シーイングスケアリー
北木事 鳴夜見
DAY0 神谷
八月十六日 神谷光喜
二十三時を過ぎた。電車を降りて数分で繁華街の真ん中を少し外れる。
「スマホに集中すれば地獄なんか乗り切れる」暇人の間で大量生産されている虚しい自己啓発を否定していたのも学生である期間だけだった。二十代後半を過ぎてからというものの何処にいくにもニュースでも炎上でもなんでも良いから画面の先で起きている出来事をむさぼって街を歩くのが常だ。
不安という名の現実に向き合うことの方が人生の足を引っ張る事が多い。不安を乗り越え勝ち続けた人間はワンランク上の世界にいて俺がいる生活圏には存在しない。不安から目を背けることも現実を見ることに値するはずだ。きっとそうだと信じている。
日差しが差していなくても先ほどまで降っていた小雨がアスファルトの上でじっとりとした熱気を立ち昇らせている。都心とはいえ民衆知能のレベルがまちまちな中規模の繁華街十字路を過ぎた場所に勤務先である「クロックイズヘッド」はある。それなりに綺麗なリノベーションが施されたされた六階建ての古ビルがもう見えている。
向かいのコンビニ前では俺より下の世代と見られる数人がマスクを耳から垂らしてチューハイとタバコを楽しんでいる。例のコロナの影響は夜勤にはあまり感じられないが鬱陶しいことは共感できる。中華料理や複数の居酒屋といつも客がいない気取ったアパレル店を見て体にフィットしすぎた卑猥なファッションに身を包む美人がいないか横目で流したが今日はいなかった。
閉店前の古着屋の前には少し派手なギャルがいる。今年の夏は十年前のリバイバルが来ているのだと昨日帰りの始発朝イチのニュースで見た事がおぼろげに脳の奥にある。何でもリバイバルできるなら流行もリサイクルされているのだろうか。どの道、深夜のニュースに使えるネタにはならないだろう。そろそろ仕事が始まるのでメディア社員として情報を流す側の感覚を整える必要がある。ネタは無難なものが良い、頭で想像するより検索した方が早い。
勤務先の「クロックイズヘッド」のビル横の焼き鳥屋から炭火の匂いが漂ってくる。盆が過ぎたということもあって俺の母方の爺さんが火葬場で焼かれている時の事を思い出す。
「そろそろ、じいちゃんの葬式があるかもな。その時が来たら有給でもとるか」
「クロックイズヘッド」のあるビルは一階がガラス張りのポップなカラーで内装が施されたアイスクリーム屋になっている。他の街にも店舗はあるかもしれないがチェーン店ではないことは確かだ。
同じくガラスで仕切られたエレベーターに続く通路を抜けるとき閉店の準備をしているスタイルの良い店員を横目で見流す。今日はテーブルを拭く時間帯に遭遇したのでラッキーだった。ガラスと机を挟んだアングルでカッターシャツの首元と胸元を見る事ができた。スカートのパステルカラーも夏仕様で非常に良い。
エレベータのスイッチを押した。到着したエレベーターから残業組が出てきた。野球とサッカーの記事を担当する連中は試合観戦後の爽快感と高揚感のオーラを纏わせている。数人はリーグトップのチームの試合を観戦しているので心の底から良い身分だと思うがスポーツ記事の稼ぎは会社の貢献度が高いので何一つ文句はない。
微かなタバコの匂いが空調の風に乗って通った。スポーツ担当と配信スタッフは小声で何か言って頭を下げて通り過ぎた。挨拶がまともではないのはいつもの事だから不快には思わない。一人は萩野という男で夜のバラエティ番組やテレビのコメントの切り抜きを流す仕事をしている。俺の顔を見てすぐくだらない話を振ってきた。今日は付き合いたくないので俺は適当に相槌を打つプランで流すことにした。
「おお神谷お疲れ。今日リネア・スタチューが逮捕されるかもしれないらしいぞ」
