AFTER WEEK DAY3-3 烏丸
メールの文章を考えることは簡単だ。だが無動明神とやらがメールで語っていることは本当なのだろうか。ダウンロード可能なウォッチングスパイダーが仕込まれた映像が存在するのであれば、その場合故意に仕込まれた殺人AIに後藤が手にかけられたことになる。見守る蜘蛛とよばれるそれはサーバーを介したウェブのなかに潜むウイルスのようなものが無作為に人間に害をなしていたと俺は記憶していた。このメール自体が嫌がらせであるのなら返事の仕方次第では無動明神とやらに偽物とバレてしまうのではないのだろうか。
だがこの無動明神とのメールのやり取りや動画、姿を確認している暇はなかった。この家で死んでいた男も有名人であることからジャーナリストもどきのクズに情報が伝わるのも時間の問題だ。
「直感で行こう。失敗したら後で捕まえればよい」
メールの書き出しはこうだ。
「娘の件で話がある。娘はもう死んだ。だけどお前があの子の名誉を汚すことは絶対に許さない。一千万用意してある。すまないが例のドゥーグル事件のファイルはまだみていない。明日、渋谷の宮下パークにあるスタバで話をしないか。俺は海外に引っ越すつもりでいる。もう日本にはいたくないんだ」
五百万の口止め料のことを俺が知っていることをほのめかしつつ引っ越しというキーワードを付け加える。反応さえあれば無動明神をマークしている部署に情報をリークすることも可能だ。俺は舌打ちをしてから紙飛行機のアイコンの返信ボタンを押した。
「烏丸さん。無動明神の写真です。まあ画像検索しただけですけど参考までに」
振り返るとカメラをもった鑑識の男と桑畑が二人でならんでいた。いいタイミングだ無動明神の顔を拝むついでにゆっくり返信をまつとしよう。
「ありがとう。できれば服が散らばった様子を撮りたかっただろう?悪いな」
カメラを持った男はムスッとした表情で周りを見渡した。
「最近よく起きている変わった自殺現場の保全は適当で良いといわれています。結局、これは自殺なんですよね。殺人として取り扱うのも慣れてきたのですが。パソコンの画面を見ただけでああいう風に包丁を抱いて死ぬものなのですか?」
パソコンのスピーカーからピン!というベルが鳴った。俺は画面にいったん目を向けてから鑑識の男に微笑んだ。当然といえば当然の疑問をなげかけられた。まったく同感ではあるが上司としてわかったふりをしなければならない。今のところは警察組織全体が暗中模索を強いられている。上の連中はさらに理解が遅い。
「わけがわからないのは同感だ。絶対に進展させるから頑張ってくれ。少しの間、被害者のパソコン画面をみないでもらえるかな」
桑畑がカメラを持った男の肩に手を置いた。どうやら後輩のようだ。
返信「生きてたん?いいよ」
俺は背後の二人が不快な気分にならないように舌打ちをこらえた。同時にマウスを何回か無意味にスライドさせて机に拳を打ち付けそうになりそうな気分を抑えてメールをクリックした。
「へえ、ゴトウちゃんさぁなんかいつもと違わん?今家の前にいるけど。お前大丈夫?黒い車と警察の車がとまってるみたいだけど。今話する?金はあるの?」
一瞬で頭に血が昇った俺は耐え切れずパソコンデスクに拳を打ち付けて階段にむかった。
「桑畑!写真を見せろ」
桑畑は驚いた顔をしてバタバタとした動作でスマホのロックを外してから画面を俺に向けた。鬼の形相で画面をにらんだ俺をけげんな表情で若者二人がみている。茶色の短髪に細い目、日焼けした顔に耳にピアス。四十代くらいに見え思っているよりは老けている印象だ。顎をあげた状態で写った顔が非常に腹の立つ雰囲気を醸し出している。
「少し家をでる。現場のことは頼んだ。メールアプリを調べろとサイバー課に伝えてくれ」
返事を聞かずに俺は後藤の家を駆けて階段を降りて玄関のドアを開けた。
「おい関係者以外は立ち入り禁止だっていってるだろう?」
玄関を開けるとそこではもう一人の鑑識に肩をつかまれた男が門灯に照らされていた。身長が百八十センチの大柄で黒の長そでシャツにダメージジンズ、玄関前にブーツのゴツゴツとした音が響いている。
「この家の後藤に呼ばれたんだよ!ハハハアイツ誰か殺したわけ?」
