第22話 negotiating for survival
人間に産まれつけば、必ず逃れ得ぬ宿命。
そう、それは「死」である。
そして多くの王侯貴族や権力者、そして研究者たちが、その宿命から逃れる為に抗ってきた。しかし、人類の歴史においてそれが達成されることは無かった。
そしてこれからもきっと。
そう思っていた。
しかし、俺、カーティス・レインは、この島に来て知ることとなってしまった。
その運命から逃れてしまった存在を、二人も。
アルクアード・ブラッドバーン男爵。
レーリア・クローデット子爵。
二人は、確かにヴァンパイアだった。
人から不死の存在へと至った存在。
ヴァンパイアハンターなんて名乗っておいて言うのもなんだが、俺自身、『ヴァンパイア』なんていうおとぎ話を心底信じていたかと問われれば、その自信はない。いや、正直に言えば半信半疑ですらあった。
姉リーファの死、その悲しみと怒りをぶつける先が、欲しかっただけなのかもしれない。
相手がヴァンパイアであろうと、そうでなかろうと、大陸で起こっていた、首筋に穴の開いた不可解な殺人事件を追っていれば、いずれは姉を殺した犯人に辿り着く。そう思っていたのかもしれない。
今思えば、あの遺体の穴も、二人が相手を殺した後に、意図的につけたものなのだろう。そんな単純なことにすら気づかないほど、俺は盲目であり、愚かだった。
そう思って、目の前の二人の顔を見る。
そしてこの時ほど、人間の純粋さが、その笑顔が恐ろしいと感じたことは無かった。
……この二人は。
信じていたのだ。
最初から。
ヴァンパイアの存在を。
まるで夢を追いかける子供の様に。
まるでおとぎ話に憧れる子供の様に。
ただ真っ直ぐに、純粋に、少しの疑いも無く、その夢を追い続けた。
ただ、その夢が、取り返しがつかないほどに歪んでいただけで。
死の運命から逃れるために、捜索し、研究してきた。
本物のヴァンパイアをあぶりだす為の人殺しも、彼らにとってはただの実験。
そして、その願いが叶う瞬間が、今、本当に目の前に来ている。
彼らにしてみたら、この土壇場でその障害になりうるものは、例え石ころでも排除するだろう。
つまり……。
残念ながら、この場での俺の死は確定的だ。
どんな交渉も、温情も無く、無駄に終わるだろう。命乞い等、するだけ無駄だった。
(……ここで、死ぬのか……。)
そう考えて、意外にもあっさり覚悟を決めることが出来てしまった自分に驚いた。
兄同然に慕っていた人を戦争で失い、姉を失い……思えば俺の人生の幸せは、あそこで終わっていた。その後の旅も、刹那的には楽しい事もあったけれど、他人の死の事件を追い続ける事に、心が蝕まれていた。
……疲れた。
心残りは無い、と言えば嘘になる。
姉を殺したこいつらを地獄に送ってやれなかったことを除いては。
しかし、こいつらの方が、純粋に醜悪な夢を、人生をかけて追い続けてきたこいつらの方が、何枚も俺なんかより上手だった。
もっとも、その殺人犯と、何年も長い間旅なんぞをしてきてしまった自分が許せなかっただけなのかもしれないが。
……しかし。
一人の女性の顔が頭に浮かんだ。
死の宿命を手放した代わりに、悲しき愛の宿命を背負った、美しいヴァンパイアの姫の顔が。
帰ってくると約束した。
待ってるわ、と言ってくれた。
だから……。
(……まだ、死ねない!)