「萩野さんお疲れ様です。ああリネアか。よくアメリカの家宅捜索の情報が入りますよね。何者なんですか長野さんって」
「はは、あいつは海外のライターと一日中チャットしているって言っていた」
「一日って深夜以外ですか。うんまあいいや。お疲れっす」
「おう頑張れよ。神谷」
コミュニケーションを控えたい俺の話している最中の無愛想な気配を察したと見える萩野は足早にアイスクリーム屋の明かりが照らす通路を通り抜けた。荻野は外に出て雨が降っていないか手をかざしている。お疲れ様です。
どちらかと言えば休みは欲しくない。こうして仕事をしていれば将来後悔するようなことはない。
後悔の念をネットに上げる人間がいるように見えることも多いが大抵は「人生を甘く見すぎて破滅した」といった話題は数年前の使い回しだ。それを含めて学習するのが大事だがわざわざ説明するようなことではない。失敗を悔やむ人生はそれでしかなく大体の物事を侮るクセのある人間性に問題があるのだ。
エレベータに乗ると少し茶色いポップコーンの匂いとエアコンから出る空気清浄機の匂いがした。いつも通りだ今日も調子がいいぞ。
「今日のアイスガールは髪色ピンクだったな。髪の毛の耐久性が高いのだろうな。充実した生活を送っているわけだ羨ましいな」
ベンチャー企業の中でも、とくに面白いヤツが基本だ。言い方は悪いがチマチマ金を増やすだとか、ヘラヘラして車を売るなんてゴメン被る。
これは就職活動中に俺の頭をループしていた言葉だ。そして面接に落ちる度に自分がつまらない人間であるという自覚が増していった。会社が面白いことをしていれば下働きでも良いと考え方を切り替えた後、適度に何とかなりそうだったベンチャー企業に内定をもらった。ベンチャーと言う名目だけ目標を達成してそれ以外の自分は中身のない社会人のテンプレートだ。そう考えることでさらに欲張って転職を成功させて人生が変わるなどといった余計な夢を見ないようにしている。
このくだりを頭の中で反芻している奴も無数にいるだろう。以上を踏まえて「他人に言えない自己分析」では「俺は最低の愚人だ」との結果が出ている。不安感や劣等と向き合う意味などこの社会にはない。この程度の覚悟では何事も上手くいかないのが常識かも知れない。
ただ一年くらいは特に上司との喧嘩もいわゆるコミュ障も出なかった。不安と向き合うよりは騙し騙しやっていた方が楽だろう。選んだ場所は他と比べて面白さだけなら秀逸だった。二十四時間営業ネットメディア。合法でやっている様子ではあるけど、実際はどうだろうか。そんなことをわざわざ考える必要はない。
要するにニュースのコンビニであるこの会社で勤めている。モットーは単純にアリでキャッチコピーがよければオーケー。
「クロックイズヘッド」は二十四時間、常にネタを提供し続けるために部門につき三人制で全てやる(らしい)。基本的に深夜のニュースの更新はは海外のゴシップとネットで話題で賄っている。
午前から夕方は政治でも国際でも、スポーツも経済も天気も事故、渋滞、イベント、災害への対応は月並みではあるが取り上げている。大半が他社のニュースを借りているのだが。嘘を流すくらいならコピペしろと上司の花田が言っていた気がする。
外回りはバイカー共が出払う、社内には送られた映像と文書ファイルを受け取った後、予め作られたタイムラインにぶち込むだけのアップロード専門職の下働きが数人いるが昼間の業務をしている人間とはほとんど面識はない。
俺は深夜ニュース担当で通称「机上空論班」で仕事をしている。アップロードするネタは自分で回収する必要があるからこれは下働きとは違う。ネットニュースで最も美味しいバズを手に入れてコピーして流す。実際は「ネットニュースの監視担当」である。ネタが少ないときは伝説のスレタイコピーとか意外と知らない都市伝説の記事を焼き増しする。勿論、ここ最近はもっぱら犬と猫のファニーモーメントで半日埋めている。
