第5話 シャロン・ハートフィールド
四年前……。
そこは大陸の小さな田舎にある港町、その外れにある墓地。
まだ十四歳になったばかりの少女、シャロン・ハートフィールドは、雨に濡れ、両親の墓の前に佇んでいた。
「お父さん……お母さん……。私は、これからどうしたら良いの。」
シャロンの両親は何も答えない。つい先日まで、共に夕食を囲み、他愛のない話をしていた、その優しい父と母は、突然の事件に巻き込まれ、今は土の中で眠る骸となった。
「ねえ、私、独りぼっちだよ。まだ何にも出来ないよ。どうしたら良いの。」
両親を失った今、兄弟のいなかったシャロンは、本当の天涯孤独となってしまった。父親は漁をして、街に行き、魚を卸す仕事をしていたが、船に乗ったことも無く、父の仕事を手伝ったことも無いシャロンには、父の仕事を継ぐ事は到底出来なかった。
「おう、嬢ちゃん。」
ふと呼び掛けられ、後ろを振り返る。そこには三人の男女が立っていた。
「すまねえな。助けてやれなくて。」
「いいえ。この度は、ありがとうございました。アリスさん、ウォーレンさん。」
少し顔を伏せてそう言ったウォーレンに、シャロンは礼を言った。
彼らは、殺人事件が多発していたこの地域で、その事件を追っている人間であったらしかった。シャロンが昨日、少し話を聞いた限りでは、その犯人の足取りを、この村の付近まで追ってきていたところだった、とのことだった。
(あの時、彼らが入って来てくれなかったら、おかしくなっていたかもしれない。)
何者かに両親が殺された。
夜、おかしな臭いと物音に異変を感じ、目覚めたシャロンが両親の部屋に行くと、そこには、むせ返るような血の匂いと共に、居るはずのない、あるはずのない三人目の人影があった。強盗の類か何かはわからない。しかし、確かに手に刃物を持った何者かが、両親を殺害していた。正確にはそれは、明らかに殺害した、と形容できる様な光景であった。
「いやぁー!!!」
その犯人は、シャロンの叫び声に反応すると、その声の主の少女に照準を合わせた。月明かりを背にしたその暗黒の人影が、禍々しい雰囲気を放っていた。いや、もしかしたらこれは人間では無いのかもしれない。
「だ、誰か! 誰か!!」
気絶しそうな精神をギリギリつなぎとめて、全ての力を振り絞って、シャロンは叫んだ。しかし、こんな時間に都合よく誰かが来るはずなんてない。シャロンは死を覚悟した。
その時であった。
「どうしたの!? 凄い悲鳴がしたけど!」
家の入口で女の声がした。
(誰かが来てくれた!)
シャロンがそう思った瞬間、その犯人はシャロンを突き飛ばし、家の出口に向かって、脱兎のごとく突進していった。
「貴様! 止まれ!」
視界の外、遠く耳の後ろの方で聞こえる女の怒号。
「クソッ、テメエ、逃がすか! アリス、俺はあいつを追いかける。中を頼む!」
次いで男の声が聞こえる。男は女にそう言い残し、その場を去ったようだった。
しばらくして一人の女が部屋に入って来た。先ほど声をかけてくれた救世主だ。
「うわっ……これはひどいわね……。ねえ、あなた、平気? もう大丈夫よ?!」
「ああああああっ……。」
女は茫然と座り込む少女を見つけ、そう言った。その言葉に緊張の糸が切れたシャロンは、泣き叫ぶしかなかった。
暫くして、息を切らして、先ほど声のした男の方――ウォーレンが、村長を叩き起こし、数名で戻ってきたが、尋ねられた犯人の行方については、小さくかぶりを振るだけであった。
「どうだ。」
「みて、首元に穴が開いている。やっぱり、これもヴァンパイアの仕業ね。」
「そうか、ここでもか。」
「ヴァンパイア? まさか……。」
話し込む二人に、村長が尋ねる。
「聞いたことないか? 確かに伝説上の生き物だが、最近、王都や各地で、ヴァンパイア殺人事件が多発しているって。」
「確かに、どこかでそんな噂を聞いた、という者が村にも数名……。」
「俺たちは、ずっとその犯人を追っているヴァンパイアハンターだ。絶対に捕まえなくちゃならないんだ。」
男は、確かに決意に満ちた目でそう言った。
(ヴァンパイア……。ヴァンパイアハンター。)
※※※※※※
「私たちは今日、この村を出るわ。気を落とすな、ってのは無理だろうけど、早く元気になってね。助けてあげられなくてごめんなさい。」
そうアリスに声を掛けられ、墓前のシャロンは我に返った。
もう自分には何もない。もう自分には誰もいない。
そう思ったシャロンの心に、一筋の光が灯った瞬間だった。
「……おいおい、お前、まさか。」
