21

 久米沢署の地下駐車場に戻ってきた僕らは急いで車を降りた。駆けていく貴島警部補は包帯を巻いた左手に握ったスマートキーを車に向けてロックを掛けながら、先を走る矢神警部を追った。


 まったく、あと一年少しで定年退職する年齢なのに、やたらと足が速い。僕も貴島警部補も矢神警部に追いつくのがやっとだった。


 息を切らした矢神警部が階段へのドアを開けると、そこに倉田刑事が立っていた。覗いていたスマートフォンの側面ボタンを押した彼は、それをズボンに仕舞いながら言った。


「どこに行っていたんですか。探したんですよ」


「すまん。例の裏サイト関係の参考人に会いに行っていた。で、浅木が追っていた広域連続殺人犯が自首してきたって?」


「いや、その雇い主です。今、調べの最中なんで、詳しくは何も」


「雇い主? いつの話だ」


「小一時間ほど前ですかね。もう、ここは大慌てで。だから、もうカンカンですよ」


「カンカン? 『だから』って何だ」


「木多見管理官たちが完全にテンパってるんですわ。署内で飯島は殺されるわ、金井には逃げられるわで、場合によっては帳場の拡張でしょ。捜査本部に追加で大部隊が投入されかねない。そうなったら、木多見管理官は即更迭ですもんね。深沢補佐官と一緒に。そんな時に本庁の一課が直追いしている広域連続殺人事件の重要参考人が自ら出頭してきた。で、木多見管理官たちは頭ボーンですわ」


 倉田刑事は頭の上で片手を広げた。


「なんで。ウチとは関係ないじゃないか。本庁に移送すればいいだろ。こっちは浅木巡査殺しと飯島刑事殺しと金井の捜索で忙しくて頭ボーンってなりそうですって」


 矢神警部も頭の横で手を広げる。なんか、二人ともそれはやめてほしい。


「いや、それが、その出頭者は飯島の件も自分の責任だと言ってるそうなんですよ。だから、完全にこっち絡みになっているみたいで」


「あ? 誰なんだ、その出頭者は」


「びっくりしないで下さいよ。そいつの名前は、竜崎りゅうざき剣吾けんご。例の堂本会の幹部組員です」


「竜崎が?」


「はい。ほら、今朝からウチに来ていたでしょ。あれ、出頭する機会を窺っていたのかもしれませんよ」


「じゃあ、自分が誰かにやらせたってか。どういうことだ。これが組絡みの話だとは思えんが……」


 矢神警部が階段の上を指差してから段に足を乗せると、彼の腕を倉田刑事が掴んだ。足を止めて振り返った矢神警部に、倉田刑事が掌を向ける。


「ちょ、ちょ。待ってください。先にいろいろとお伝えしといた方がいいと思いまして、こうして降りて来たんですから」


「何を」


「上の方ではですね、このクソ忙しい時にガミケン野郎はどこに行ってるんだあって……ああ、失礼しました、深沢管理官がですよ、彼がそう怒鳴り散らすくらいキレてましてね。木多見管理官も。どうも、竜崎からの聞き取りを矢神さんにしてもらいたいみたいですよ」


「ったく、何で俺が。ここの暴対課の奴らにさせればいいだろ。事情に詳しいだろうし」


 矢神警部は階段を上り始めた。その後を追って階段を上がる倉田刑事が言う。


「それだけ頼られているって事でしょうよ」


「知らねえよ。その竜崎というスジ者の言うことが本当なら、この取調べ内容は丸々本庁に移管される内容じゃねえか。後でバチ被りしたくねえから、俺に当たらせようって事だろ。畜生、俺はあいつらの何なんだよ」


「それから、もう一つ。例の戸田海斗の工房から押収された弾丸の型、それと奴がSATにぶっ放した弾丸の弾頭形状、そのどちらもが、浅木巡査の遺体の頭部から検出された弾と一致したそうです。本庁の科捜研からの正式な報告があったそうで……」


 踊り場で立ち止まった矢神警部は倉田刑事の顔を見て言った。


「それを先に言え。俺たちが追っているホンボシはそっちだ」


「すみません。ですが、これで浅木巡査殺害犯は戸田海斗で決まりじゃないですか」


「そんな訳ねえだろ。現場や現場周辺から戸田の痕跡は何ら出ていない。そもそも戸田の事件当夜の行動の検証もしていないだろうが。明確なアリバイがあるかもしれん。それにな、戸田には動機がないだろ。浅木巡査も造田も戸田海斗なんて奴は知らなかったんだぞ。まったく捜査線上に上がっていなかった。なのに何故、戸田がわざわざ浅木巡査を殺す必要がある。浅木巡査を殺したのは、戸田じゃねえよ!」


