第88話 十二月二十七日はピーターパンの日
一九〇四(明治三十七)年のこの日、イギリスの劇作家ジェームス・バリーの童話劇『ピーターパン』がロンドンで初演された。
「ねえ、お母さん、大人ってならなくても良いの?」
「ええっ?」
リビングで本を読んでいた愛理が、キッチンに居た私のところに来て、難しい質問を投げ掛けてきた。
愛理は小学二年生の好奇心旺盛な女の子だ。いつも分からないことや疑問に思うことがあると私に聞いてくる。まだ幼いのでぼやかした答えで逃げることも出来るが、私はいつも真摯に答えている。愛理の持っている好奇心をずっと持続して欲しいからだ。将来彼女が自分自身で答えを見つけ、私が教えたことが間違っていたと思うかも知れない。でもそれはそれで良いと思っている。今私が答えられる全てで、真剣に答えていれば、きっと理解して貰えると思うから。
「どうして、そんなことを思ったの?」
「ピータ―パンはずっと大人にならないんだよ。だから大人にならないって出来るのかなって思って」
「ピーターパンか」
さっき読んでた本がピーターパンだったのか。
「大人になるならないの前に、愛理はどういう人が大人だと思う?」
「お母さんとかお父さんとか先生とか」
愛理は少し考えてそう答えた。
「そうだね。じゃあ、愛理は大人かな? 子供かな?」
「愛理は子供!」
今度は即答する。
「じゃあ、次は難しいわよ。従姉の唯お姉ちゃんは、大人? 子供?」
「うーん」
愛理は悩んでいる。唯ちゃんは中学生で、愛理からすれば大人に見えるだろうが、私たち大人から見ればまだまだ子供だ。
「……子供かな?」
愛理は私の顔色を窺いながら答える。
「じゃあ、次は拓お兄ちゃんは?」
拓ちゃんは今年高校生一年生の、唯ちゃんのお兄ちゃんだ。
「ええ……分かんないよ」
「唯ちゃんも拓ちゃんも、まだ子供と大人の中間ぐらいだね」
私がそう言うと、愛理はコクンと頷いた。
「大人って言うのはね、ある日突然なるものじゃないのよ。毎日毎日少しずつ子供から大人になっていくものなの」
愛理は私の話を理解しようと、一生懸命に聞いている。
「だからね。生きている限りは、少しずつ大人になっていくのよ。昨日の愛理より、今日の愛理は大人になっているの。だから大人にならないっていうのは、生きている限りは出来ないの」
「そうなんだ」
「愛理は大人になりたいの?」
「うーん、分かんない。大人って良いものなの?」
こりゃまた難しい質問だ。
「そうね。良いことも有れば大変なことも有るわ。大人はね、自分で自分を守らないといけないの。いろいろ責任もあるしね。でも、その分、自由に出来ることも多いわ」
漠然として難しいかな。
「責任てどんなの?」
「お仕事をしたり家事をしたり、子供が居たらお世話をしたりね」
「うーん、まだ愛理は子供で良い」
「うん、そうね。まだまだ愛理は焦らず少しずつ大人になれば良いよ」
「うん!」
愛理は納得したように、笑顔で頷いた。
少しずつと言っても、アッという間なんだろうな。成長して大人になった愛理も楽しみだけど、ずっとこのまま可愛いままで居て欲しい気持ちもある。それ程愛しく思える愛理が、自分の子供で本当に幸せだ。
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