DAY1-8 花田
午後十四時 国営テレビスタジオ 花田直哉
国営テレビのメインディレクターはスーツにポニーテールで清潔感の漂う女性だった。筋トレのトレーニングウェアを着ているプライベートが透けて見えるような締まりのある容姿はいつもだったら飲みに誘うところだったが今回は面倒な諸事情があることでお預けである。
スタジオの外にある通路で挨拶をするときもクロックイズヘッドの社員が死んでいないかが気になってしまう。ニュースになったらさっきのインタビューを内混ぜにしたものが流れるのだろう。夜の十時台になら自宅での晩酌が台無しになる。
いや社内に残ってむさ苦しい刑事と明朝まで過ごすかもしれない。まだ起きてもいないことに苦痛を覚えたがメインディレクターの爽やかな笑顔で気持ちを持ち直した。
「花田さん、今日の撮影ありがとうございました。会社の方でいろいろ事故があったみたいで。手間を取らせました」
「いえいえ、ネットメディアは肉体労働とか基点のきくアイデアとコミュニケーション能力がなくても好きなことに関わっていることが価値になるということが良いところなのでそれが世の中にもっと広まると良いなと思います。では」
この段階でも自分で考えた台本を読んでいるような人間味に欠ける回答をしている。間違ったことは言っていないのだが。上の空の時はこういった常套句だけしか言わないモードのスイッチが入るのが悪い癖だ。今日は非常に調子が悪い。さっさと刑事の桜庭に電話しよう。テレビ局の通路は清掃が行き届いていて空気が良い。
「クロへも喫煙所を縮小するか」
スマホを確認しても目新しい連絡はない。
「だめだな。疲れた。カフェでコーヒーを二杯いれて瞑想したいな」
こうと決めたら絶対にするつもりだ。もしこれから新たな問題が起きるなら先に頭を冷やしておかないと解決できない。
「何が呪いの映像だ」
週刊誌で若手女優の熱愛報道が出た時の方がよっぽどショックが大きい。
局を出ると先ほどまで照明の熱気とは質の違う、刺すような紫外線が降り注いでいた。汗はあまりかかない方だが日焼けが心配だ。顔が黒くなると遊んでいる上司と思われてしまう。くだらないことばかりが頭をよぎる。こうでなければまともな神経ではいられない状況だ。
すぐ後にスマホの画面を見ると電話番号用メールの着信があった。さっき桜庭の名前を登録しておいてよかった。
「誰だ、お前は、今向かう」
「いや電話番号を登録しただけで怒らせたのか。やっぱり桜庭って人少し憂鬱そうなんだよな。清潔感は維持しているけどネカフェに住んでそう」
「暑いな、裏手に出ればよかった。こんな長い距離歩きたくないな」
スタジオのあるビルの向かいにある車道で騒々しい音がしている。この車道は取材車も行き交う事ができるタイプのものだ。引き返して騒ぎのする方向もチェックすることにした。カフェを探しがてらとりあえずタクシーを拾おうと裏手に出た。
スタジオの来客ロビーを抜けるときに路上に衝撃音が響いた。
「アクセルとブレーキの踏み間違い案件かもな」
桜庭のメールへの返信は後ですることにしてスマホのカメラを起動して録画ボタンをオンにした。ロビー玄関を出ると左五十メートルほど先の方で黒いセダンが暴走しているようだ。歩道と小さな街路樹を右往左往して破壊している。その様子を画角に収めて追いかける。通行人や職員は三人ほどしかいない人を殺すわけでもなしに暴走する車には何か違和感がある。しかし自分の抱えている社員がどんなに心配でもこう言った現場は確実に押さえておかなくてはならない。
停止した車がタイヤから煙を立ち上らせているドアが開いたので運転手にズームした。
「え、刑事。桜庭」
桜庭はフラフラとよろめいている。運転席から出てきたにも関わらず潰れたビジネス用のリュックをからったままだ。そのまま転んで倒れ込んだ。
