国道沿いのファミリーレストラン

 若い男女が、レストランにて向かい合って座っていた。

 男の方は、灰色の作業服らしきものを着て帽子を被っている。汚れてはおらず綺麗なものだが、それでも女性と食事をするのに適した服装とは言えない。いかつい顔をしているが、年齢は若く二十代だろう。体つきはがっちりしており、腕力は強そうだ。

 対面にいる女性も、おそらく二十代であろう。髪は肩までの長さで化粧は薄い。痩せすぎでなく太り気味でもないという体つきで、飾り気のない地味な顔つきだ。町ですれ違っても、印象にすら残らないだろう。

 この女に似ている芸能人は? と問われたら、ドラマに出てくるエキストラの通行人、と答えるのが最も適切だろう。特に好感を持たれるわけではないが、かといって嫌悪感を抱かれるわけでもない。あだ名をつけるなら、ミス・ノーマルもしくはミセス・ノーマルといったところだ。

 しかし、康介は知っていた。目の前にいる山田花子は、断じてノーマルではない。むしろ、アブノーマルの極地にいる人間なのだ。彼が知っているだけでも、ふたりの男の人生を狂わせている。いや、狂わせただけでなく終わらせてもいる。見た目は、普通の若い女性でしかないにもかかわらず、だ。そんな女が、目の前でニコニコしている。

 このふたりが、傍らからはどう見えるかはわからない。しかし康介は、張り詰めた空気を感じていた。運ばれてきたコーヒーにも、口をつけていない。




 康介は今、国道沿いのファミリーレストランにいる。広くもないが狭くもない、ごく普通のどこにでもあるような店だ。客は他に三人しかいない。見た感じ、主婦のグループのようだ。わちゃわちゃという感じで、リラックスしきった表情で楽しそうに喋っている。その声は、はっきり言って耳障りであった。

 そんなグループとは、真逆な空気に包まれているのが康介のいるテーブルだ。

 以前に康介は、広域指定暴力団『銀星会』の幹部たちとの会食に参加したことがあったが、その時など比較にならないくらい緊張している。

 張り詰めた空気の中、会話の口火を切ったのは、山田の方であった。


「あのさあ、その格好なんとかならないの? 女の子と会うのに、作業着はないでしょう。それがあんたの勝負服だ、なんて言ったら殺すよ」


 そう言って、ケラケラ笑った。とぼけた口調である。

 もっとも、そんなことを言っている当の本人も、たいした格好ではない。無地のTシャツとデニムのパンツ姿だ。特徴の薄い顔立ちといい服装といい、ドラマの通行人Aとしかいいようのない見た目である。康介は、思わず苦笑してしまった。


「あいにくですが、ファッションに興味はないです。それにね、この格好は顔の印象を消せるんですよ」


 言った途端、彼女の顔つきに変化が生じた。こちらの話に対し、明らかに興味を持った……そんな表情へと変わったのだ。


「それ、どういうこと? 教えて」


 身を乗り出して聞いてきた。そのリアクションだけを見れば可愛らしい。好奇心旺盛な女子高生、といったような雰囲気を醸し出している。実際の話、今この瞬間に彼女が若返った……ような錯覚に襲われたのだ。

 変化はともかくとして、こちらの話に強い興味を示しているのは明らかである。康介は、平静を装い語り出した。


「人間の印象というのは、着ている服でかなりごまかせます。特に、制服だったらなおさらです。制服の印象は強いですからね。個人の顔の細かい特徴など、簡単に消し去ってしまいます」


 何とか言い終えた康介だが、実のところ困惑していた。山田の顔つきが、またしても変わっているのだ。今度は、カリスマ教授の講義に、熱心に耳を傾ける女子大生のようだ。いったい何を考えているのだろう。

 いや、これも演技かもしれない……そんなことを思いつつ、康介は話を続ける。


「昔、白バイ警官の格好をした強盗が三億円を奪った事件がありました。犯人の顔の特徴ですが、白バイ警官という服装のインパクトがあまりに強すぎ、目撃者は犯人の顔の特徴を覚えていなかったと聞きます」