ネット監視で可愛い動物ネタについでアクセス数が多いのは「惨事」だ。事故だとか、事件をやらかした奴の映像を垂れ流している得意先から、無断で保存することが多い。撮影者は直ぐにテレビ局に流行る話題と映像を売り払う。新しい出来事は拡散されるタイミングに乗りさえすれば貴重な資源になる。実質一時間分のニュースになる事も多いし使い回しが効く。あとで情報を盗んだと言われることもここ最近なくなった。全国に拡散される予定のネタは誰でも保存できるからだ。
極々たまにクレームが入った後、ギャラを払う事がある。それは別の担当がやる事になっている。
午後十一時出勤。夜勤枠で仕事をする。ビルのワンフロアと屋上しかスペースがないが、今期の総合閲覧数は六本木の大手に次いで三位。たまに一部の担当が過労で入院すると派遣ライターが勝手に湧く。そしていつの間にか退院した担当が復帰している。代わりなどいくらでもいるがサボらなければクビになることはないだろう。
狭いエレベータを上がってまず休憩所で朝飯をたべる。まだ午後九時から十一時のニュースがアップしたばかりなので。ゆっくりとできる。十二時にアップするネタの予定は、「報道ナウビジョンに抜擢された元モデル新人「永久アナウンサー」が原稿を噛んだ回数が千回を突破!」で決定している。
カウントは平日の間、俺が常に数えている。寝起きのニュースの代わりに、行きの終電に乗っている間にスマホで確認するのだ。なにか面白い放送事故やちょっとダサい服装のネタも記事にすることにしている。つまらなくてもなにかしらを打ち込んでウェブに投げるのだが。
相変わらず、ガチの政治ニュース担当者が休憩所奥のガラス張りになった非常階段兼喫煙所でミーティングしている。暑さにも負けず喫煙するのは色々な意味でメンタルが強いと言える、あの灰皿は何分で週一のごみ袋分サイズになるのだろうか。寿命が短いおじさん方は深夜帯が休みだ。エレベータを出てすぐのプラスチック張り喫煙所に向かって「お疲れース」と挨拶をしてから自販機で甘ったるいエナジードリンク(朝飯)を買うのが日課だ。
休憩所の入り口を抜ける。小さな非喫煙者用休憩所とベランダにある喫煙所の間に挟まるガラスにはポスターが中途半端に貼り付けてある。多くはないが少なくもないポスターを少し遮る形で宅配便が積んである以外はきれいな方だ。椅子と机には十分スペースがある。自販機にはスナックもあるから腹が空いても社外に出る必要はない。強いて言えば照明が少し暗いことが悲しいがどうにかならないかとは思わない。居心地は良い。
休憩所の前の通路はベンチャー企業らしく適度にシャープなデザインの横文字で「CLOCK IS HEAD」と書かれたロゴが貼り付けられた白い壁になっている五メートルほど先は壁で遮られているので休憩所の惨状は来客者には見えない。
その壁の前にオフィスの入り口があるからだ。オレンジの太いボーダーが貼ってあるガラス戸にも同じ平面のロゴが貼ってある。休憩所からオフィスに戻るときは一旦来客用の通路も通る必要がある。
マスクを外してスマホの画面を見る。二百三十円を自販機にいれて片手でボタンを押し片手で取り出し片手で缶のプルを開けて一口飲む。とにかく民放が流す前にド派手な大事故やクズが大暴れする瞬間を発見すれば楽だ、見つけたら勿論ネタを拝借する。
オレンジ色の元気な印象のガラス戸をあけて節電で暗いオフィスに入る。冷蔵庫並みに冷えている分照明は暗い。三十畳ほどのオフィスは海外班と清掃のじいさんが先に仕事をはじめている。海外班は特ダネの影響で早出になったようだ。五列ある中から壁側二列目。後ろから二番目のマイデスクに座った。
