AFTER WEEK DAY 3-10 花田

八月二十八日 午前四時 東京都 中野区 警察病院前バス停

花田直哉


「車がいないからタクシーですぐに来れたとはいえ。朝から警察病院で事情聴取かよ。だりい。意外と普通の病院だな」


 白いTシャツにグレーのスウェットパンツ。青のサンダルでトートバッグをからう姿は警察病院の前にいるのは不審に思われるかも知れない。俺の今の姿はどちらかといえば退院患者といった表現の方が正しいかもしれない。すれ違う人やパトカーが通るわけでもなく至って平穏な時が過ぎていた。スマホの時計を見ると朝の四時だった。メールの確認は敢えてしない。ストレスと正面から向き合いたくないからだ。明後日にはクロックイズヘッドに出勤しなければならない。


 ドゥーグルのテロ事件以降俺は神谷と城島、内村の三人の葬式に出て親族への報告をした後、死んだ三人に代わる社員探しに追われていた。どういう風に探していたかを具体的に説明するとすれば暇そうなフリーターよりのライターがいないか知り合いを伝っていたわけだが、長野の紹介で仁藤卓という男が深夜の仕事をすることになりそうだ。残りの二人はまだ見つかっていない。アニメと映画に興味があるやつなんていくらでもいるのだが呪いの映像事変の後だから死亡者が多い事を加味すると戦地とも呼べるネットメディアに志願者が現れるのには一ヶ月はかかるのかもしれない。求人の更新も人事を兼ねている部長の俺がやるのだから非常に面倒だ。


 神谷の出身である北海道と都内にある城島と内村の生家に出向くのに四日間を費やし警察への届と例の心的被害を及ぼす映像に感染した電子端末の処理に二日を要した。そうして息つく暇もなく一週間が過ぎようとしていた。


 テロ事件で会社が受けた被害の回復のために動き続けること四日が過ぎた時に問題が起きたことで俺の外回りは急速に失速することとなった事が思い出される。


 三度目の葬式に出た俺の体は関節が軋み始めていた。長く正座をしていたからだと大したことはないと思っていたが残念なことに発熱症状が出てしまった。一生で一度しか行けないであろう北海道で海鮮丼や味噌ラーメンを食べることはできなかった。それをきっかけに先日有給休暇をとった。コロナ疑いという名目の休暇ではあるが診断結果は陰性だった。体を重くしていた発熱が警察職員にバレないように遺品の確認と遺体の面会を片付けることとなった。


 有給休暇の前日、自宅に戻り夕方から酒を飲んでくつろいでいるうちに眠っていた俺は深夜二時にスマホのベルに呼び起こされた。そこで刑事、烏丸からの一報を受けて大急ぎでタクシーに乗りこみ警察病院に向かったのだ。山野の葬式には行きたくない。


「トリマル、からすま、からあげ、ザンギ。くだらね、ああ夏の北海道は幻だったな。飛行機で何か食えばよかった。お土産屋でミネラルウォーターと幕の内弁当を買う暇があったら珍しいものを買うべきだったな。北海道の広大な大地をまるで、何も、感じなかったぞ」


 ウォッチングスパイダーの被害を受けた山野の入院している警察病院の前で立ち尽くすこと二十分ほど過ぎていた。病院の前のエントランスの方を見ると二人の警察職員がこちらを見ている。来客を手招きしているわけでもないので知らないふりをすることにした俺はシャワーを浴びたばかりの乾いた髪の毛を撫でながらボソボソと呟いた。


「とりあえず烏丸刑事の到着を待つべきだよな。からすまね、変な苗字だな。連絡ではバス停近くで待機しろと言われているし。メールを見たくない。仕事をしたくない。いやこれは事情聴取であって仕事ではない」


 一応ハンディカメラと録音用のレコーダーを小さめのリュックに入れてきたのだが。取材用の機材はこれから来る長野が用意してくれるだろう。

 