若い方の男が、シャロンの目を見て呟く。彼は、ウォーレンとアリスのもう一人の仲間らしかった。そして、先日の事件の際には、宿で眠りこけて居たらしい、という事は聞いていた。
「ん? どうした、カーティス。」
カーティスと呼ばれた男が答えるより早く、シャロンは言葉を発していた。
「私も、ヴァンパイアハンターになります!」
しばし、場を沈黙が支配したが、やれやれ、と言った感じで、ウォーレンが口を開いた。
「嬢ちゃん。君はまだ若い。こんな血なまぐさい仕事をしなくても、幸せな道は沢山ある。それにヴァンパイアを追うんだ、正直いつ死んでもおかしくない。悪い事は言わん。止めておけ。」
「私にはもう何もありません。お父さんとお母さんを殺したヴァンパイアを見つけ出して、必ず復讐する。もうそれしかありません。お願いします、私も連れて行ってください!」
食い下がるシャロン。それを見て呆れ顔のウォーレンに、若い男が口をはさんだ。
「良いんじゃねえか?」
「カーティス!」
「俺だって、この子と同じだ。気持ちは分かる。それに、この村に居ても仕事が無いんなら、旅に出た方がまだ稼ぎ口はあるってもんだ。」
ウォーレンは助けを求めるようにアリスを見るが、アリスは肩をすくめるだけだった。
「でも……旅にはそれなりに経費が掛かるし……その……。」
「私のお父さんはこの辺りで一番の漁師でした。私を王都の学校に行かせてくれるはずだった貯えが家のどこかにあるはずです。それにお家を売れば、しばらくお金には困りません。」
「……だってさ。」
アリスの言葉に、肯定の意を感じ取ったのであろう、ウォーレンは首を縦に振るしかなかった。
「わかった。出発は延期だ。彼女が旅支度を整えるまでな。」
「ありがとう、ウォーレンさん、アリスさん。」
「『さん』はいらないわ。」
シャロンの旅支度を整えるために、歩き出すウォーレンとアリスの後ろで、シャロンはカーティスと呼ばれていた、若い男に声を掛けた。
「あの、さっきはありがとう。あの……私と同じって?」
「あ? ああ、言葉通りの意味さ。俺も、ヴァンパイアに姉さんを殺されてな。」
カーティスは、頭をくしゃくしゃと掻きながらシャロンのその疑問に答えた。
それを聞いた瞬間に、シャロンの脳裏に一昨日のあの光景が蘇った。少し吐き気をもよしたが、もはやそれよりも、怒りの炎が先に燃え上がった。こんな事ではあるが、人生において初めて「目標」と呼べるものが出来たのだ。そんな、怒りと言うよりも、決意に近い感情の炎だったかもしれない。
「……ごめんなさい。」
しかし、きっと、この先、ずっとあの光景を忘れることは出来ないのだ。シャロンも、そしてカーティスも。出来る事なら思い出さないほうが良い。しかし、知らなかったとはいえ、今、彼にはきっと、正にその時の光景を思い出させてしまった。
シャロンはそれを申し訳なく思い詫びたが、カーティスは爽やかに笑い、彼女に手を伸べた。
「カーティス・レインだ。よろしく。」
「シャロン・ハートフィールド。よろしく、カーティス。」
シャロンは、その手を握った。
彼との、この先の長い戦いと、戦友の絆と、お互いの運命など知る由も無く。
こうしてカーティス・レインとシャロン・ハートフィールドの運命は始まった。
――それから数日。
村長に、現金化してもらった家の管理を頼み、四人がかりで探し当てたシャロンの両親の貯えを
「さあ、行こう。まずは街に出て、シャロンの装備を整えないとな。」
「改めてよろしくね、シャロン。」
歩き出す三人。
シャロンは街を振り返った。
(……さようなら。お父さん、お母さん。仇を取ったら、きっと戻って来ます。)
こうしてシャロン・ハートフィールドの数奇な運命は、両親の死、という望まぬ事件をキッカケに回りだしたのであった。
******
ルークシアの酒場「マクブライト亭」から北へしばらく歩くと、そこは森林地帯の外れだった。そう、ここはこのアトエクリフ島で唯一、私の領地である、ブラッドバーン男爵領だった。とはいえ、館のある森の入口は別の方角にあるため、本来ならば道を迂回しなくてはならないところだったが……。
(直線距離で進めば、距離は四分の一ほどだからな。)
私、アルクアード・ブラッドバーンは躊躇なく、草をかき分け、森の中へ入っていった。
入口は、生い茂った草木で少々入り辛いが、中に入ってしまえばそれほど歩くのに困難なことは無い。何度も、それこそ数百年も通った道だ。逆に私の足跡でならされている説まであるくらいだった。