俺はカメラをオンにしたまま走って桜庭に近寄った。
「桜庭さん。何かあったのですか」
桜庭は俺の方ではなく撮影所の遠くビルの屋上の方を見ている。
「目が見えてない。桜庭さん」
桜庭は胸ポケットから手帳を出してあらぬ方向に投げた。
「さっき会ったか」
「クロックイズヘッドで安藤が死んだ件で捜査に協力した花田です」
「ああネットメディアの社員か。それを持っていってくれ。答えが出なかった」
「何を言っているのですか。落ち着いてください」
膝を折った桜庭が歯を食いしばって堪えるようにして口を膨らませた。唇から顎にかけて血が溢れ出た。そして開かれた口から舌と何本かの歯が吐き出された。
「ちょっと待ってくれ、なんだよ」
カメラはオンにしたままだったが吐き気を催すと同時に桜庭の方とは逆の方に顔を背けた。アスファルトに落ちている手帳が視界に入る。じき警察が来るだろう。あの手帳の中に何か書いてあれば一連のクロックイズヘッドを脅かしている邪悪に対する打開策になるかもしれない。周りの数人は通報している真最中だ。頭によぎったのは自分の会社の仲間たちのことだった。
「答えが出なかったか。やっぱり霊なのか」
警察の事情聴取など受けていたら日が暮れてしまう。安藤が死ぬ原因を作った映像は深夜にクロックイズヘッドに回ってきた訳だから深夜の業務を中止するかもしれない。思考が巡ると同時に猛暑の日差しが血液を沸騰させている。このまま決断を迷っていれば呪いの映像を見てすらいないのに死んでしまう。俺はバッグの中から国営テレビのスタッフにもらったペットボトルの水を出し、残りを全部飲み干した。
「あのすいません、急用があるので通報したあなた達にこの場所を任せます」
こちらを見ている男が何か言っているようだが。聞かないふりをした。
数メートル先のテレビ関係者であろう二人の人物はすぐに俺から目を離して桜庭の前に寄ってきた「心臓マッサージとかしないといけないのか?」とか「でも口がボロボロだよ」と慌てている。
俺はこの二人に気づかれないように手帳に近寄って拾い逆方向に歩いた。大通りに出て少し駆け足でタクシーが拾えそうな場所を探す。そこに都営バスが通っているのを見て乗りこんだ。
どこでも良い。刑事が自分で口を噛み潰した現場には長居したくなかった。バスは客が数人いるだけだった。近くで何があったかがニュースになるまでには時間がかかる。少し深呼吸をして桜庭の手帳を自分のビジネスバッグから引き抜いた。おそらく精神に異常をきたした段階での殴り書きのページが前段にあるため正常な文字を探す。
七月十二日 メトロ〇〇、〇〇線にて起きた飛び降り自殺した人間のスマートフォンの中に別の飛び降り事故の映像が入っていることが後にわかった。死亡した職業大手電気屋の販売員(正社員)とは面識もなく連絡先も共有していない模様。
自殺の映像の元を追うがどの駅かは特定できなかった。日時がわかれば良いのだが。
七月二十八日 新宿駅で飛び降り自殺が発生。現場に向かったが。飛び降り自殺した当人のスマートフォンは線路に落ちた時の衝撃で履歴やデータを復元することは不可能だった。監視カメラの映像で駅のホームから線路に飛び降りる寸前に携帯電話で通話をしているように見えた。サイバー犯罪の捜査をしている知り合いに連絡をとった極秘の捜査だと伝えてある
「なるほどな、電話ごと消えているから原因が掴めなかったのか」
私は仕事が上手くいかない。でもこの難解なパズルを解いたときに達成感を得ることができるはずだ。
「いきなりどうした。自動翻訳した英語みたいだな」
突然ツブキットにつぶやく疲れた人間が書くイメージのある手記のような話が始まったことに俺は驚いた。筆跡は正常だが「私は仕事が上手くいかない」の綴りは日本語としてはおかしい。酒でも飲んでいたのだろうか。手記は中断されていつもの日記風メモに戻った。