深夜とは言え、ネットの世界が眠る事はない。終電への飛び込み映像を発見したのでスマホに保存した。投稿者の反応としてリンク先込みでコピーして深夜二時の枠に投稿しよう。きっと現場に居合わせた撮影者も本望だろうから全く問題ない。
五十畳程の縦に長いオフィスルームからあっという間に、不健康ランク二位の残業組が掃けた。残った不健康組ランク一位は、タイムライン担当が一人、海外の麻薬取締法に引っ掛かったディーヴァの追加記事をハイエナ待ちしている海外班が一人(英語記事を訳するだけ)そして今から線路飛び降り自殺のニュースを流した後、人物特定もどきの嘘話を回収する机上の空論班の俺だけだ。
デスクはそれぞれ個性的だ。すでに帰宅している隣の美人は天気予報士の配信担当だ、夕方のニュース担当も兼ねている彼女のデスクの上をみると正方形の鏡がPCの後ろに片付けてある。書類よりメイク道具が多い。
お天気お姉さんの鈴井は朝に顔を合わせる事が多い。テレビ局のアナウンサーのように午前と午後にネット配信をするのだが、視聴者はニュースではなくふっくらとした胸元を見ている。鈴井菜穂と言う名前の女は「クロックイズヘッド」の看板娘だ。指さし棒と雲のマスコットが突き刺してあるブランドバッグの紙袋がある。紙袋でデスクに蓋をしているということは恐らく「今日は終わり、触るな」という意味だ。紙袋が無くても他人のデスクなんて誰も触らない。
離れたデスク群は地獄絵図。新作コーヒーの空き殻。レビュー用の電子タバコ試供品。新型ゲームソフト。それに応じたハードウェア。他社の雑誌。ゴシップを片端からコピーした束が机上に散乱している。二つで一つのデスクに見えるものもあるがそれぞれが別に分けてある(エンタメ班に国境はない)俺のいる列にあるデスクは今でも意外なのだが外に出る取材者が多い。映画の宣伝担当。アニメ。ドラマ。車バイク。鉄道とお天気お姉さんという感じだろうか。お天気お姉さん以外は「メディアを追っかけるメディア陣」と言える。他の出版社の雑誌をネットに転載する事が多いこの部署は率直に言えば相当に良い身分だといえる。結論Sランク社員と言える。何を材料にしてランキングをつけているかと言われれば「何も考えていない」と答える。それもなんとなくだ。
先ほどすれ違ったスポーツ担当者たちは全員配信スタッフのデスクの前の二列目を陣取っている。
左別室には福祉関係の事務所があるのだがほとんど使われているのを見た事がない。コンビニグルメ特集に使われた殻を清掃員が片付けている。持続可能な社会はゴミを片付ける人間だけが成り立たせている。
環境問題を取り扱ったニュースを見ていてもピンとこない事が多い。広告業とゴミ処理は違う。
日頃積み重ねている徳を失うような罰当たりな考えが頭によぎったが「暇潰しを兼ねた性格の悪い脳トレ」も終わりだ。地味なデスクチェアに座ればトレーニング機能がスリープモードに入る。代わりに朝の六時までは深夜ウェブライターの体内時計が起動する。
俺のデスクがある列の隅には、たこ足コンセントのジャングルがある。このエリアは机一つ分を使っていることからジャングルになぞらえて通称(アフリカデスク)と呼ばれている。昔からこういう所が好きだから不快には思わない。暇そうな海外班が自分のスマホに合う充電ケーブルを探している。
清掃員のジジイもそろそろ退勤の時間だ、残りは喫煙所の灰皿で終わる、ご苦労様。深い溜息をついて、他と比べて整ったデスクに腰掛けて、エナジードリンクを飲み干す。清掃員のジジイが二つ先のデスクで呼んでいる。
「ニイサン、空き缶を投げろ」
「ああ、ありーす」
投げたエナジードリンクの缶は少し水滴を前のデスクに落として。ジジイのごみ袋入り口にしっかりと着地した。今日は入った。
