第85話 十二月二十四日はクリスマスイブ

 クリスマス(キリスト降誕祭)の前夜。

 EVEは夜を意味する古語EVENから来たもので「クリスマスの夜」の意味になる。

 キリスト教会暦では日没が一日の始まりであり、クリスマスは二十四日の日没から二十五日の日没までとなるので、その間の夜である二十四日の夜のことをクリスマス・イブと呼ぶ。



 今年はクリスマスイブとクリスマスが土日になる。俺はどちらも仕事が休みになっているが、予定は入っていない。寂しいクリスマスが確定しているのだ。別に今年が特別って訳じゃない。故郷を離れ、都会に出て来て四年。毎年クリスマスは寂しく過ごしていた。

 もし、サンタクロースさんがいるなら、俺に天使のような彼女をください。

 深夜に俺は、ベッドの上で天井を見ながら、他人に聞かれたら恥ずかしくて悶絶しそうなお願いをした。あまりにも寂し過ぎたのだ。

 もう仕事を辞めて故郷に帰ろうかな。

 馬鹿なお願いは忘れ、現実に戻って俺は考えた。初めて都会に出て来て、会社の人間と会話をした時、俺は相手から方言を笑われたのだ。元々社交的じゃない俺は、それ以降余計に会話が苦手になった。それで誰とも話をしないから方言も直らない。

 故郷でも何か仕事はあるだろう。数少ないけど友達も居るし、今よりマシな暮らしは出来る筈だ。

 とその時、玄関のドアがドンドンと激しく鳴った。


「何だ?」


 もう日付が変わろうとする時間だ。誰か訪ねてくる時間じゃないし、来たとしてもこんな風にドアを乱暴に叩くなんて考えられない。

 そう思っていると、またドアがドンドンと鳴った。


「冗談じゃねえよ!」


 俺は凄く腹が立ち、立ち上がって玄関に向かった。うるさいとか直接的な怒りじゃなく、馬鹿にされているような気持ちになってしまったのだ。


「うるさいんだよ!」


 俺はドアスコープを覗くことなく、いきなりドアを開けた。普段の臆病な俺からしたら、凄く衝動的な行動だ。

 勢いよくドアを開けたら、目の前の廊下の壁に女の人が座り込んでいた。

 俺は拍子抜けして、女性に近付く。


「大丈夫ですか?」


 酔いつぶれて寝ているようだ。この寒さでこのまま放置しておくと危険だろう。


「大丈夫ですか? 起きてください!」


 肩を揺すってみても「うーん」と唸るだけで起き上がりそうにない。

 よく見ると隣の部屋の女性だった。とりあえず起き上がらせて隣に運ぶか。


「体を起こしますよ」


 肩を貸して、女性を起き上がらせる。


「和樹……」


 彼氏と間違えているのか、彼女が男の名前を呟く。

 少しショックだった。彼女とは会えば無言で会釈する程度の間柄だ。いつも綺麗に化粧をして、颯爽と歩く彼女は、正に都会の女性と言った感じで密かに憧れていた。彼氏がいて当然なんだが、知ってしまうとショックだった。


「寒いよ……部屋に……」


 彼女はそう呟くと、俺の肩を離れてふらふらした足取りで空いているドアの方に歩き出す。


「あっ、そっちじゃ……」


 彼女は俺が止める間もなく、中に入って行く。後を追うと、彼女は靴を脱いで部屋の奥に向かっている。たぶん1DKの間取りが同じで狭い分、家具や電化製品が同じような配置になっているんだろう。彼女は酔っているので違和感を覚えることなく、俺のベッドに横たわって、そのまま寝てしまった。

 どうすべきか。もう部屋の中に入ってしまったからには、今起こしても、朝起こしても変な風に疑われるのは同じだろう。体を一切触らなければ、何もしていないと分かるはずだな。

 俺も疲れたし寝よう。ベッドに寝ている彼女に布団を掛け、俺は服をかき集めて布団代わりにして床で寝た。



「起きてください! 私はどうしてここで寝てたんですか?」


 俺は自分の体を揺さぶる女性の声で目を覚ました。

 目を開けると、隣の部屋の彼女が泣きそうな顔で俺を見ている。


「あっ、おはようございます。起きたんですね」

「ここはどこですか? 私はどうしてここで寝ていたんですか?」

「あなたは昨日酔っぱらって、自分の部屋と間違えて俺の部屋に入って来たんですよ。追い出すのも出来なかったんでそのままで……」


 俺の話を聞いた彼女の顔が青ざめる。


「私、なんてことを……」


 彼女は気の毒なくらい狼狽えている。


「ああっ! デートの時間が!」


 彼女はスマホで時間を確認して驚く。


「すみません! またお詫びに来ますので、失礼します!」


 俺がろくに返事をする間もなく、彼女は部屋を飛び出して行った。

 とりあえず彼女は俺が変なことをしたとは思ってなさそうなのでホッとした。

 時計を見たら、もう十二時前だった。腹が減ったので、カップラーメンを作った。

 彼女はこれからデートか。一方、俺はクリスマスイブだと言うのに何の予定も無い。食べているカップラーメンが余計にみじめな気持ちにさせる。

 俺は食べ終えると、みじめな気持ちを誤魔化す為に、ベッドでふて寝した。



 どれぐらい寝ていたんだろうか? 俺はドアチャイムの音で目を覚ました。


「はい」


 俺はベッドから出て玄関に行き、ドア越しに声を掛けた。


「隣の長谷川です!」


 隣の彼女だ。もうデートは終わったんだろうか? 