 語った康介は、不思議な気分に襲われていた。

 あの山田が、自分の話に注目している。お話に夢中になる子供のような表情で、話を聞いてくれている。こんなのは、キャバクラなどに行けば有りがちな場面だ。

 にもかかわらず、康介は異様な恍惚感を覚えていた。普段は無口で口下手なはずの彼が、今は雄弁に語っている。

 己に違和感を覚えつつも、その流れを止めることは出来なかった。したくもなかった。今の康介は、裡からの衝動のまま語り続けた。


「仮に俺が今、あそこにいる奥さんたちから財布を引ったくって逃げたとします。警察の事情聴取には、作業服を着た男から財布を引ったくられたとしか言えないはずです。顔の印象は、ほとんど残りません。せいぜい、二十代から三十代もしくは四十代から五十代の男……で終わるはずです」


 その時、山田がプッと吹き出した。


「それ、元刑事のコメント」


「えっ?」


 わけがわからず聞き返す康介に向かい、山田は楽しそうな表情で答える。


「あのね、なんかのワイドショーで殺人事件をやってたんだ。そん時、犯人はどんな人でしょうか? って司会者に聞かれた元刑事のコメンテーターが、全く同じこと言ってたんだよ。犯人はおそらく、二十代から三十代もしくは四十代から五十代の男性ですね……なんて、真顔で言ってんの。そんなの、元刑事でなくても言えるから! ってテレビに突っ込んでたよ」


 確かにその通りだ。つられて、康介も笑っていた。山田のあどけない笑顔を見せられ、こちらも楽しくなっていた、

 だが、次にぶつけられた質問はとんでもないものだった。


「ねえ、死体ってどうやって始末するの? やっぱり、電動ノコギリとか使って骨切ったりするの?」


 一瞬、康介の表情が強張った。この女、何を言っているのだろうか。昼間のファミレスでの会話には、もっとも不向きな話題である。思わず周囲を見回したが、こちらに注目している者はいない。

 いや、ひとりだけいる。山田の瞳は、真っすぐこちらを見ているのだ。康介は、その瞳から視線を外すことができなかった。そして、自身の言葉を止めることも出来なかった。


「そういうことをやる業者も、いるとは思います。ただ、俺は骨を切ったりはしません。時間がかかるからです。まずは関節から、各部分を切り離していきますね。関節周りの肉や腱をナイフで削ぎ落とすと、意外と簡単に外せます。パーツごとに切り離したら、機械で細かく粉状にすり潰します。頭蓋骨なんかは、でかいハンマーで砕いてから機械に入れますね。あとは海に撒きます。そうなれば、あとは魚が始末してくれます。まず見つかりません」


 淡々と説明した。顔は平静だが、自分は何をやっているのだろうか……という疑問は頭の片隅から離れない。

 今まで、それなりに女と付き合ってはきた。だが、こんな話をしたことはない。仕事の話はタブーであり、別れる原因もそれだった。

 なのに今は、促されるまま自分からベラベラ喋っている。

 人殺しの女に──


「なるほどねえ。やっぱり、プロは違うな」


 感心した口ぶりだ。演技ではないように見える。

 だが、次の瞬間に彼女は表情を変えた。


「今度は、あんたの番。なんか聞きたいことある?」


「えっ?」


 まさか、そんなことを言われるとは思わなかった。混乱している康介に、山田は顔を近づけて来る。


「あたしに、何か聞きたいことない? 答えられることは、答えるよ」


 聞きたいことといえば……お前は、いったい何者だ? それが一番知りたいことだ。

 しかし、口からは違う言葉が出ていた。


「そのう、なんで、あいつらを……」


 そこで、言葉を濁した。他に客のいるファミレスで、これ以上の詳しい話をしていいのだろうかという思いが、康介にストップをかけさせたのだ。

 問いの言葉としては、曖昧で不十分なものだ。にもかかわらず、彼女は答えた。


小川オガワ近藤コンドウ


「はい?」


 また聞き返す康介に、山田は冷めた表情話をを続ける。


「こないだ、あんたが始末したふたりの名前だよ。小川恵一オガワ ケイイチと、近藤淳典コンドウ アツノリ。まあ、今さら名前を知ったからって、どうということもないと思うけどけ」