屈する寸前だった心が、最後の底力で立ち上がった。
「……おかしいとは思っていた。」
「うん?」
俺の発した言葉に、笑みを浮かべたままウォーレンは怪訝そうに首を傾げた。
今の俺に、与えられたミッション。
それは……。
少しでも会話を繋ぐ。それしかない。
生き残るために。
こいつらの優越感と、サディスティックな欲望を刺激しつつ、少しでも隙を見せる瞬間を、そのチャンスを増やすしかない。
「フィルモアでの最初の被害者。ちぎれたバックのベルトが落ちていた。ヴァンパイアが物取りなんて、おかしな話だ。」
「極悪非道のヴァンパイアだもの、物取りだってするでしょう。それに、あの時、こいつを手に入れることも出来たしね、ツイてたわ。」
思った以上に核心に触れた発言だったらしい。今度はアリスが、優越感にまみれた表情で、一つの小瓶を取り出した。その瓶には、真っ赤な液体が入っていた。
「それは……。」
「前に話しただろう? ここの名産品さ。まあ、免許制の規制で一般に流通してないからな。殺したのがロチェストの花の業者だったとは、偶然とは恐ろしい。こんな遅効性の猛毒なんて珍しい代物、殺人鬼にとってはワクワクせざるを得ないだろ?」
美しい七色の染料の材料となるロチェストの花、それがここの名産品だ。しかし、その花には強い幻覚作用と毒性があり、花粉を吸い続けただけでも死に至る。だから、不死の存在、ヴァンパイアであるアルクアード男爵が、その花の管理を任されている。それくらいは俺でももう知っていた。しかし、正直今の俺にとってはそんな話はどうでもよかった。
「どうしてもわからない。」
「何がだ? 折角だ、冥土の土産に教えてやるぞ。」
俺の作った苦しそうな表情に、優越感たっぷりで返すウォーレン。
「シャロンもそうだが、何故、俺たちを仲間にしたんだ。二人からすれば、バレる危険性もあっただろうに。」
これは本当に謎だった。少し間違えば、自分たちが仇であることがバレかねない。ウォーレンはともかく、完璧主義のアリスが気まぐれでそんなことを良しとするとは考えづらかった。
「あら、あなたには分からないのね、カーティス。もう少し頭が回るかと思ったけど。」
「なに?」
「便利なのよ、あなたやシャロンが居てくれるとね。何かに疑われても、あなたたちは決してぼろを出さない。だって、あなたたちは本当に殺人犯を追っている正義の味方なんですもの。私達、あなたたちと同じように行動し、あなたたちと同じところで不審に思い、あなたたちと同じような感情になればいい。言うなればあなたたちは無実の人の先生。とっても助かったわ。後はそうね、情報収集は人が多いほうがいいし、それに……面白いじゃない、仇が目の前にいるのに、仇を追う、なんて。ふふふふ。」
(貴様!!)
ブチッ!
……とキレて、殴りかかるところを何とか押しとどめた。分かっている、それはすなわち、その瞬間での即死を意味する。俺は、レーリア様の為にも死ねないのだ。
しかし、その時、アリスは意外な言葉を放った。
「あら、カーティス、正直あなたはここで殴り掛かってくるものだと思っていたのに……。というか、これまでのあなただったら確実にそうしたでしょうに、どうしたの? 何か心境の変化でもあった?」
(!!?)
これは、チャンスだった。なぜかわからないがアリスが俺の行動に興味を示している。そしてこれは軽口や挑発ではない。本当に興味を示しているのが分かった。悔しいがそれが分かるくらいには長い付き合いだった。
「……あんたの事だ。俺が殴り掛かったら、その瞬間に、そのマントの下で構えている銃で撃ち殺されている。それくらい俺でもわかるさ。……許せない相手ではあるが、それなりに長い付き合いだったからな。」
「……ふうん、『抜け目ない事』 について信頼してくれているってわけね。」
「……ああ。ついでに言わせてもらえば、絶体絶命なのは分かっているが、出来る事ならば死にたくはねえ。」
「……ふうん、そう。」
なんだ、この会話は。
理由は分からないが、さっきこいつらは「時間がない」と言っていた。であれば、必要のない会話はしないはずだ。仮にも仲間だった俺を、最も気持ち良い形で殺して、とっとと次の行動に移るはずだ。俺の思惑などどうでもいい。