店を出た時は夕方くらいだったが、しばらく歩いたせいでもうすっかり辺りは暗くなっていた。もう間もなく月が見え始める頃合いだ。
(さて、どうしたものか。)
私は少々思案した。
後をつけられている。
本来であればここに、「何者かに」という言葉を付け加えたいところだが、残念ながら、その追跡者が何者か、は分かっていた。
マックスの店で、派手にすっころんでいたあの娘だ。
恐らくこの島の人間ではないだろう。少なくともロチェスターでは見ない顔だった。適当に束ねてはいたが、それほど彼女の美しい金髪は印象的だった。
このまま、彼女を撒いてしまうのはまずい。
この森で迷子になって、間違えて奥の方に入りこんで、ロチェストの花畑に辿り着きでもしたら事だ。確実に彼女は、死の花の栄養分となってしまうことだろう。それは流石に気が引けた。
それに、彼女は「ヴァンパイア」と「使い魔」という単語に反応していた。
もしも彼女が大陸からの人間であった場合、そしてもしも彼女に他に仲間が居てヴァンパイアを探しに来ていた場合は、少々面倒なことになる恐れがある。彼女の目的を確認する必要がありそうだった。
「どうにかして話し合いに持ち込みたいところだが……。」
私はしばし背後を気にしながら歩いた。常人の気配察知能力ではわからないだろうが、やはり確実に追ってきている。彼女もなかなかの尾行能力をお持ちの様だ。
私はその先にある小さい岩山に腰を掛け、彼女を待つことにした。
「ヴァンパイアを追い求める人間には、その目的は三つしかない、か。」
私はふと呟き、その三つを思い描いた。果たして彼女の目的は、その三つのうちどれだろうか。
私にもこの先の展開は予想もつかなかったが、まあ良いだろう。この永劫の時を生きるヴァンパイア。少しくらいスリリングな事件を楽しんでもバチは当たるまい。
そう思い空を見上げる。そして木々の隙間から綺麗に見えた、現れたばかりの月に軽く心の中で挨拶を交わした。
待つことしばし。
彼女が追い付いてきた。
こちらからは確認できないが、恐らく、僅かな気配から、目と鼻の先にある大木の裏に隠れている様子だった。
(さてどうしたものか……。)
急にここから降りて近づいて、パニックになり逃げられても困る。とはいえ「誰だ!」と叫んでも同様の可能性がある。出来れば、上手く穏便に話し合いに持ち込みたいところであるが。
(うーむ。)
なんとなく独り言のような発言をしてみて、あの娘が私の発言に慣れてきたあたりで徐々に気づいている感を
うん、これだ。
「はぁ、ここだけは、いつも、木が邪魔をせずに月が綺麗に見えるな。」
私はこの謎に難易度が高いミッションに着手した。
「この場所はいつ来ても思い出す。」
わざわざ独り言を言う、と言うことがこれほど道化だとは思わなかった。はっきり言って恥ずかしい。
私が、謎の気恥ずかしさに自爆していると、木の裏からかすかに声が漏れ聞こえた。
「……独り言?」
いや、聞こえているから。
まあ、とはいえ、私の聴力は常人のそれを遥かに凌ぐ。過去にメルにも確認を取ったが、ヴァンパイアになると耳が良くなるようだ。何故かはわからないが、きっと何らかの意味があるのだろう……。
「何年経っても、何百年たっても、ここだけは変わらず私を迎えてくれる。」
「……随分大きな独り言ね。」
再び呟く彼女。
何をやっているんだ、我々は。よし、今度は少し、投げかけてみよう。
「なあ、そうは思わないか?」
「……誰と話してるのよ、怖い……。」
ごもっともです。ってか君だ、君。
どうやら発信内容を間違えたようだ。
いい加減私も面倒になって来たので、決定的な一言を投げかけた。
「そんなところに隠れてないで。どうだ、君も、こちらに来ないかい?」
さあ、どう出る? 金髪の美少女よ。
「しまった! 私以外にも他に尾行者が!?」
……そうきたか。
彼女はしばらく息をひそめてしまった。
しかし、彼女も情報が欲しいはずだ。こちらも一旦沈黙して、状況を伺う為に顔を出したところに呼びかけるしかないか。
私がそう思い、しばし沈黙していると、やはり彼女は木の幹から顔を覗かせた。それを凝視している私。
完全に目が合った。今だ。
「……君は……。」
私に声を掛けられ、一度姿を深く隠す。
いやいや、目が合っただろう、いま。
暫くして、再び様子を窺うように顔を出す彼女。そして再びずっと見ている私と目が合う。一瞬の硬直。
今だ。
「君は……。」
ハッとして再び姿を隠す。
いや、だから君だ。二度も目が合って話しかけただろう!
