幽玄の里
主道 学
第1話
「おいおい。泣いていないで、さ、さ、冷たい番茶を飲めや」
冴木 彦次郎は今年で59になる私の祖父だ。
私は布団部屋で着物を乱して、上半身だけ起き上がり、子供のようにわんわんと泣いていた。
彦次郎の進める番茶を勢いよく手で叩き。
いつまでも、泣いていた。
「もう、生きていたくない!」
番茶は畳の上にまき散って、コロコロと転がり部屋の隅の風呂敷包み当たった。
8月8日で、私は16歳だった
江戸からかなり離れた里に、酒屋のお店の東屋を構えた6代目の主人になったのも、私が16になってから二日経った頃だった。
お店で働く妹たちは、器量が良く。ここ幽玄の里では評判を受けていた。
私を理解し育ててくれたのは彦次郎だけだった。
彦次郎は四代目当主の座から父に引き摺り下ろされた。その後、冷淡な父は変死をしてしまった。
金勘定しか興味のない母もその時に変死している。
以来、東屋は私が切り盛りしていた。
父と母の死は岡っ引きにも解らない始末で、町役人も呼ばれたが、今思えば真相を知っているのは彦次郎だけだった。彦次郎は取り分けて口が堅いわけではないが、他人にも私にも土間にある風呂敷包みだけには近づくなとだけ言っていた。
「宗次様。お得意様のおゆうですよ」
奉公人の一人の小次郎の声を聞いた私は、お店の外へと出た。
杉林が暗闇を作りだす夕闇におゆうは一人佇んでいた。
いつもこの時間に酒を頂戴しているのだ。
おゆうの家は子沢山で、15になったおゆうは一番年長で、口減らしに隣村へ送られそうな頃に、遠い町商人との許嫁ができた。
「重いから小次郎が運んでくれるからね。おゆうの家までね。いつもご苦労」
私は取り分けて優しい言葉をかける。
「ありがとうございます。宗次様」
おゆうの頬は、朱色に染まっている。
私は物心ついた時からおゆうには取り分けて優しかった。
だが、私にはお武家様のお偉い許嫁がいた。
15歳の桜木という名の娘で、まだ会ったこともなかった。
「お酒のお代です」
おゆうからお金を貰うと、すぐに下男が酒を運ぶ。
「こんなに暗い。小次郎と帰りなさい。さあ、お帰り」
「宗次様。ありがとうございます」
おゆうは頭を下げると、酒の瓶を持った小次郎と月明かりも乏しい帰路に着いていった。
さて、私は女中頭と話があった。
年長の女中頭のお菊はよくしゃべる口の持ち主で、昨日に起きたことらしいが、土間の風呂敷包みから悲鳴がしたと言って、妹たちや女中や奉公人を脅かしていた。
台所まで悲鳴が鳴り響いたと言っているが、そんな声は誰も聞いていなかった。
暗くなった月明かりも乏しい水汲み場で女中頭は一人佇んでいた。
私が話し掛けると、生気のない顔を向け、口を真一文字にしていた。
「おいおい。どうした?」
突然、お菊は目をひっくり返して大きく口を開けると、盛大に吐血した。
私は恐ろしくなって、倒れたお菊を放って、皆を呼ぶために東屋を走り回った。繁盛しているだけあって、東屋は広い。軋む廊下を走っていうと妹の一人のお梅がいた。
私のただならぬ白い顔を見て、肝を潰したようだ。
「どうしたのですか? まるで、誰かが死んだみたいな顔」
「女中頭のお菊が血を吐いた。医者を呼んでくれ。今は水汲み場で倒れているから」
どうもおかしい。
お菊は頑健な大女である。
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