「ですって、ウォーレン。」
「……ああ。」
アリスが、俺から目を離さずに、ウォーレンを促した。ウォーレンは、気持ち悪い笑みを収めて、真面目な表情になって俺を見つめた。
(……もしかしたら。)
俺は、一縷の望みを抱いた。
冷静沈着、そして残虐、冷酷。それはアリスには当てはまる形容ではあるが、ウォーレンは別だ。どちらかと言えば、彼は、アリスに比べれば情に脆く、感情的な男だった。この長旅の間、俺とウォーレンは、たった二人の男同士の仲間だった。ヴァンパイアの討伐を誓って、二人きりで朝まで飲み明かしたこともあった。
もしかしたらウォーレンは、俺を仲間に引き入れたいのではないか。それをアリスに願い出たのではないか。少なくとも、この数年、俺とウォーレンは、親友であり、信頼できる仲間であり、ウォーレンからすれば俺は可愛い弟分だった。勿論、今はそんな気持ちは微塵も無いが。
(しかし、だとすれば……チャンスはある。)
慎重に言葉を選ばねば。
そう思った俺に、ウォーレンは口を開いた。
「なあ、カーティス。お前、金は大事か?」
「……何を。」
「良いから答えろ。」
「……生きるためには必要なものだ。」
慎重に言葉を選ぶ。決して相手を全肯定してはならない。そんなうさん臭い回答をすれば、すぐに見破られる。あくまでも自分に嘘のないように、かつ、ウォーレンのお眼鏡にかなうよう方向にずらして返答しなくてはならない。
「その通り。しかし、金ごときのために人を殺すなんてもってのほかだ。そんなことが下らんことくらいは俺も分かっている。俺たちがやって来た殺人も、本来ならばやってはならないことで、やるべきではないことだ。」
「……ああ。」
ウォーレンが、連続殺人犯らしからぬ言葉を発した。
「……しかし、もしも、もしもだ。金で寿命が買えるとしたら、人間はどうなると思う。」
「え?」
「どんなことをしてでも、人を殺してでも、金を集めるだろう。全人類は寿命のために人殺しをする。正義も倫理の道徳もお構いなしでな。そういう生き物だ。」
あくまでも仮の話だ。そんな世界は存在しない。しかし、もしもそういう世界が明日、突然現れたとしたら、確かに、人間はウォーレンが言った通りの行動を取るだろう。残念ながらそれは正しかった。
「それは仮の話で、そんな世界は存在しない……が。」
「が?」
「もしも、本当に突然そんな世界になれば……あんたの言っている通りになるだろうな。」
自分らしく前置きし、相手の意図を汲んで肯定する。その俺の返答にウォーレンは少し嬉しそうに目を細めた。
「そう、そうなんだ。……ではな、カーティス。もしも、永遠の命が手に入るかもしれないとしたら? そしてこれは……仮の話では無いんだ。なあ……おかしいか? なあカーティス、果たして俺はおかしいのか?」
「……いや。」
おかしくは無かった。
いや、ウォーレンは狂っている。しかし、その狂う理由の説明に筋が通っている、と言うべきか。
しかし、もう俺は知っている。ヴァンパイアは永遠の命を謳歌している上位の存在などではないと。
ヴァンパイアは、自分をヴァンパイアにした者を殺す、或いは自分をヴァンパイアにした者に殺される宿命を背負う、悲しい存在であることを。
そしてそれが故に、誰とも同じ時間を歩むことを許されない、孤独な存在であることを。
ともあれ、俺の肯定に満足したように、ウォーレンは言った。
「カーティス、お前が俺を理解してくれて嬉しいよ。……なあ、お前が協力してくれるなら、お前の命は助けても良い。正直お前を手にかけるのは寝覚めが悪い。」
来た。ここだ。
「正直……俺もあんたと過ごした数年を嘘だったとは思いたくない。……何を協力すればいい?」
慎重に、慎重に言葉を選ぶ。
「俺たちはこれから、シャロンを人質に男爵家に向かう。そこでことがうまく運べばよし。しかし、もしも交渉が決裂した時には、お前の手助けが必要になる。」
「……つまり、レーリア様への取次ぎ役ってことか。」
「理解が早くて助かる。」
問題ない。これを了承することでこの場を逃げ切れるならば。逃げ切ってしまえばやりようはいくらでもある。男爵家までついて行ければ、男爵も、あの猫娘も、もしかしたら伯爵も居るかもしれない。聡明な彼らの事だ。俺やシャロンの安全を考えて動いてくれるに違いない。