私は少し笑ってしまった。
この珍妙な状況もそうだが、彼女のその素直でもあり、間抜けでもある行動に、少し親近感、というか、可愛らしさに近い感情を抱いてしまったのかもしれない。ともあれ、そんな彼女が悪い人間には、私には感じられなかった。
私は再び顔を覗かせた彼女に、微笑みかけつつ、極力優しい口調で言葉を投げかけた。
「君は一体、誰なんだい?」
完全に目が合っている。硬直と沈黙が訪れるが、今度は彼女は隠れなかった。私の言葉を聞きゆっくり全身を現す。彼女の手には銃が構えてられていた。
「ふっ、私の気配に気づくとは、流石はヴァンパイアってところかしらね。」
良かった何とか逃げずに、話し合いに持ち込めたようだ。こうなればこっちのものである。
「うーむ……まあ、そう言う事にしておこうか。」
「なによ、煮え切らないわね。」
「……正直言うと、酒場のマクブライト亭から、君の尾行には気づいていた。」
「そ、そんな馬鹿な。距離も気配も完璧だったはずよ! さてはヴァンパイアならではの特殊な魔法でも使ったの。」
先ほどから、ヴァンパイアを過大評価し過ぎである。もちろんこの世界には魔法なんぞ存在しないし、当然私にも使うことは出来ない。
ひとまず、一つずつ話を噛み合わせていくしかなかった。まずは彼女の尾行に気づいていた理由からか。
「魔法だって? ははは、そんな便利な事は出来ないさ。君はそんなものを信じているってのかい?」
「う……だって……じゃあ。」
良 かった。どうやら本当にヴァンパイアが魔法を使うとは思っていないようだ。
「そもそも、君は酒場で『ヴァンパイア』という言葉に驚いていたじゃないか。」
「そ、それが、何だって言うのよ。」
「この街で、そんな反応をする奴は居ないよ。つまり君は余所者って事だ。」
彼女は驚きの表情を浮かべた。そりゃそうだ。大陸の人間からしてみれば、「呪われた島の住人は、ヴァンパイアの男爵様と仲良く暮らしてます」なんてそんな事どうやっても信じられない事実だろう。
「そんな。ヴァンパイアはこの島の住人の心までをも操れるというの?」
都合のいい解釈をされた。全く、ヴァンパイアをなんだと思ってるんだ。
「でも、だからって、私があなたの後をつけるとは限らないじゃない!」
「どんな熟練の大泥棒でも、『こいつ、盗みそうだな』と思われていては気づかれずに盗むのは不可能だろう?」
彼女の誤解はさておき、ひとまずきちんと論破しておくことにした。納得のいく説明をされれば、彼女も分かってくれることだろう。
すると、私の理屈を聞いて、彼女が黙りこくった。どうやら理解してもらえたようである。
「……なるほどね。最初からあなたの術中に
理解してくれていなかった。
術中ってなんだ。
「……まあいいか。それで? 君は誰なんだい? 私に何か用かな。」
私がちょっと思考することに挫けて、なんとは無しにそう口にした。
すると、彼女の口からは、自己紹介と共に、信じられない言葉が飛び出したのだ。
「私はシャロン・ハートフィールド! ヴァンパイアハンターよ!」
「な、ヴァンパイア……ハンター!?」
……ヴァンパイアハンター。
その単語を聞いた時の私の感情を表現するのはとても難しかった。
あえて無理やり例えるなら、「私の仕事は、道端に寝転がって、汚れた服を洗濯する仕事です」とか、「石を拾って積み上げて、適当なところで崩して、石を元あった場所に捨てる仕事です」とか、「湿った
私のそんな複雑怪奇な感情をよそに、彼女は得意がったまま、続ける。
「驚いたようね。」
「ああ、驚いたよ。……そんな無駄な職業がこの世に存在していたことに……。」
しまった、本音が出た。
「……何をごちゃごちゃと。ヴァンパイア、覚悟してもらうわよ。」
良かった、聞こえてないようだった。いや、聞こえてないはずはない。
どうやら彼女は都合の悪い情報はスルーする、という技術が身についている様だった。