気づけば、勤務時間になる。永久アナは大抵スポーツ前の社会問題のコーナーで原稿を噛む。一方でスポーツニュースの時間は元気だ。偏見ではあるが野球選手と結婚する可能性があれば仕事もはかどるのだろう。台本を噛んだ回数は千二十五回。しっかりと数えているから間違いない。
タイムラインは俺の記事を待っている待機者が二百人ほどいる。ライターの名前は「深夜店長 神谷」で通している。
日付が変わった今日、誰とミーティングするでもなく仕事が始まる。と同時に四列目のデスクでハイエナ待ちの海外班がカップ麺に湯を入れ始めた。
「休憩所で食えよ」と注意したい所だったのだが、昼間のグルメ記事の余りでクオリティが高いようだ。奴らがお湯をそそぐと上質な冠水の香りがしてきた。
「後で、俺にも下さい。いいですねえ、それ」と返事をすると。
「まだ箱であるから、残りも全部持って帰れよ。あんまり美味しくないらしいぞ」とのことだったので箱ごと紙袋に入れて持って帰ることにした。昼飯が決まった。
二十五時の記事を用意している間のデスクは背油醤油豚骨の匂いが漂っていた。誰も何の曲かわからないヘタクソな鼻歌が鼻口から流れてきそうだ、少しずつラーメンが食べたいという欲求が高まってきている。
少し他のメディアのニュースを覗くとどうやら問題のディーヴァは飲酒事故を起こした上でカーチェイスした挙句捕まったようだ。その後尿検査で薬物反応アリ。
海外班はラーメンを半分残したまま。キーボードを叩いている。
結果二十五時の記事は「猫が金魚水槽の裏で寝ているのが、水の中にいるようで「カワイイ」に加えてカップ麺の宣伝とでこなした。カップ麺の画像と紹介文。深夜にもやっている家系ラーメンの店紹介をした。店舗に電話で許可を獲った。現在も深夜営業もしているようなので滞りなく許可を貰う事ができた。
順調に事が運んだこともあり昼飯は定時に食べる事ができそうだ。カップ麺の宣伝も兼ねているわけだから、快い反応だった。(不快感は電話からは伝わらない)
二十六時の記事は電車の飛び降り後を現場で撮ったものがメインだったが、動画がアップロードできず、数行のニュースに留めた。電波(Wi-Fi)の問題は何もないにもかかわらず、三十分以内にアップロードが終わらなかったせいだ。
リアル家系ラーメンを頂く時間が近づいている。三時頃からツブキットでネタがないか探していた。ピックアップニュースでなく箸休めのものではあるがタイムリーで月並みの出来で尚且つ渾身のネタを探していた。「都市伝説」というキーワードで、ぼやきを流していると。
「(シーイング)死亡事故や事件現場。災害の瞬間を確実に撮影する副業のやり方(テレビ局に映像を送ればお金がもらえるかも)」というぼやきに目が止まった。アカウントのアイコンは黄色単色だった。
「いや欲しいなこの技術。絶対嘘だろうな。これ。この副業をしている奴と連絡取りたい。一旦チェックだな」
リンクアドレスをクリックしようとする前に、アカウントのぼやき履歴を覗いた。フォロー0、フォロワー0、ぼやきが一件、それも俺が都市伝説を検索した直後のぼやきだ、少し面白そうだ、都市伝説、閲覧一回目が俺なのは良い兆しだ。捨てることが前提のものかそれとも不発弾を投下してブームが起きるきっかけを掴んでいる最中なのかはどちらでもよいのだが。
「話題にするかどうかはクロックイズヘッドの深夜ニュースになるかが大事だぞ。埋もれて誰にも見られずに消えると可愛そうだから。ありがたく思え。まあ鬱陶しい広告、怪しい広告シリーズにカテゴライズされるけどな。よし香ばしいやつを見つけたぜ」