それに、この二人の発言からすれば、俺の利用価値があるのも確かだった。無事に目的を果たすまでは俺を殺すことはすまい。
問題があるとすれば、この用心深い二人が、果たして信頼できないであろう俺を、男爵との取引の間、どうするのか、だ。
ヴァンパイアになる。
それだけならば、可能だろう。
しかし、その願いが同時に二人分叶うことは無い。
「二人がともにヴァンパイアになる」
その願いを持った時点で、彼らの行く末はもう詰んでいるのだ。
そのことは、目の前でブラッドバーンを目撃した俺は痛いほど理解していた。
つまり、彼らが男爵邸までたどり着いた時に、俺が五体満足ならば、この勝負は俺の逃げ切り勝ちとなる。
体を縛られ、拘束された状態で男爵邸に連れて行かれるくらいならば、問題なさそうだった。
「……わかった。確かに、俺ならばレーリア様には問題なくお目通り出来るだろう。その役目、引き受けよう。でも、どうするんだ。二人はまだ俺を信用してないだろうし、二人が男爵邸に行っている間に俺を自由にさせておくわけがない。」
「ああ、その通りだ。」
『だからお前を縛り上げて、男爵邸まで連れて行く。』
その発言を予想していた。そしてそうなれば俺の勝ちだ。
もう少し緩いラインでは、『人気の無い倉庫に、お前を縛り上げて監禁しておく。』あたりだろうと思っていた。
しかし、俺のその考えは脆くも崩れ去った。
ウォーレンは、懐から小瓶を取り出して、俺を絶望に叩き落した。
「お前には、これを飲んでもらう。」
「……それは。」
「ロチェストの原液だ。なに、薄めてあるからすぐには死にはしない。幻覚を見て、意識がもうろうとはするが、命が尽きるのは丸3日ってとこだ。無事に俺たちがヴァンパイアになって戻って来た暁には、死にかけのお前をヴァンパイアにして助けてやるさ。もしも男爵との交渉が決裂したら、お前を馬車でフィルモアまで運んでやる。そこで仕事を果たしてくれればいいさ。なに、夢の中のお前は、特に何もする必要はない。」
くそっ……抜け目ない。
心の底からそう思った。
恐らくアリスの提案だろう。最初からそのつもりだったのだ。
二人からすれば、俺を生かしておくはずはない。
しかし、レーリア様への人質としての俺の役目も手放せない。
その二つを網羅して、決して逃げられない、そんな選択を用意していた。
当然、二人のうちの片方が仮にヴァンパイアになって戻ってこられたとしても、俺をヴァンパイアにして助ける可能性なんてあり得ない。そして更に仮に、ヴァンパイアになって助かったところで、その先の運命は詰んでいるのだ。
「……本当に、戻って来てくれるんだろうな。」
到底受け入れられない。しかし、そう答えるしかなかった。
ロチェストの原液を飲んだ瞬間に死は確実。それは出来ない。
しかし、依然として二人の銃口はこちらに向けられている。おかしな行動を見せれば、即座に撃ち殺されるだろう。致命傷を避けられたとしても、傷を負うのは確実だ。その状況で飛び道具を持っている二人を素手で倒すのは無理がある。
「もちろんよ。私達がヴァンパイアになれば、あなたが生きてようが死んでようが、私達の存在を脅かすことにはならないもの。ウォーレンの顔を立てて、あなたを生き永らえさせてあげるわ。」
本心だろう。そう思った。
俺はアリスのことを良く分かっていた。本来ならば、きっとこの女は自分がヴァンパイアになった暁には、何のためらいも無く俺を見捨てるだろう。しかし、俺を殺したくない……は、言い過ぎにしても、俺を殺すことに少しの躊躇があるウォーレンの存在は大きい。それに、宿屋に縛り上げられた遺体を放置すれば、島を行き来する港に戒厳令が敷かれるかも知れない。その後の島からの脱出が面倒になる障害を考えれば、俺を助けることなど大したデメリットにはならないだろう。
しかし、それは、実現不可能な未来だ。
アリスとウォーレンが共にヴァンパイアになって戻ってくることはあり得ない。
そして、その時点で仮にどちらかが戻って来たとしても、全てを理解した二人が、俺をヴァンパイアにする選択を取ることはあり得ない。まあ、そもそも、この真実を黙っていたとわかった時点で、俺は恨みの対象でしかない。
(クソッ!)