「はい」


 俺はドアを開けると、薄化粧でカジュアルな服装の長谷川さんが立っていた。いつものように綺麗な感じにはなっていないけど、清潔感があって親しみが持てた。


「あの、昨晩はご迷惑をお掛けしました」

「いえ、特に何もしていませんから」

「忘年会で飲み過ぎて、恥かしい限りです」


 長谷川さんは恐縮してそう言った。


「ホント、お気になさらず」

「あの、まだ夕食は食べてませんか?」

「ええ……」


 と言うか、今何時なんだろうか。


「もし宜しければ、うちで夕食を食べませんか? 用意した料理が余ってしまって」

「それは嬉しいけど……無理してませんか?」


 俺は長谷川さんがお詫びの為に食事に誘っているのかと思った。


「いえ、本当に食べて貰った方が有難いんです」

「それじゃあ、遠慮なく頂きます」

「良かった。じゃあ、一時間後に来てもらえますか」


 そう言って長谷川さんは帰って行った。

 時計を見たら午後五時過ぎ。長谷川さんのデートはどうなったんだろうか? クリスマスイブのデートにしては帰って来るのが早過ぎるし、服装もデートしていたとは思えない。

 デートがキャンセルになったんじゃないか。だから二人で食べるつもりの料理が余ってしまって。

 俺は自分の推測が間違いない気がした。



 一時間後になり、俺は長谷川さんの部屋に行った。中に通されて、ダイニングテーブルの上の料理に驚く。ローストビーフなどのクリスマス用の豪華の料理が揃っていた。


「豪華ですね」

「ありがとうございます。いっぱい食べてくださいね」


 俺達はスパークリングワインで乾杯して食べ始めた。


「凄く美味しいです」


 料理はお世辞抜きに美味しかった。


「ありがとうございます。料理しか取り柄が無いんで」


 謙遜しているんだろうから、こういう時に上手くフォローの言葉が出て来ると良いんだが、俺には無理だった。


「昨晩は本当に見苦しい姿をお見せしてすみませんでした」

「いえ、本当に大丈夫ですから。逆にすみませんでした。目覚ましでも掛けて、ちゃんと朝早く起きれば良かった。自分が次の日休みだから気が回らなくて。慌てて出て行かれたけど、大丈夫でしたか?」

「ああ、それは……」


 長谷川さんは言葉を濁した。

 突っ込んだ質問し過ぎたと俺は反省した。


「ちょうど良かったんです」

「ちょうど良かった?」


 彼女が寂しそうな笑顔になったので、思わず聞いてしまった。


「もう気付いているかも知れませんが、この料理はクリスマスデート用に用意したものなんです。でも、今日時間に遅れてデートは中止、そのまま別れ話になりました」

「そうなんですか! すみません、ちゃんと朝に起こせば良かった」


 俺は責任を感じてしまった。


「あっ、違うんです。これが切っ掛けになっただけで、どうせいずれは終わっていたんです。

 最近は喧嘩ばかりしていて、このクリスマスで仲直り出来ればと思っていたんですが……昨日会社の忘年会があって、仲の良い会社の同期の娘に愚痴を聞いて貰って飲みすぎちゃって。でも、本当はデートも無駄だと分かっていて、むなしくなって飲み過ぎてしまったんです。だから、遅刻したのは切っ掛けになっただけなんです」


 長谷川さんは悲しそうな顔で話していた。


「あっ、すみません、こんなプライベートな愚痴を話してしまって」

「いえ、話して楽になるなら、いくらでも聞きますよ」

「ありがとうございます。もしかして、栗田さんって、私と同じ出身じゃないですか?」


 続いて彼女が話した出身地を聞いて驚いた。二人とも同じ県の同じ市の出身だった。


「やっぱりそうですか! 話を聞いていて、少し訛りがあったんで、もしかしたらって」

「俺は訛りが消えなくて。ここに来たばかりの頃、笑われたこともあるんですよ」

「そうなんですか! それは腹が立ちますね」


 その後、俺達は訛りを気にせず話をして楽しく食事をした。故郷の共通の話題も楽しかった。いつ以来だろうか、これほど話をしたのは。


「私もこっちに来て、気を張ってばかりで疲れましたよ。毎日気合い入れて、馬鹿にされないようにってね」

「長谷川さんは、俺から見れば、正に都会の女性って感じでカッコ良かったですよ」

「ありがとうございます。そんな風に見られてたんですね」

「あっ、でも、今の長谷川さんも親しみやすくて良いと思いますよ。凄く話し易くて楽しいです」

「そうですか。嬉しいなあ」


 そう言って笑う彼女は、いつも見ていた彼女と同じ人とは思えないくらい、素朴で可愛く見えた。


「よし、私決めました。これからはもっと気楽に生きます。元カレと付き合っている時もそうだったんですよ。都会の人間に合わせないといけないって、背伸びして。でも、自分らしく生きていきます」

「凄く良いと思います。私も訛りを気にせず、堂々と話して行きますよ」


 俺達は顔を見合わせて笑った。


「あの、明日予定が無いのなら、どこか遊びに行きませんか? 俺は予定が無くて暇だったんですよ」


 俺はこの雰囲気に乗っかって、長谷川さんを誘った。


「良いですね。どこに行きますか? 今から考えましょうか」


 長谷川さんも迷うことなく了解してくれた。

 その後、俺達はどこに行くのか楽しく相談し始めた。

 俺はふと、昨日の夜、サンタクロースにお願いしたことを思い出した。

 もしかして、長谷川さんはサンタクロースがプレゼントしてくれた、天使のような彼女じゃないか? いや、きっとそうだ。だって、こんなにも可愛いのだから。

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