さっそくキャプチャーレック(録画)の準備をして、「詳しいやり方の一部と会員登録はこちらから」その緑色の文字列アドレスをクリックした。後からブログ形式で詐欺に注意といったキャッチコピーで使えそうなのでスクリーンショットを撮るべきだったが後回しにした。その程度の手抜きは問題ない。
リンク先はブラウザ内でローディングされていく。映し出されたのはビルの屋上で、晴天が広がっている。ブラウザ画面が突然フルスクリーンに変更された。画面いっぱいに屋上とビル街が映る。この辺の地域ではなさそうだ。昔よく目にしたブラウザ上のビックリギミックではあるが、思わず息をのんでしまった。
真ん中にフレームのない動画が再生され始めた。ツブキットのブラウザは動画が再生されると動画の再生画面が縦長の別画面になるのが通常だがどうやらPC内の動画再生アプリを勝手に起動しているようだ。ノンフレームの映像は切り替わる。渋谷のスクランブル交差点だろうか。なんとなくそう錯覚させられているのか。行きかう人々の足元が定点で映し出されている。スニーカーやハイヒール。天使の羽がついているメイドのようにもみえる靴。サラリーマンのスーツパンツとブーツ。白と黒の横断歩道のアスファルトに黄色いものがチカチカとあるような感覚に襲われた。どうやらこの映像の中に出ては消える、を繰り返す発光が感じられた。
個人的には期待外れではあるのだが、これはネタとして秀逸である。ラッキーなものを見つけたのだがホーム画面とキャプチャアプリを触れない。それどころか、マウスカーソルが消失した。スクリーンショットのショートカットキーは押しても手応えがない。
「さすがにここまでくると、ウイルスだな。まずいリンクを触っちゃったな」
舌打ちをした俺は髪をバサバサとかき回した。どうすることもできないので、画面を凝視する、五分経ったら電源を落とすことにした。バックアップは問題ない。
「確かに足元の隙間に黄色い何かがある。よくつくりこまれている」
「顔がチラつく間にも行きかう人々の足は、繰り返しではなく時間が過ぎている。へえ、すごいな」
黄色い何かの存在感が増してくる、増えているわけではないのだが近づいてくる。マウスを連打しても何も起こらない。
「悪くないけど、転載するかアドレスリンクを貼らないとネタにならないからな」
交差点を映している画面が黄色くなっていた、プラスチックのお面をカメラに被せているようだチカチカと交差点の日差しを反射させている。その瞬間に強制でブラウザが閉じた。
もう一度リンクをクリックしたい。その前にキャプチャアプリをオンにした。しかし先ほどの広告アカウントが消えていた。検索ワードを打ち直してみても都市伝説や事故映像といった検索ワードが平凡すぎるせいか可もなく不可もないいつものくだらないネット世界に更新されている状態だった。シーイングと検索項目に打ち込んでも一件もヒットしなかった。
ネタの仕入れに失敗した。
シーイングという怪しい広告のスクリーンショットも取れなかったので結果何ものこらなかった。仕方なく午前三時のネタは海外班のディーヴァが逮捕される前の噂話を貸してもらいタイムラインを埋めることにした。後追いで別のスキャンダルでやらかした人物の素性を盛っておけば新しいニュースとして扱えるのでアクセス数は安定するのだが。コピペのセンスが自分とは違うのでモヤモヤとした気分になった。
「キャプチャを先に押してから、クリックしないとダメだからな。しくじった。クオリティが高かったなあ」
「ラーメンを食べて気を取り直そう」
久しぶりの新作カップラーメンだ。ワクワクしながら席をたった。コーヒーサーバーのある給湯室でお湯ポットの残量を確認する。満タンランプが光り輝いている。
「そうだ、ウーロン茶を買おう、ラーメンにはウーロン茶だよな」