 言いながら、山田はくすりと笑った。あっけらかんとした態度である。唖然となっている康介だったが、山田はさらに聞いてきた。


「あいつらがなんで死んだか、知りたい?」


「えっ、ええ、まあ、教えていただけるなら……」


 本音をいえば、こんな場所で聞きたくはない。だが康介は、山田の言われるがままになっていた。

 しかし、続いて放たれた言葉は、康介をさらに混乱させた。


「ムカついたから」


 またしても即答である。しかも、全く想定外の言葉だった。


「ムカついた?」


 思わず聞き返していた。そんな答えが返ってくるとは……。


「そ。ムカついたから、殺した。それだけだよ。他に、何か理由がいる?」


「それだけ、ですか」


 唖然となる康介に、山田は飄々とした態度で語り出した。


「ネット見てみなよ。犯罪が起きるたび、正義を愛する一般市民が騒ぐじゃん。人を殺しておいて、こんな甘い刑でいいのか! 被害者の無念を考えろ! 死刑だ! なんて奴が大勢出るじゃない」


 黙って聞いていた康介は、またしても頭が混乱してきた。ネットにいる連中と、山田がふたりの男を殺害したことと、何の関係があるのだろうか。

 その疑問への答えは、すぐに出された。


「でもさ、こいつらは被害者なんかどうでもいいんだよ。単に、そいつが生きていると自分が不愉快になるだけ。だから死刑になって欲しいんだよ。俺はいろんな不自由さを我慢して法律守ってる、なのに奴は守ってない。だから死刑にしろ……そんだけのこと。そんなに許せないなら、自分で殺しに行けっつーの」


「それは違うんじゃないですか?」


 思わず口から出た問いに、山田はクスリと笑う。


「違わないよ。人間なんて、突き詰めれば快か不快かで生きてる。あたしにとって、奴らは不快な存在だった。だから殺した。それだけだよ」


 言っていることは無茶苦茶だ、それはわかっている。にもかかわらず、康介は圧倒されていた。彼女の言葉には、いくばくかの真実がある……そう感じたのだ。

 もっとも、人を殺せば別の問題も出てくる。ある意味では、そちらの方が重要だ。


「でも、殺人罪は死刑の可能性があるんですよ。ふたり殺せば、その可能性はあります」


「知ったことじゃないよ。あと千年後には、あたしは確実に死んでるから。法律守って不快なこと我慢しても、人はいつか死ぬんだよ。だったら、我慢すんの面倒くさいじゃん」


 山田の表情が変化している。その顔からは、得体の知れない自信が感じられた。声も、妙な力を帯びている。


「あたしはね、不快だから殺すの。それだけ。ところでさ、コーちゃんは今までに何人殺したの?」


「はい?」


 いきなりの問い。しかも、コーちゃん呼ばわりである。虚を突かれ、間抜けな言葉しか出なかった。


「だからさ、コーちゃんは今まで何人殺したの?」


 ごく当たり前に聞いてくる。どこぞの有名な遊園地に何回行った? とでも聞いているかのような表情だ。一瞬、どうしようか迷った。だが、頭で考える前に、言葉が先に出ていた。


「三人です。いや、ひょっとしたら四人かも知れません」


「それは、仕事で?」


「いいえ」


 そう、あれは仕事ではない。純粋な感情に突き動かされての行動だ。


「じゃあ、個人的な事情だ」


 山田の目に、奇妙な光が宿っている。その光に操られるかのように、康介は頷いていた。


「そうですね」


「どんな事情?」


「それは……」


 言葉につまる。これは、誰にも言ったことがない。知られてはならない秘密だった。

 すると、山田はニッコリ笑う。おもむろに封筒を取り出し、テーブルの上に置いた。


「これ、こないだのお金ね。続きは、また次回ってことで」


 そういうと、彼女は去って行った。振り返りもせず、すっと店から出て行った──






 店を出た後、康介は公園のベンチに座っていた。不思議な気分である。絶叫マシンに乗った直後のような感覚だ。

 今のは、いったい何だったのだろう。若い男女が、駅前のファミレスで話をした。傍から見れば、友人同士が会って話しているように見えたかもしれない。あるいは、恋人同士に見えただろうか。

 康介にとっては、そんな気楽なものではない。異様に濃く、張り詰めた時間だった。裏の世界の住人である彼から見ても、山田花子は理解不能だ。今日、会ってみたのも……あの女を理解する一助になればと思ったからである。

 結果は、さらにわからなくなっただけだった。不快だから殺す、こんな考え方を理解できるはずがない。


 本当にそうか?


 自分の裡に潜むものが問いかけてくる。それに対し、違うとは言えない。

 いつしか康介の脳裏に、あの日の記憶が蘇る──




 


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