 周辺の街並みを見渡すと日の入りが近づいていることもあって空が白け始めていた。夏が終わろうとしているとはいえまだ生ぬるい風で街路樹が少しだけ揺れている。ふう、とため息をついてからメールを確認する前に今回のようなトラブルが起きないことを祈るために空に手を合わせて祈りを捧げてしまおう。そう思った時だった。


 人通りの少ない静かな街にエンジン音が響き渡る。先ほど乗っていた黄色のタクシーとは違う深緑のタクシーがバス停前に止まった。白けた空を映したドアが開くと長身のパーマ頭が見えた。久しぶりに見る二人の部下は元気そうではあるが強張った顔をしている。


 すでにカメラが取り付けられた三脚を持っている藍田がまずタクシーを降りた。車内で運転手に電子マネーで料金を払っている長野は大きなリュックを膝の上に乗せたまま反対側のドアを開けて外に出た後にアクロバティックな動作で回転させた荷物を背中に吸着させた。


「花田さん、お疲れ様です。あれスーツは着てこなかったのですか?」

「おう、大した話があるわけでもないんだろう?」

「いやいや花田さん、無動明神って知ってますよね」

「誰だよソレ、霊能力者?」


 カジュアルな黒のカットシャツに黒スキニー、白いスニーカーでコーディネートされた爽やかな装いの藍田に対して短い髪の長野は季節外れのカーキのミリタリージャケットに黒いTシャツ。ダメージジーンズの裾が入れ込んであるマウンテンブーツが非常に暑苦しい。半分海外に足を突っ込んでいるジャーナリストは温度を感じないのだろうか。


「花田さん。ここ数日事故処理で忙しかったのはわかるのですが、かなり重要な話があるっぽいですよ。パジャマで仕事に出てこないでくれませんか」


 長野の強烈な視線と言葉を浴びた俺は内心で「報道陣が待ち構えている中警察署から出てくる芸能人の感覚ってこんな感じなんだろうな」とゾッとしたがバッグに着替えがあるわけではないから謝るしかない。


「悪い、今は頭が回転していないんだ。コロナは陰性だったけど風邪気味だからさ。マスクは今からつける」


 ムスッとした表情のまま長野は、フッと深呼吸を一瞬で済ませた。そんなに重要な話があるのだろうか。それとも俺の体たらくに呆れているのだろうか。どちらもだろうな。メディアの仕事は油断も隙もあったものじゃない。こんなに面倒なことは金輪際お断りだ。


「鈴井さんはもう病院内にいます。メールを見ていないのですか?まあ風邪なら仕方がないですね。行きましょう。一応花田さんのバッグの隅にビデオカメラの形が見えているので安心しました。今から用意をしてください。充電は済んでいますよね」


「バッテリーはいつもコンセントに差してあるから問題ないよ。一週間の半分以上葬式に出てたからニュースはおろかSNSすら覗いていないのだけど。何があったんだよ」


 三人は集合したヒーローが敵陣に向かうかのようにして警察病院向かって歩き始めた。少しだけ仕事のスイッチが入った気がした俺は眠気が冷めた。


「それは中で説明がありますよ。ウォッチングスパイダーの変異種が現れたのですが。その問題に世間が追いついてくる前に無動明神という暴露系配信者が配信を行う可能性があります。この男は変異種を利用して人を殺したようで、もし情報が拡散されると悪用する人間が現れる可能性がある、って感じです」


「あ、今のはこちらが独占しているネタなのでまだ刑事には言わないでください」

「どこまでが。変異種を利用した殺人?」

「そうです。あちらが情報を欲しがるまでは黙っていてください。変異種の情報はあちらも手に入れているので問題はないです。お願いします」

「わかった」


 パジャマ姿でここにきたのはミスだった。昨日夜十時の低アルコールのウォッカカクテルが頭をぼやけさせていたが長野と打ち合わせをすることでシャキッとしてきた。


「警察側としてはサーバーの世界にいる変異種の封殺、あるいは注意喚起を無動明神とやらより先にするつもり、ってことかな。まだAIが生成した呪いの映像が生きているとはね。まだ休みが取れないな」

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