第20話 野営と漁村
旅に出て一日目の夜、おれたちは野営をすることになった。
焚き火をして、そのまわりにテントを張る。といっても、屍兵たちに休息は必要ないから、テントに入って寝るのは俺とクレールだけなんだけど。
ビルヒニアは、焚き火の横に椅子を置いて座り、夜空を見上げていた。無数の光がふりそそいでくるような、満天の星空だ。
「ビルヒニアは眠らないのか?」
おれは聞いてみた。
「我に睡眠は必要ない。2メル(一時間)ほど瞑想すれば、それで十分だ」
「そうか……じゃあ、おやすみ」
「ふん」
ビルヒニアは鼻を鳴らす。それはビルヒニアなりの、おやすみ、ってあいさつなんだろう。たぶん。
おれたちのテントはかなり広くて、寝床がふたつ用意されていた。クレールは旅の疲れがでたのか、もう毛布にくるまって寝息をたてていた。
「おやすみ、クレール」
おれはそう声をかけてから、ランタンの
次におれが目覚めたとき、あたりはまだ真っ暗だった。テントの外がなにか騒がしく、それで起きてしまったらしい。
「マサキさま、お目覚めですか?」
クレールが呼びかけてきた。
「ああ。外はなんの騒ぎなんだろう」
「わかりません。ビルヒニアさまが、兵士のみなさんに指示を出していたみたいですが」
「見てこよう」
おれは起き上がって、テントから出た。
ビルヒニアは焚き火の横で、腕組みをして立っていた。兵士たちは二、三人残っているだけで、ほかは姿を消していた。
「何かあったのか?」
おれは近づいていって聞いた。
「
ビルヒニアが平然とした声で答える。
「黒狼だって?」
旅人にとって、黒狼の群れほど恐ろしいものはない。王都に向かっていた三十人の
おれは緊張しながら、野営地の周りを見まわした。だけど、まだ夜の闇が深くて、黒狼の影を見ることもできない。
そのとき、クレールがテントから出てこようとした。
「クレール、まだテントのなかにいてくれ。黒狼が出たらしいんだ」
「……はい」
クレールは顔をこわばらせると、素直にテントに戻った。
しばらく耳をすましているうちに、遠くで黒狼が吠える声がした。同時に、激しく争う物音が聞こえてくる。今まさに、兵士たちと黒狼の戦いがはじまったみたいだ。
「ビルヒニア、なにか武器はないか?」
「どうするつもりだ?」
「もし、黒狼がこっちへやってきたら、自分で戦うしかないだろ?」
「くだらぬ心配をせず、そこに座っていろ」
「……わかったよ」
おれはビルヒニアと兵士たちを信じることにした。
キャン、という狼の悲鳴が聞こえたのは、それからすぐだった。さらに、数頭の鳴き声がした後、あたりは急に静まりかえった。
「……終わったようだな」
ビルヒニアがつぶやいた。
やがて、兵士たちが音もなく戻ってきた。鎧に血がついている兵士もいたけど、どれも返り血みたいだ。数えてみれば兵士たちは十四人そろっていた。黒狼の群れを相手にして、ひとりの犠牲者も出さなかったことになる。
「見せ物は終わった。明日にそなえてさっさと寝ろ」
ビルヒニアはそう言って、椅子に腰をおろした。
「わかった。それじゃあ、おやすみ」
おれはテントに戻った。
「黒狼はどうなりましたか?」
クレールが心配そうにたずねてくる。
「兵士たちが追い払ってくれたよ」
「そうなのですか。よかった」
クレールはほっとした顔になる。
(それにしても、ビルヒニアの兵士たちは、思っていた以上の強さだな)
おれは寝床に入りながら思った。
生きていたときから強靱な兵たちだったのが、屍兵となることで、さらに恐るべき力を持ったのかもしれない。我を持たないから隊列を崩すことはないし、死を恐れないから最後のひとりまで戦い抜く。
(これなら、ワイトキングが支配するダンジョンも攻略できるかもしれない)
おれは不安のなかにも希望をもった。
それから三日かけてメーヌ領を横断し、ついに大湿地にたどり着いた。土地の大半が沼や川になっているから、これ以上、馬車で進むことはできない。
まずは、近くにあった村を訪れて、船を手に入れることにする。沼のふちで網の手入れをしている漁師たちを見つけて、声をかけた。
「いきなりで悪いが、あなたたちの船を
「はあ?」
漁師たちは戸惑ったように顔を見あわせた。
「そう言われても、船がなければワシらは商売にならんからのう」
「使用料として一日につき金貨五枚払おう」
「ご、ごまい? 金貨を?」
「そうだよ」
「よろこんで貸しますだ」
みんなが争って貸そうとするから、断るのに苦労した。
結局、大きくて状態が良さそうな船を三艘選んで、借りることにした。とりあえず、三日分の使用料を前払いしておく。馬車や、この先使わない荷物も村に預けることにした。
「ところで、あなた方はどちらに向かいなさるのか」
村の長老がたずねてきた。
「大湿地の奥にあるダンジョンだ。元は古代神殿だった場所だよ」
おれの答えを聞いて、長老はさっと顔色をかえた。
「そ、それだけはおやめなされ。あそこは恐ろしい場所じゃ。亡霊や魔族が住みついておって、人間が近づけばたちどころに喰われるといわれておる」
「馬鹿なことを言うな、魔族は……」
罵ろうとするビルヒニアの口を慌ててふさいでから、
「危険なことは十分に承知しているよ。それでも、どうしても行かなきゃならない理由があるんだ」
と答えた。
「どんな理由があろうと、やめておいた方がいいと思いますがのう」
長老は最後までぶつぶつ言いながら反対していた。
ともかく、借りた船に荷物を移すことにする。ビルヒニアは、兵士たちが作業するのを見守りながら、
「あの老いぼれめ、魔族と亡霊の区別もつかぬのか。それに、人間のまずい肉を好きこのんで食べる魔族もおらぬわ」
とまだ文句を言っていた。
「それはもういいだろ。ところで、ダンジョンがどこにあるか覚えてるか? 忘れてるなら、おれが<神智>を使って……」
「たった六十年まえのことだ。忘れるはずがないわ」
ビルヒニアはおれを横目で睨んで言った。
「そりゃよかった」
大湿地には対岸が見えないくらい大きな沼もあった。だけど、地形が複雑なぶん、目印になるものも多くて、迷うことはないそうだ。
船に荷物を移し終えると、おれたちは村から出発した。村人たちは岸に集まって、何か祈りながら、おれたちを見送った。
おれたちの無事を祈ってくれているんだろうか。それとも、おれたちのせいで災いが降りかかってこないことを願っているんだろうか。
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