競輪の『道』

鉄弾

第1回 バンクを去る村上義弘

 村上むらかみ義弘よしひろ。名前だけでもカッコいい。競輪を知らない人に聞けば、戦国時代の武士と思われるかもしれない。だが、それも間違っていないと思う。彼は競輪界の『侍』というべき存在だった。


 昨晩のこと、Twitter上にて村上義弘選手の引退の報に触れた。今日はコンビニで『スポーツ報知』と『スポーツニッポン』の2紙を購入してきた。このニュースをスポーツ紙の記事で読みたかったのだ。


 古くから競輪ファンの方なら、みんな知っている。私もまだ若造だけど、この人は知っている。目の前で走る姿を各地で見た。彼がバンクに登場すれば、大声で応援する客も複数いた。それだけ、彼の競争走りは目に、に焼き付く。

 競輪界最高峰の日本選手権競輪ダービーでは、過去4回の優勝。そして、彼にとって最後のGⅠ優勝となった2016年の第69回・日本選手権競輪(3月・名古屋競輪場)。これは私にとって忘れられないレースの一つだ。


 第69回・日本選手権競輪の最終日。朝早くから私は名古屋にいた。現地で決勝戦を観るためだ。今と異なり、コロナが無い時代。多くの人が来ていた。私もその一人だった。


 この決勝戦の最終2センターでの出来事だ。今でも鮮明に覚えている。村上選手は外側から捲ってきた新田祐大選手をブロックし、その隙に内側へ入ってきた岩津裕介選手をもブロックした。本当に見事で鮮やかだった。並みの選手ならば、どちらかをブロックして、もう片方をブロックしきれなかっただろう。

 だが、それを村上義弘はそれを許さなかった。新田選手も、岩津選手も実力ある選手だ。この二人をキッチリとブロックし、最後の直線を伸びた。ゴール線を駆け抜けた瞬間、観客から感嘆の声が上がった。


 ちなみに、この2016年の競輪GPの覇者も、この村上義弘選手だった。

 しかし、こののちはレース中の落車などもあり、成績が良くない時期があった。それでも、彼は己のスタイルを貫いた。不屈の精神で走った。1着を取れなかったり、確定板に載れないレースもあった。それでも、彼の『走り』は、他の選手や客の『目』に、『心』に焼き付いたのだ。


 車券を取れなくても、私は彼には文句を言わなかった。他にもそんなファンは多数いるのではないだろうか?村上選手の引退というニュースは、競輪界の変化を意味していると思う。競輪選手も人間だ。年老いて、体力や気力も衰えていくだろう。そんな中でも、変わらない人だった。

 今(2022年前後)、強い競輪選手と言えば、脇本雄太(福井県)、松浦悠士(広島県)、古性優作(大阪府)、郡司浩平(神奈川県)、平原康多(埼玉)、佐藤慎太郎(福島)などがいる。しかし、いずれの選手もまだ『村上義弘』という漢を超えてはいない。それだけ、村上義弘の走りは忘れられないのだ。


『ありがとうございます、村上さん』

 一人の客として、これを伝えたくて、ここに記します。


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