 薄暗い階段に矢神警部の怒鳴り声がこだまする。


「あ、ああ、はい。そうですね。失礼いたしました」


 矢神警部の圧から逃げるように壁に背を押しつけていた倉田刑事は、大きな顔全体に脂汗をにじませたまま、顎を引いて一礼した。


 再び階段を上っていった矢神警部は倉田刑事に背を向けたまま言った。


「まだ何も決めつけるな。訊いてもいない推理を軽々しく口にするんじゃねえ。どこで誰が聞いているとも知れねえんだ。気を付けねえと、仲間を殺したホシに良いようにしてやられるぞ」


 怪訝そうな顔をして、ハンカチで額の汗を拭いながら聞いていた倉田刑事は、ハッと何かを思い出した様子で顔を上げると、矢神警部を追いかけた。


「警部、警部。それから、先ほど造田から連絡がありました」


 矢神警部は開けていた一階への出口ドアを閉めて、階段を駆け上がってきた倉田刑事に言った。


「だから、そういう事は早く言えよ。でも造田の方から連絡してきたのか? よく向こうから連絡してもらえたな」


 倉田刑事は息を整えながら答える。


「ええ……ちょっと待ってください。まあ……同期の……強味ってやつ……でして。造田の息子さんのケータイに連絡入れて、俺に電話するよう伝えてもらって……ゴホッ、ゴホッ」


「煙草やめろよ」


「ゴホッ……ええ、挑戦しているんですが、なかなか……。警部はやめたんですか?」


「とっくにな。で、造田は何て」


「喫煙所での談義が懐かしいですな。ああ、あいつ、やっぱりウチの署から完全に遠ざけられて、今は例のほら、安西警部が絡んでいる転落事故、あれの捜査を監察部の奴らと一緒にやらされているみたいですな」


 二人の数段下の段で歩を止めていた貴島警部補の方を見た矢神警部は、再び倉田刑事に顔を向けた。


「安西警部の一件は、たぶん、事故としての処理で絵が描かれている案件だろうが。何がだ。造田は、現実には監察部の奴らに囲まれて身動きできない状態なんだろ。ちっ、あいつら本気でこっちの捜査を邪魔する気だな。サイバー課の特別専従班がヘタ打った事など後からすぐにバレるに決まってるだろうが。どうせ磯田参事の指示だろうが、そうだとしても、監察部が上におもねってどうするんだ。情けない事しやがって」


「ええ。造田も同じような事を言ってましたよ。で、あいつが言うには、飯島から金井を紹介してもらった後、あいつなりに金井について洗ってみたようですね。浅木巡査に金井との接触を指示する前に」


「なるほど、部下を接触させる相手についての事前の安全確認か。立派な上司だな。だが。それで、何が出たんだ」


「いや、逆です。何も。同期だから庇うわけではありませんが、あいつは安全だと思ったから、浅木巡査を一人で行かせたんだと言ってました」


「どういう根拠で」


「金井は依然、公安のタコだったようです」


「タコ? たしか、公安の刑事たちが使っている情報屋のことだよな」


「ええ。自前で訓練した潜入スパイのような連中です。街の若いチンピラ連中の中から使えそうな奴を選び、訓練して、スパイとして調査対象組織に潜入させる」


「訓練? どんなことを」


「そう大したことじゃないでしょう。どうせ使い捨てでしょうし」


「実際に金井も使い捨てられた訳か」


「いいえ。奴は堂本会に潜入して、自分で身を崩したみたいですね。弱みを握られたかどうだが知りませんが、完全に堂本会に取り込まれてしまった。で、一旦は警察とは縁が切れた。ところが、ウチの署の暴対課の飯島に目をつけられ、終には情報交換を強いられた。交換というか、裏で全くボッタクられていた訳ですが……」


「じゃあ、造田は、金井が過去に警察の仕事をしていて、今も所轄の刑事と繋がっているから信用できる人間だと考えたのか」


「そのようです。本人も反省していました、自分も同行するべきだったと。でも、あいつにも一理ありますよ。飯島の野郎は、表向きはまともな捜査をしているフリをしていた訳ですし、金井を訓練したという公安の刑事も、それなりに信頼されている人らしいですからね。上層部のいろいろな人たちから」


 倉田刑事は最後のフレーズを言う時だけ貴島警部補に顔を向け、天井を指差した。


 矢神警部は半ば呆れた様子で眉を寄せた。


「まったく、今度は公安かよ。次から次に。で、誰なんだ、その公安の刑事は」


「葛木刑事ですよ。今は西八堀署にいる。造田が言ってました、本庁内では凄腕捜査官の評判が高かった人だと」


「くそっ」


 矢神警部はすぐにドアを開けて廊下へと出ていった。


 貴島警部補と僕も慌てて彼を追う。僕らがドアから外に出ようとした時、倉田刑事が言った。


「慌てちゃって。悪いが警部に伝えてくれ。葛木刑事は今、本庁の監察部で聴取されている最中で、缶詰にされているそうだ。彼の方が状況は深刻だって」


 僕と貴島警部補は、少しニヤリとしている倉田刑事の顔を睨みつけると、急いで矢神警部の後を追った。


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