俺の姿をみた無動明神は黒ずんだ顔を曇らせた。動画の編集やらロケやらで半分生気が飛んでいるような顔つきだ。警察のいる場所に堂々と押しかけられるところをみるとこの男は性根は腐っているが度胸だけはあるようだ。明神の発音を若者風にしなければ。
「どうも、若者に人気のミョウジンだよね?メールの返事は違和感がなかったかい?お前にはさ。恐喝と傷害罪の容疑も後からかけることが出来る。少し話をしようぜ」
「気持ち悪いな。アイツやっぱり死んでるじゃん。いやだねバカ」
「おお、ドゥーグル事件のファイルってどんなやつなんだよ。これから調べるけどさお前にも話を聞いたほうがよさそうだな」
返事をせず鑑識の男を突き飛ばしたミョウジンは走り出した。深夜の住宅街に門戸が弾ける音がした。
「まて!公務執行妨害!止まれ。バカはお前だ」
すぐに烏丸はミョウジンを追いかけた。烏丸も大柄なほうではあるが脚力には自信があるし実際走るのは速かった。思いのほか奴は運動神経がいいようだ、住宅街を駆ける動画配信者にあわせて烏丸はピッチをあげた。門をでてすぐの住宅街の角をまがった瞬間に背中がみえる。どうやら相当に息切れが早い。すぐに背中に向けて手を伸ばして肩をわしづかみにして無理やり振り向かせると同時に投げ飛ばした。そして道路に転がった男の胸倉を掴んだ。鋭い目つきで烏丸の手を掴んだ逃走者はなぜか笑った。
「何が可笑しいんだよお前は中学生か。とりあえず、署で話を聞こうか。本名はなんだ?」
「黙れクソ原始人!あいつの娘がイジメていた子は自殺したんだぞ!シーイングスケアリーは都市伝説みたいのものだ!犯罪になんかならねえよ」
アイツ?ああ死んでいた後藤のことか。シーイングスケアリーというのはウォッチングスパイダーのことをいっているのだろうか。俺は手を伸ばして胸倉を掴んだまま道路に押さえつけた。
「心的外傷を及ぼす違法な映像の取引は児童ポルノとかと扱いを同じにする。お前が映像を渡した人間が死んだことを暴露されたいのか?情報をよこしたらすぐに保釈してやるよ」
「扱いを同じにするって適当なことぬかしてんじゃねえよ」
口からこぼれた唾を拭ったミョウジンは口を歪めて眉間にしわを寄せている。
「シーイングスケアリーは動画ファイルじゃない。特別な場所につながるリンクメモだ。映像ってなんだよ。警察ってやっぱり無能なんだな」
「じゃあそのリンクの先を今見せろ。スマホを出せ。どこにつながっているんだ?お前がそのリンクを触ったらヤバイのか?」
数秒間黙り込んだミョウジンは舌打ちをした後に気怠そうな唸り声をあげた。そして「あーあーウゼー」と悪態をついた。
「わかった。まだ世の中には出していない情報だけど。アンタさあ報道記者とかに情報を流すことはある?そうだと困るからさ、それ次第ではおしえてやってもいいぜ」
リンクメモというのはホームページのリンクを張り付けただけのアドレスを記したものということになるのだろうか。いまいち何かが釈然としないが俺はザラついたシャツの襟から手を放してから立ち上がった。報道記者という言葉を聞いた俺の脳裏によぎったのはクロックイズヘッドという会社名だった。情報をどう扱うかをこの男に伝える必要はない、語らせればよい。手を払ってため息をついてから逃走したときに追いかけられるように周囲を確認した。
ミョウジンは上体を起こしてアスファルトに両手を立てた。
「痛かったなー腹立つわースマホでみると画面が小さいからな」
仕方がない、話を聞くことを強調して犯罪者としての扱いをぼやかすか。この男はそのうち別の件で捕まるだろう。それに心的外傷を及ぼす映像についてかなり詳しいようだ。烏丸はネクタイを締めなおしてから威圧的な態度を崩さずにミョウジンに言い放った。
「わかったよ、悪かった。情報提供者として謝礼を払う。恐喝の件は後藤の奥さんがなにもいわなければ世の中にはでないし捜査もしない。車に乗れよ。手錠とかもかけないからさ」
「警察の謝礼なんか足しにならねえだろうがよ。わかった。心的外傷って。ハハハ。ちなみにアンタたちが調べている映像はもうとっくの昔に処分されているよ。ああ言っていることわかる?消えたんだよ。次のコンテンツがもう生成されたわけよ。コンテンツって言葉の意味わかる?」
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