なかなかに良い性格をしている娘だった。
「ヴァンパイア、ここで会えたが百年目。あなたが知っている事を吐いてもらうわ。」
「え? そんな若そうなのに、随分長生きなんだね?」
「物の例えよ!」
シャロン……と名乗った娘は、私に銃を構える。どうやら挑発に乗りやすい娘の様だ。
それにしても……。
感情がコロコロと変わり、それらが全て顔に出る。私は、その彼女の面白い……ではなく、からかい甲斐がある……もとい、嘘の無い性格に、とても好感が持てた。
しかし、私がそんなことを考えていることなど露知らず、シャロンは鬼気迫る表情で、岩の上に座っている私に銃口を向け続けている。
「動かないで!」
……さて、どうしたものか。
ひとまず私は、岩の上から立ち上がり、ふわりと地面に着地する。
「う、う、動かないで、って言ったでしょ!?」
流石は大陸から来た人間。こんな反応をして貰えるとは、とても新鮮であり、ヴァンパイア冥利に尽きるというものである。この島の人間は、私がヴァンパイアであることなど、夏は暑く、冬は寒い、くらい当然の認識なのだから。
「そ、それ以上、動かないで!」
私は確信した。
恐らく彼女は撃たないだろう。
先程、「動かないで」と言われた私は動いた。しかし、彼女は「『それ以上』動かないで」と言った。つまり、彼女は自分の命令の内容を修正したのだ。予期せぬ事実が起きた時に、命令やお願い、目標や条件を修正するのは人間においては良くあることだ。彼女はそういうタイプの人間の様だ。
であれば、別に遠慮はいらない。普通に歩いて館まで行けば、彼女はついてくるだろう。その道すがらにでも、話をすればよい。
「私は、お使いを頼まれているのだが。」
「……使い!? まだ上位の存在が居るっての? エルダーヴァンパイアとか、ヴァンパイアロード、ってこと? あなたのようなヴァンパイアを使いに出すなんて、一体そいつは何者よ!?」
なんか、聞いたことのない単語がたくさん出て来た。少し戸惑ったがひとまず、答えられるところには答えてあげなければ。
「何者もなにも、うちのネコだ。」
「……はぁ?」
「私の使い魔のネコだ。」
口をパクパクしている。うんうん、なかなかにパニックになっている様だ。
「使い魔……つまり、ヴァンパイアが使いを出したり、命令したりする存在が使い魔……よね? え? ヴァンパイアを使いに出す
ぶつぶつ呟いている。なかなかに面白い娘である。ひとしきり独り言を言ったあと、パッと顔を上げこちらに視線を向ける。
「……逆だと思うの。」
「……ああ、私もそう思う。」
そこは意見が一致した。
「じゃあ、どうして? あなたの使い魔は、突然変異か何かなの? それとも、その使い魔がやっぱり上位の……。」
「たまには、お使いも良いかな、って。」
話が長くなりそうなので、私は彼女の言葉を遮った。私の言葉を聞いて、再び口を魚のようにパクパクさせている。彼女は漁師町の出身か何かなのだろうか。
私のその、どうでも良い予想が実は的中していたことなど露知らず、しばしの沈黙の後、彼女は口を開いた。
「ふっ、良く分からないことをごちゃごちゃと……。」
ループした。
残念ながらもうこれ以上、ここで話しても仕方無さそうだった。
(こうなれば、彼女を撒かない程度に逃げて、屋敷までの間に疲れさせて、メルと二人で彼女を捕らえて、ゆっくり話を聞くとしようか。)
我ながらベストな案だった。言ってもここはブラッドバーン男爵領だ。不法侵入者として捕まえることは別段問題は無い。そう言えば、最近忙しくて来られなかったがようだが、ファリスが今日来ると言っていた。それならばなおさら都合が良いだろう。
「やれやれ、どうやら話が通じないようだな。」
私はわざとらしくそう言って、歩き出そうとした。
「う、動かないで!」
大丈夫。彼女は撃たない。しかし、逃げれば追って来る。そういうタイプの人間だ。
私は気にせず一歩足を前に運んだ。
刹那。
ドンッ!
