逆風

@chuya1005

第1話

 春の終わり、知らない町の公園で僕は広い池の前に座っていた。まだ手首が隠れるほどの長さのあるシャツを着ていた時期ともあって夕方になると風が心地よく、時折現れる水鳥のバシャバシャと戯れる音や無邪気に走り回る少年少女たちの声を聞いているとまるで自分が公園の守護神になったかのように心が安らぎ時間を忘れてしまう。

 何もせず何も考えず時間は過ぎていった。少し離れたベンチでは何人もの人が座っては離れ、座っては離れを繰り返しタイムラプスにすれば少しだけ面白いかもな、なんて思ったりもした。だが、僕の左後ろにあたるベンチに座っていた男の人は全く離れる気配がなかった。あの人も何かに疲れて僕と同じように守護神を気取っているのかな。と思ったが、何度か振り返るたびにその男性と目が合うので少し気味が悪かった。仮に僕が女性だったらすぐ自転車に跨りその場を去っていたと思う。

男性の僕でさえあと5分くらいでここを離れようと思うくらいだった。


「兄ちゃん、今何時か分かる?」


突然、背後から声がかけられた。左後ろだ。咄嗟に振り向くとずっと座っていた男性は少しこちらに歩み寄りケータイの充電がどうとか言っている。


「ええと、もうすぐ5時半です。5時26分。」


「そうか、ありがとう。」


あの男性はこれから何か予定があり、その時間までこの公園のベンチで時間を潰していたのだろう。僕は適当に会釈してまたベンチに座った。

5時半かあ。帰りたく、ないな。

夏が近づき、日が長くなっているとはいえ夕陽は真っ赤に染まっていて、そのおおよそ3分の1を沈めていた。池は影で黒に染まり、風は少しずつ強くなっている。公園を造るすべての自然が僕は邪魔者なんだと訴えていた。

風と木の揺れる音がだんだん煩わしくなって、僕はポケットに入っているイヤホンを装着した。適当にいつものプレイリストを流し自然の声を遮断した。これであと30分はここに居れる。その後のことはどうでもよかった。家に戻ってから、明日の大学、これからの人生、全部どうでもよかった。どうしようもなく進んでいく時の流れに逆行しようと僕はイヤホンの音量ボタンを何度か押した。


 「おーい、兄ちゃん」


少しだけ聞き覚えのある声が聞こえた。振り返ると自転車に乗った先ほどの男性がいた。まさかまた時間の聞きに戻ってきたのかというあり得ない妄想をしながら立ち上がり、なんですかと言うと、


「焼肉行かへん?今から」


という何とも信じがたい返事がきた。この男性はわざわざ僕に時間を聞いて去っていったのちまた公園に戻ってきて僕を焼肉に誘ったのだ。


「どうしてですか?急にびっくりしましたよ。」


僕は何とか落ち着いた様子を装い、このままおじさんが帰るまで適当にあしらうつもりだった。


「近くに美味い店知ってんねん。何か悩んでんねんやろ?行こうや。」


一つバリアが外れた。男性は僕の背中を見ながら悩んでいる様子を感じ取ったらしい。そして赤の他人が悩んでいる後ろ姿を見て焼肉に誘いたくなったらしい。


「よく、分かりますね。」


「まあおっちゃんも昔おんなじような事してたからな〜。何か昔の自分見てるみたいやってん」


最初から薄々感じてはいたが、口元からは酒の匂いがした。アルコールによる突発的な行動なのか、本当に僕の姿と過去の自分を重ね合わせたのかは分からない。けれど、僕は間違いなくここ最近で最も面白い状況に自分がいると感じた。


「なんか、嬉しいです。わざわざここに戻ってきて誘っていただいて。」


自分でも驚くほどに久しぶりだった。人と話すときにここまで素直な感情を露わにするのは数ヶ月ぶりだったのだ。


「そうか。じゃあ行こうやチャリですぐそこやし」


気がつけば公園の景色に未練はなかった。こうして僕とおじさんは知らない街に吹く最後の春風の声を無視しながら焼肉屋さんへ向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

逆風 @chuya1005

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