八月二日、サイバー捜査班の調べでツブキットというSNSツールを連日の飛び降り自殺の死亡者三名が使用していることがわかった。早速調べることにしてアカウントを作ったところ何も出てこなかった。しかし若者に人気のあるネットメディア「クロックイズヘッド」というメディアの事故を取り扱った事が少しサイバー班の検索網に引っ掛かったと耳にした。こういった刺激の強い記事は人を傷つける可能性があるので常に監視されているらしい。私も警視庁の人間としてSNSをマークしていたが何も起きていなかった。だが八月三日深夜のクロックイズヘッドの深夜の記事は飛び降り自殺だった。後の現場を若者数名が騒ぎながら撮影していると想起される文面で動画をアップロードしているつもりだったのだろうが何かの不手際で映像はなしで文字だけの記事だった。
「ああ、これが神谷のことかそこまで調べられるものなのか。事故の記事は控えた方が良いな」
(見出しは〇〇駅で飛び降り自殺発生。本文八月二日〇〇駅で飛び降り自殺が発生。終電間際に〇〇線の一部が停止。復旧は終電の時間には間に合う模様。〇〇線〇〇方面にお住まいの方別の公共機関を利用することをお勧めします。現場映像はコチラ。)
同日明朝。この記事を書いた人間が脳卒中で倒れたとサイバー捜査班から連絡を受け所轄に許可を取って現場に向かった。
わかった わかった わかった わかった わかった 知ってる 知ってる 知ってる
知ってる 知ってる。
最初のページの筆跡と比べて読める範囲ではあるが明らかに荒れた文字で単語が繰り返されている。
ページをめくっていくと電話番号とメールが繰り返し描かれていた。少しシミのついたページでは綺麗な文字でこう記されていた。
七月に私は変わってしまった。
水難事故に遭って水を吐きながら海から歩いてきた若者を撮影して記録をするつもりだった。もちろん通報をして応援を呼んだ。海に行っていた理由も単純に先日の強姦事件に反社会組織が絡んでいるとの情報を得たからだった。
その映像は捜査では使われることがなかったため。小遣い欲しさにテレビ局に売ってしまった。後日振込のあった二万円ほどの謝礼をコンビニのATMで引き出したあと酒を飲んでいる時に自分の映像が使用されたネット番組のアーカイブ映像を見ていた。承認欲求とは違うものかもしれない。だが恍惚と昂りに私は酒を煽ってこの時代遅れのメモ帳に記している。紙質のメモ帳なら誰にも監視されないからだ。
帰りにフラフラとホームを歩くサラリーマンを見かけた時に私は警察官としての職務を忘れてスマホのカメラをオンにした。新宿の駅に私とサラリーマン以外に人はいなかった。これといって刑事としての仕事はできる方だったのだが電車に吸い込まれていった中年をカメラ越しに見た瞬間の後から私はダメになった。
もう長く警視庁に出勤していない。無断で休んでホテルに泊まりながら何かを探している。何かがあると思った。達成しなければ戻れない。
調べれば調べるほど飛び降り自殺の接点が出てくるのだがこれは私の妄想疾患だと思えてくる。
最後のページには乱れた筆跡でこう描かれていた。
シーイング
「シーイング、見ているって意味か。これだけだと病んでいる刑事の話だな。呪いの映像を見て死のカウントダウンが来たように見えたのだが」
何かが神谷と城島の死と繋がっているのだがどこか遠い。スマホでシーイングと検索したのだが望遠鏡とファッションブランドの類しか出てこない。
「鈴井たちの報告と合わせたら情報が噛み合うかもしれないな」
俺は適当な場所でバスを降りてすぐ後ろで客待ちしていたタクシーに乗り換えた。
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