彼女の持つ、単発式のフリントロック銃が煙を上げていた。
銃弾は、私の背後の岩に命中していた。
前言撤回。
彼女は意外に、やるときはやるタイプの様だった。
しかし。
彼女の銃は、連射は出来ない。私は、素早く身を翻すと、一目散に森の中へ走り出した。
「あっ!! 待ちなさい!」
無論、待つ気などない。
いや、撒かないように気をつけなくてはいけないので、そう考えると、気持ちくらいは待つ気はあった。追い付かせる気などない、と言うのが正確なところだろう。
やはり彼女は走ってついてきた。
しかしながらなかなか、運動神経の良い娘だ。かなりのスピードで森の中を走っているのだが、ぎりぎりついて来ている。これならばそれほど待たなくても、屋敷につく頃には息も絶え絶えでボロボロに疲れていることだろう。
正直に告白しよう。
私は、しばらく、彼女と付かず離れずで走っていたが、意外にも森の中の追いかけっこを楽しんでしまっていた。ヴァンパイアになって長いが、こういう遊びは、なかなか出来る機会はない。彼女を疲れさせつつ、屋敷の入口まで誘導するのが目的だったが、そんなことを忘れてしまっている自分がいた。
しかし、しばらくして、彼女の気配が急に途絶えた。
ん? どうかしたのかな?
諦めて帰ったのだろうか? いや、彼女にそんな雰囲気は無かった。むしろ地獄の果てまでも追ってくる、そんな気迫だった。
だとしたら……。
私は嫌な予感がして、道を引き返した。そして恐らく彼女が追いかけてきていたであろう場所についた時、明らかに地面が
走っていた人間が滑って、派手に転倒したらこうなるな、と連想できるような様子だった。
(そして……。)
私が、その抉れた地面の先に目をやると、そこは少し急な下り坂になっている場所だった。崖、と言うほどのものではないが、勢いよく転がり落ちれば、無傷では済まされないだろう。
(まさか……。)
私は坂の下を覗き込んだ。するとやはり、彼女が下で倒れていた。
(まずい。)
私は慌てて、坂を滑り降り、状況を確認した。頼むから、大変なことになってないでくれよ。
(……良かった。)
ひとまず、彼女の脈も呼吸も正常。あちこちに擦り傷はあるが、目立った外傷も無かった。少し頭を打って気を失っているだけだろう。
安心したのも束の間、私は少し途方に暮れた。
彼女を屋敷まで誘導して、捕らえる算段だったが、こうなってしまってはそれもままならない。かといって、傷の手当てもせずに放っておくわけにも行くまい。
「致し方なし、か。」
ピーーーッ!!!!
手を口にあて、緊急の合図を出す。言ってもヴァンパイアであり、猫だ。十分メルの耳には届くだろう。
待つこと数分。
風にはためくフワリと広がったスカートの裾をものともせず、もの凄い勢いと形相のメルが視界に飛び込んできた。
「ご主人様!
おお、なんだ。めっちゃ心配してくれているじゃないか。不覚にも少し感動してしまった。
しかし、それを伝えると、お互いにとって居心地が悪そうなので、そんな素振りも見せずに、地面に寝かせた彼女に視線をやった。そして、メルも同様に彼女に目線を落とした。
「……なるほど、了解いたしました。こちらのお嬢様を屋敷までお運びするのをお手伝いすればよいのですね。」
本当に優秀な使い魔であった。
こうして、疲れ切った彼女を捕らえる、という私の目論見はあっけなく瓦解したが、結果的に穏便に、彼女を館に招き入れる事に成功したようだった。
冷静に考えてみると、ヴァンパイアハンターと名乗った気絶した娘を、ヴァンパイアが背負って介抱しているというのも、おかしなものだ、とも思ったが、その奇妙な現実も、この娘のあり得ない職業も、この娘からの情報で明らかになっていくことだろう。
そんな数時間先の未来の事を考えながら、私たち二人と一匹は、ブラッドバーン男爵家の屋敷の扉をくぐったのだった。
(つづく)
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