第8話 詐欺師、犯人を誘き出す

 大図書館の館長室は、どこか古くさい紙とインクの匂いが充満しているような気がした。

 天蓋に取り付けられている窓ガラスからは神々しい光が室内に降り注ぐ。


 本日は休館日であるため、俺たちをのぞいて館内には誰もいない。


 俺と腹黒聖女様は隣り合う形でソファーに腰を下ろす。

 向かい側のソファにちょこんと腰をかけているのはセルローナだ。


「イロンさんはどうやら一種の催眠状態だったそうです」

 

 腹黒聖女様はそう言って口を開いた。

 俯いていたセルローナは少し顔を上げた。

 どこか不安そうな表情を浮かべている。


「……わかりましたの」


 そんなセルローナの表情など気にも留めないで、腹黒聖女様が付け加えるように口を開いた。


「そして残念ながら、イロンさんは何も覚えていないようです」

「それはよ——じゃなくて、残念だったの」


 セルローナは一瞬、安堵の表情を浮かべた後ですぐに残念そうな声を出した。


 おそらく、イロンが何も覚えていないことに安堵したのだ。

 きっとこの天然で心優しい館長はこんなことでも考えたのだろう。


 もしもイロンが俺たちを襲った際の記憶を覚えていたら、にゃあにゃあ吠える白猫たち——聖騎士たちの魔法によって記憶を消されてしまう、もとい口を封じられてしまうだろう。


 とは言え、聖騎士の魔法は万能ではない。

 そのためイロンがこの大図書館に訪れて勉強していた記憶までも失われてしまう。

 そうなると、イロンの目標であったグリーズ王国魔術学院に合格する可能性がなくなってしまう。


 おおかたそんなことが脳裏に浮かんでいたのだろう。


 セルローナはわずかに息を吐くのが聞こえた。


 そんなことに気を回している場合ではないだろうに……セルローナという館長はどこまでもお人よしに違いない。


 どこかしんみりとする雰囲気を壊したくて、俺は話題を変えた。


「あー、他に教会の方は何か手がかりをつかめたのか?」

「手がかりかどうかはわかりませんが……」

「……?」


 なぜか腹黒聖女様は言い淀んだ。

 らしくない態度だ。

 俺の訝しげな気配に気がついたのだろう。


 腹黒聖女様は居住まいを正してはっきりと言った。


「どうやらイロンさんは、悪魔族のようなのです」

「それは本当なの?」


 驚きを隠せない表情で、セルローナが聞いた。

 

 セルローナほどではないが、さすがにイロンが悪魔族だなんてことは思いもしなかった。


 せいぜい年齢を詐称しているどこぞやの魔族とばかりおもっていたのだが……どうやらその予想は外れたらしい。


 これは少し厄介な展開になったのかもしれない。


「はい、背中に黒い羽が生えていました。おそらく成長したらツノも生えてくると、ドクタ卿がおっしゃっていました」


 ドクタ卿——確か魔族専門の医者だったか。

 かつてあのバカ師匠と色々な地方を周っているときに、どこかの宮廷か教会で会話していたおっさんだ。


 確かやたらと大きい声で『ガハハ』と笑う人だった。

 どこか横柄でそれでいて陽気で……なんとも憎めない人柄だった気がする。


 いや、今はドクタ卿のことよりも、なによりもイロンのことが重要だ。

 

 なんせその正体が、悪魔族なのだから。


「悪魔族と言えば、絶滅危惧種族に認定されているはずだろ?」

「ええ、そうです。教会としても保護対象として認定しています」

「その悪魔族の生き残りさんがまさか王都にいるなんてほんとうに偶然なの」

 セルローナは独り言をつぶやくように言った。


 俺も腹黒聖女様も答えを持っていない。


「悪魔族と言えば、魔族の王として君臨していた暴君ディアボロポロスの血筋を色濃く受け継いでいる一族だよな。昨日、襲われたときに発揮していた馬鹿力もその影響か」


「十中八九そうに違いないなの」


「そうですね、セルローナさんのおっしゃる通りかと」


「……」


 わずかに沈黙が俺たちの間を支配した。

 

 セルローナははっと何かに気がついたような表情に変わった。


「そういえば、二人の作戦っていうのは結局何だったなの?」

 

 ……疑問に思うのは当然か。


「それは……」と言い淀んで、腹黒聖女様がちらっとこちらを見た。


 俺に答えろ、ということらしい。

 そもそも俺が提案したことだから当然か。


「この聖女様が言うには、夜な夜な路地裏に出没していた人物がいたらしい」

「それがイロンくんだったなの?」

「はい、そうです」と腹黒聖女ドーレが答えた。


 どうやら、俺が腹黒聖女さまがこれまでイケナイ夜遊びをしていた件について何も言わなかったことに満足しているらしい。


 エルフ特有の長い耳がわずかにピクピクと動いていた。


 そんな聖女様の様子には気がついていないのだろう。

 セルローナは静かに言った。


「やっぱり……イロンくんがこの図書館から禁書を盗み出していたってことなの?」

 

「この大図書館から『魔獣絵画集』を盗んだ犯人かまでは断言できないが、少なくともここにある『ゼロの魔導書』を奪おうとしたのは確かだ。だから、犯人探しはこれで一件落着だろ」


 俺は収納していた空間から『ゼロの魔導書』を取り出した。


「そうですなの……」


 どこか腑に落ちない口調でセルローナがつぶやいた。

 

「この『ゼロの魔導書』はセルローナ、あんたに預けておく」


「え、どうしてなの?」


「チエイ大図書館が持っているべきものだからだ」


「わ、わかったなの。一応、禁書目録に登録して、保管しておくの」


 そう言って、セルローナはいそいそと魔法を使って禁書目録に登録した。

 

 その後で、俺と腹黒聖女ドーレはセルローナを連れて大図書館を後にした。

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