デスクルームから休憩所にでるオレンジのボーダーが入ったガラス戸のドアノブを握った時に円形のプラスチックのフィルムを触った感触があった。ソレを捻ったときに、黄色い何かを思い出すと同時にプラスチックフィルムというよりは色付きナイロン紙のクシャリとした感触に近い。思わず手を大きく上に払った俺は手の平をみた。どうやら気のせいでドアノブを空振りしていたようだ。
「いや、何か握った気がしたな。こわ」
休憩所と喫煙所を通り過ぎて、自販機の前に立って十秒休憩する。財布を出そうとポケットに手を突っ込んだときにまたプラスチックのフィルムを触った気がした。苛立ちを覚えてそのまま引っこ抜くと、いつもの古着屋で買った安い茶革の財布だった。舌打ちをして小銭を出す。
「黄色い奴がついてくるな、際どい映像にはなれているはずなのだけどな」
ウーロン茶のボタンを押して、出口に手をいれる。どうせフィルムの感触があるのであれば思い切りよく引っこ抜いてやろう。グッと握るとそれはフィルムだった。
「クシャ」
取り出す瞬間に出口の蓋にパリパリと不快な何かが当たった音がした。握った手を恐る恐るみると、それはウーロン茶のペットボトルだった。
顎に手を添えて少し考えてみる、最初から目で確認すればいいはずだ。思えば手を伸ばす先を見ていないことが多い。まったく何の反省をさせられているのだろうか、日頃の行いは勿論悪いのだが訳のわからない償いに対して反省などをする気はない。
休憩所と喫煙所を通る時、喫煙所の中に黄色い何かがあるような気がした。気合をいれて睨みつけると、新しいゲームの広告の半分犬で半分鼠な見苦しい黄色いキャラクターだった。フィルムの錯覚に対して反応をする意味はない。不快感に負けて数日はこの症状と付き合っていくことを決めた。
「わかった、わかった、もういい黄色いものなんか幾らでもある」
独り言をいって温いケジメをつけたが、こういった現象がネットユーザーの間で話題になったらと思うとさっき逃した獲物は大きいじゃないか。踏んだり蹴ったりとしか言いようがない。
「俺、呪われた?鬱陶しいな」
デスクルームの扉のドアノブをじっくり観察して握る。どうやら目で確認する作戦は上手くいった。フン、と鼻をならした。
海外班の長野が呼んでいる。コピーされた書類を俺の席に置いて四列目の席に戻るところだった。意気揚々としているどうやらかなり閲覧数が伸びているようだ。
「ディーヴァの乱交話の資料、ここに置いておくぞ」
「ありがとうございます。コーヒー飲みますか」
「いや要らない、ラーメンは普通だったぞ」
「いやあ、腹が減っていれば、体感は店の味ですよ」
海外班の長野は苦笑いをしながら、パソコンに集中を戻した。
デスクの壁沿いにあるコーヒーサーバーのある給湯室でお湯を入れる。割りばしの位置に手を伸ばした時に、プラスチックのフィルムを握ってしまった。油断して手元から目をそらしてしまったことに少し苛立ったが、割りばしを引っこ抜いてジッと見た、フィルムではない。そもそも現在目視で確認してない。先ほどケジメをつけたつもりだったがまたぶり返した不快感を覚えたあと、更にその都度リアクションをとるのも面倒になった。カップ麺の箱は給湯室にあったので取り出すときに目で確認した。なるべくストレスを軽減した上での昼飯にしたい。
デスクに座った時点での時刻は三時三十分だった。ラーメンを啜りながら、猫と犬のファニーモーメントを回収することにした。作業中に背後に黄色い影があると感じて背筋に悪寒が走った。後ろを振り向くと昼間に勤務しているガジェット班の黄色い眼鏡拭きがパソコンに乗せられているだけだった。ため息をついて。パソコンの電源を入れた。
「飛び降り自殺をアップロードして、一時間くらい放置しておくか」
