まがいもの

多雨書乃式

第1話 赤と紫

 最後のキスは苦かった。

 何もかもを失って、終いには最も大切な彼をも失う。

 それは、辛いという言葉だけでは到底言い表せず、だから、彼女は張り裂けそうな胸をなんとか繋ぎ止めるようにペンダントを握り、ただ目の前の彼に身を預ける。

 今、この瞬間、彼らは、宇宙で一番近いところにいた。



 高校二年生として初めての登校日。

 東雲紫苑しののめしおんの目の前で少女が飛んだ。

 スロープを自転車で降りようと横着したら、併設した階段につまずいてしまったらしい。自転車が突っ掛かり、身ひとつで彼女は投げ出されたのだ。

 赤みがかかった栗色の茶髪が空を舞う。彼と同じ高校の制服のスカートがふわりと広がり、肉付きの良い腿と股に張り付いた布地が紫苑の視界を埋め尽くした。


「……水色」


 そういえば、今日の占いのラッキーカラーも水色だった。

 そんなしょうもないことを思いながら、彼は落ちてくる彼女に腕を突き出した。

 白い肌の柔らかさと、年頃の女らしい暖かさをそこに感じる。が、直ぐに彼らは後方へ二転三転しながら飛ばされた。


「いったい」


 彼女は擦ってできたらしい右腕の傷をさすりながらそっと呟いた。

 一方、彼女の下敷きになった紫苑は彼女の顔を下から見上げる。通った鼻筋が美しい。ピンとまつげが上を向き、唇は淡い桜を蜂起させる。彼女は衝撃で落とした眼鏡を拾い上げると、それを掛けた。耳から伸びた朱色の柄が鮮やかで、レンズ越しに黒柿色の美麗な瞳がパッチリと開いている。

 そこで、彼はふと我に返り、自らの上でふんぞり返っている彼女に苦言を呈した。


「おい、腰が痛い。さっさとどけ」

「申し訳ないわね。路傍の石に興味がなかったの」


 彼女は悠然と腰を上げ、スカートについた土埃を手で払った。腰程もある茶髪が揺れる。


「お前は石が問答を交わすのを見たことがあるのか」

「ないわ。今日が初めてよ。だから、私の貴重な記憶領域に保存してあげる。光栄に思いなさい」

「話す石より俺の存在を認めてほしい」


 立ち上がった彼女は、未だ地に背をつけた彼に向かい手を差し伸べた。細く、骨の形が浮き出るような手指を紫苑へ向け、彼の手を誘う。

 その様子に彼は少しだけ面食らった。


「どうしたの。腰を痛めたのでしょう」

「あ、あぁ」


 彼女の手を取り、立ち上がる。性格は高慢なのか、はたまた温厚なのか、つかみどころがない。


「パンツの色は?」

「水色」


 反射的に答えた紫苑の頬に張り手が飛んできた。訂正。確実に高慢な女である。


「変態」

「不可抗力だ」


 彼女は階段から滑り落ちてきた自転車を引っ張ってきてサドルに跨った。そこで、思い出したかのように言葉を紡いだ。


「そうだ。君の名前は?」

「東雲紫苑。新二年生だ」

「そう。私は、赤羽華恋(あかばねかれん)。同じく新二年生よ」


 通学バッグの二本の取ってを両腕に通し、リュックのように背負って彼女はサドルを漕ぎ出す。


「それじゃ、また学校で。同じクラスになったらよろしく。あぁ、それと、さっきのは冗談。礼を言うわ」

「あぁ、そうかい。どういたしまして」


 颯爽と去っていった華恋の後ろ姿が徐々に小さくなるのを眺めながら彼はそっと呟く。

 全く、嵐のような女だとそういう感想を持った。

 その時、なんの気なしに腕時計を覗いた。

 時刻はホームルームの開始時間を過ぎていた。



「どうして、君と二人きりで掃除をしなきゃならないのよ」


 開口一番、彼女は愚痴をこぼした。

 始業式当日、遅刻してきた愚か者二名には教室の掃除が義務付けられた。その二名は奇しくも同じクラスに割り当てられた紫苑と華恋であった。


「こうなったのも全て変態と会話していたからよ。きっとそうね。そうに違いない」

「いや、待て。そもそもあの時間じゃ俺と会わなくたって遅刻していたろ」

「そうでもないわ。あのショートカットさえ成功すればあそこから三分で学校まで来れるもの」

「お前は毎朝そこまで命を張って登校しているのか」


 軽口を叩きながら、紫苑は机を後ろに運び、華恋は箒で塵を集めた。

 今日は始業式だけだったから、まだ太陽は高い。窓から差す陽光は舞った埃をチカチカと照らした。


「大体、君はどうなのよ。あの時間に徒歩だと学校には間に合わないでしょ。それとも、君は鍛錬された私の両足から漕がれる自転車よりも早く走れるというの?」

「まさか。ただ、間に合う気がなかっただけだ。別に今日は始業式だけだったし、俺がいようといまいと関係ないだろ」

「随分と卑屈ね。……君、友達いないでしょ」

「何故、それを!」

「図星なんだ」


 華恋が意地悪く笑う。

 一方、紫苑はむすっとするが、意外と悪くない気持ちを抱いていることに少し驚く。どうやら、自分が思っているより彼女との空間に居心地の良さを感じているらしかった。


「しかし、困ったわ。今日中に寄っておきたいところがあったのだけれど」

「寄っておきたいところ?」

「えぇ、『オカルト研究会』というのがこの学校にはあるらしくてね。どうも、オカルトの類の相談も受け付けているらしいのよ。そこで、私も相談したいことがあるの」


 オカルト研究会という言葉に自然と紫苑の眉が寄った。


「とりあえず、部室の場所か、部員の誰かを捕まえたいところなんだけど——、そうだ、君、何か知らない?」


 華恋が前の方を掃き終わったらしい事を確認して、紫苑は机を元の場所に戻していく。その片手間に彼女の会話に答えた。


「あぁ、知っているぜ。なんてたって——」


 彼女の方を振り向いた。黒柿色の瞳を見据えて言った。


「俺がオカ研の副部長だ」

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