「分かった、その小瓶をこちらに。」
詰んだ。
もう交渉でどうにかなる状況では無い。
せめて受け渡しの際に、少しの隙が出来れば。
「いいえ、あなたはそこの椅子に座って、持っているロープで自分の足を固く縛りなさい。」
本当に抜け目ない。
俺たちヴァンパイアハンター……と呼ぶのも今となっては胸糞悪いが、俺たちは旅の最中に、小型ナイフやハンマー、乾いた布など、必ず持ち歩いている道具がいくつかあった。突然必要になることが多く、何度も助けられた厳選されたアイテムたちだ。当然ロープもその中に入っていた。
そして、それで足を縛ってしまえば、もう逃げるのは不可能。ウォーレンに腕を抑えさせて。アリスが俺に原液を飲ませる、とそういう算段なのだろう。
(どうする、どうする……。)
「ああ、わかった、あんたらを信じよう。生き残るためにはそれしかなさそうだ。」
「安心しろ、ヴァンパイアになった暁には、俺がお前を助けてやる。」
(どうする、どうする。)
俺は、自分の背に配置されている椅子に向かうために二人に背を向けた。
「はぁっ! くっ!」
その刹那、シャロンが苦しそうな声を上げた。
そのシャロンの声に、二人が一瞬気を取られた、かどうかは見えていないから分からない。しかし、その気配を感じた気がした。それを信じるしかなかった。
俺は、これまで生きて来た人生で最大限に、自分の両足に力を込めた。そして二人に背を向け、位置的に自分の正面となった窓に向かって全力で飛び込んだ。
「!!」
ドンッ! ドンッ!
やはり、シャロンに一瞬気を取られていたのだろうか、二人が息をのむのが分かった。そしてその後、銃声が響く。
いくら飛び道具とはいえ、連射は出来ない。最初の二発さえ凌いでしまえば……。
(っつッ!!)
しかしその刹那、肩と左腿に激痛が走る。狭い部屋でこの距離で弾丸を避けることなどやはり無理があったようだ。
(致命傷を避けられただけでも儲けものか。)
そう思いながら、俺は二階の窓から、裏通りの路地に落ちて行った。
******
「大丈夫、手ごたえはあったわ。追いましょう。」
そうウォーレンに声を掛けてアリスは走り出した。
この宿の入口は、大通りに面した扉のみ。仕入れ用の裏口はあるが深夜は南京錠で施錠されている。そしてカーティスが落ちて言ったのは裏口のある路地の方だ。少し手間だが、回り込まなくてはならない。
アリスとウォーレンの二人は、階段を駆け下りながら、自身の銃に銃弾を込めた。あの怪我だ、そう遠くへは逃げられまい。
そして、カーティスが窓から飛び降りでちょうど60秒後。
散らばったガラス片以外に、そこには何も無かった。
「どっちに逃げた。」
ウォーレンが辺りを探るが、人の気配は無い。
「私たちは時計回りで、宿屋を回った。カーティスを見かけなかったということは、彼も時計回りで逃げた様ね。足には当てたと思ったけど、それほど傷が深くなかったのかしら。……運のいい事。」
「アリス、どうする?」
アリスは、顎に手を当てて少し考え込んだ。
仮にカーティスが生きていたとして、彼はこれからどうするだろうか。
ブラッドバーン男爵とやらの屋敷に向かい、助けを請う? 別に行きたいのなら行けば良い。こちらはシャロンを人質に取っている。私の感が確かならば、恐らく男爵にとってシャロンは容易に見捨てるのには忍びない存在のはず。であれば、カーティス一人が加わったところで大したことは無い。不意を突かれない限り問題は無いはずだ。
では、レーリアとかいうお隣の子爵のもとに向かうか? それも問題は無い。カーティスという手駒が居なくなった時点で、そもそも子爵に取次ぎを頼むことは出来ない。また一から作戦を練らねばなるまいが、それも、あくまでもブラッドバーン男爵の方が失敗に終わった時の話でしかない。
ではさらにそれ以外、潜伏して復讐の機会を待つか、大陸に逃げるか。どれも問題ない。彼の傷が癒えて復讐のために戻って来た時には、もう私たちは不死の存在だ。
それに、いま彼を追いかけて、万が一にも不意を突かれ銃で撃たれようものなら、それこそ目も当てられない。
「放っておきましょう。どうせ彼には何もできないわ。」
アリスは顔を上げ、ウォーレンにそう言うと、用心しながら宿屋の入口に向かって歩き出した。ウォーレンもそれに従うように後に続いた。
「明け方、手配していた馬車が到着するわ。街が動き出す前に、シャロンを乗せて、場所を移動しましょう。ここさえ離れてしまえば、手負いのカーティスが一人で出来る事は何もない。」
「ああ、そうだな。大人しくしていれば、仲間にしてやろうと思ったのに。全く、馬鹿な奴だ。」
「さあ、準備しましょう。私達の長年の悲願の為に。」
そう言い合う二人の目には、逃げた弟分に対する蔑みや落胆などの感情は微塵も無く、ただただこれから迎えるであろう輝かしい未来への希望の光に満ち溢れていたのだった。
(つづく)
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