時間をかけて、明日タイムラインに乗せることにしよう。映像を確認する。動画をみていると嫌な気配がした。この駅のホームの映像は監視カメラ視点で、ホーム周辺にいた人間のスマホでは撮れない位置から撮られていた。サラリーマンがカバンを線路に投げる。なぜか、何かを振り払うような素振りに見えた。カバンが線路に落ちたのが見える。サラリーマンは飛び降りる前に、ポケットに手を入れた。手を出すときに何が出てくるのかなんとなく、予見する事ができたが目を背けることが出来なかった。
「なんかこいつ黄色いものを持っているな……。嫌だな。スマホカバーが黄色はダサいなあ」
サラリーマンはその黄色いものを顔に当てたその時黄色いものは無くなってしまった、電車がホームに入ってくる。それと同時にサラリーマンは飛び降りた。
机を殴るのを堪えつつだった。どことなくさっきの詐欺広告風のサイトを思い出す映像で不快値が非常に高かった。
何もかも上手くいっていない就職活動の時もツブキットやネットニュースが全て自分の不幸を煽っているように思えた時期を不意に思い出した。
「なんだよ、もういいこのネタも使わない」
データを削除しつつ少し怒りを面に出すことで落ち着きを取り戻した俺は黙々と作業に打ち込むことができた。その内に黄色い何かの存在を忘れていた。
デスクルーム奥の窓が少し明るくなってきた。朝方のニュースを担当するメンツが出勤し始めている。配信担当全員ととエンタメが二人。外回りがバイクのキーを机に叩きつけてため息をついている。椅子に座った状態で一人一人にボソボソと挨拶をする。海外班の二人はもうすでに出勤してきた同僚と挨拶をして退勤しているところだ。カップ麺のダンボールを三列目の机から腕を伸ばして取ってから机に置いて帰る準備をする。そろそろ俺の仕事も終わりだ。
照明を誰かがつけた影響だろうか視界が少し黄色い。朝ごはんを入れた有料のビニール袋を持った天気配信担当の方を睨んでしまう。カサカサとした音が非常に耳障りだ。ついでに目障りでしょうがない。
別の領域で耳元に鳴り響くカサカサとした音があることに気づいた時に更に視界が黄色くなった。この時に電車に飛び降りたサラリーマンが何をポケットから出していたかがわかった。サングラスやメガネというよりはコンタクトレンズのようなものを自分がつけていることがわかる。しかも手を使わずに背後からそれが押し寄せてきて視界を奪っていく。
顔を触りながら目の近くに手を伸ばしていく。カサカサとしたフィルムが手に触れた時更に視界が黄色くなった。息が苦しくなってきた。焦りで顔についたフィルムを剥がす衝動に駆られる。爪はフィルムではなく顔に刺さるばかりで視界は黄色いまま前が見えない。
「ふざけるな!勘弁してくれよ!」
間違っていることはわかっているが自分の髪の毛も掴んで引っ張ったりするうちに自分のデスクの椅子を蹴飛ばしてしまう。ゴロゴロと音を立てて椅子がどこかに滑っていった。 同僚たち全員がこちらを見ているはずだった。目の前が黄色になっている状態が続くこと一分程過ぎただろうか。ザワザワとした音だけがする。フィルムを掴んで剥がそうとするが顔に傷が増えていくばかりだ。焦りを通り越して何かを悟ってしまった。前方からくるトラック、いや電車が衝突するのを避けられないような感覚。不可避の鉄の塊から放たれる光に俺は包まれている。隣の天気予報士の心配そうな声がする。
「大丈夫?鼻血が出ているよ。顔が痛いの?」
顔中に血が流れている事に気が付いた瞬間膝の力が抜けた。
パタパタと、はためく音がする。誰かがデスクルームに入って「電気つけるよ」といってスイッチを押す音がする。追加された照明にフィルムのチラつく光が反射している。天気予報士の女は俺の肩をゆすっている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます