物が来たのだと思い、少し覗いてみることにします。窓を静かに開けて、顔を少し外に出しました。
すると、強烈なケモノ臭がして思わず唸ってしまいます。その音を聞いたのか、物音は止んでしまいました。
バレたかと思って私は息を止め、じっとしていました。
しばらくするとまた物音がし始めました。
田舎というのは想像以上に真っ暗でよく見えません。やっと目が慣れてきたのですが、それでもぼんやりとしか見えませんでした。
輪郭がぼやけて見えるのですが、それは3匹の猿のようでした。しかし、猿にしては大きすぎます。
人間ほどの大きさがあったのです。
私は化け物が来たのだと思いました。化け猿はどうやら話をしているようでした。何を言っているかは聞き取れませんが、低く小さな声でした。
私は両親に知らせにいこうと思いました。ゆっくりと頭を引っ込めようとしたのですが、後頭部を窓の縁にぶつけてしまいます。
「いてっ」
一斉に猿たちは私を見ました。
その目は光っています。
私は急いで窓を閉めました。しかし猿たちは走って窓に体当たりをし、割ろうとしていました。
私は怖くて廊下を走りました。
(トイレなら窓はないし、鍵も閉められる!)
そう思った私は、トイレに立てこもることにしました。 鍵を閉めると、外からドンドンと叩かれます。無秩序に叩かれていました。
しばらくすると諦めたのか、音はしなくなります。
しかし足音はしません。
まだそこにいるかもしれません。
突然名前を呼ばれました。父の声です。
「助けてくれ!」
母の声もします。
「ぎゃあ!やめて!」
私は両親が襲われてしまったのだと思いました。ここを出て助けるべきかと思いましたが、恐ろしくて出ることができませんでした。
・
結局、私はトイレで夜を明かしました。
恐る恐る扉を開けると、そこには誰もいませんでした。強いケモノ臭だけが残っています。
しかしそれよりも私を驚かせたのは、家がボロボロになっていたことです。床板は所々腐り落ち、窓はひとつ残らず割れていて、蜘蛛の巣がそこら中に張っています。ホコリとカビの臭いが、ケモノ臭に混ざって不快さを増していました。
私は両親の寝室を覗きました。しかし何の痕跡もありませんでした。汚い畳が残されているだけです。
私はとんでもないことをしてしまったと思いました。両親を見捨てたのです。とんでもない親不孝者です。
警察に通報しようか迷います。しかし信じてくれるか分かりません。
私はとりあえず逃げようと思いました。猿が近くにいるかもしれません。
自分の荷物を取りに向かいます。
小さなカバンですが、仕事の書類が入っていました。
カバンは特にケモノ臭が強く、鼻で息を吸うのがはばかられるくらいです。私は口で息をしながらカバンを持って外に出ました。
車に向かい、エンジンをかけます。
そこまでしたもののどうしていいか分からず、とりあえず人が多いところまで行こうと思いました。カバンから漂ってくるケモノ臭が不快です。私は窓を開けて走りました。
高速道路のパーキングエリアにはそれなりに人がいました。そこで一旦頭を冷やすことにします。車を下りてコンビニに向かいました。
ランチパックとコーヒーを買い、一息ついてコンビニの窓から外を見ました。私はまた仰天します。
私の車の上に猿が一匹いたのです。猿は私の車の中を覗き込み、私のカバンを弄っていました。しかし車内に誰もいないのを確認すると、興味を失ったようです。
猿は他の誰の目にも見えていないようでした。猿は周りの人々に目を移し、男女が乗る赤い車の上に乗りました。その車はそのまま出発し、猿もどこかに行ってしまいました。最後に私と目が合った気がしました。
私は見ているしかありませんでした。猿がいなくなったあと、すぐに車に戻ってカバンを車外に投げ捨てました。
窓を開けて臭いを垂れ流しながらここまで来てしまいました。臭いを辿っているなら、カバンを持っているだけで危険です。
私はそのまま家まで逃げ帰りました。
今のところ何も起こっていませんが、実家とは連絡がつきません。でも行きたくはありません。
あの猿が何だったのかは分かりません。できれば私はもう関わりたくありません。
もしケモノ臭がするカバンが落ちているパーキングエリアがあれば、すぐに離れてください。私が落としたのは一か月前で、まだあるかもしれません。それにあのパーキングエリアに猿がいてもおかしくありません。
私に出来る罪滅ぼしは、ここに書くくらいです。気をつけてください。
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