第83話 十二月二十二日はスープの日
日本のスープ業界の発展を目指して、一九八〇年にスープ製造企業などにより結成された日本スープ協会が制定。スープに関する話題を提供することで、より多くの人にスープへの関心を持ってもらい消費拡大を図るのが目的。
日付は温かいスープをより美味しく感じることができる冬であり、一二と二二で「いつ(一二)もフーフー(二二)とスープをいただく」という語呂合わせから十二月二十二日としたもの。
今年一番の冷え込みとなった今日、俺は仕事を終えて自宅アパートに帰る途中だ。
駅からアパートまで徒歩十分。いつもなら何でもない距離が今日は寒すぎて体が凍え、とてつもなく遠く感じる。こんな日は家で妻か恋人が待っていて、温かいスープでも用意してくれていたら最高なのにな。そんな妄想をしながら、寒さに身を縮ませて帰った。
アパートに着いて自分の部屋の鍵を開けようとして、ふと隣の部屋の前に二十歳ぐらいの女性が小さな旅行鞄を持って立っているのに気付いた。隣はOLの女性が住んでいるので、友達なのかなと大して気にせず自分の部屋に入ろうとした。だが、俺はその時、大事なことを思い出す。その部屋の女性は出張に行っていて、明後日まで帰って来ないのだ。
その部屋の女性とは、外で会ったら軽く世間話をする間柄だ。女性は仕事柄出張が多いようで、もし留守中に何かあれば連絡して欲しいと電話番号を渡されていたのだ。
部屋の前に立っていた女性は、部屋の主が出張中だと知っているのだろうか? 大人だし無視しても良いのだろうが、何だか気になってしまった。あまり知らない女性に声を掛けたことは無いが、ここは勇気を出して一言声を掛けることにした。
「あの、その部屋の女性は、明後日まで帰って来ませんよ」
俺は開けかけた部屋のドアノブから手を放して、女性に声を掛けた。
「えっ?」
そう言ってこちらを見た女性の顔が、異常に青ざめていた。
「大丈夫ですか?」
「ずっと待っていて……寒くて……」
これはヤバい、放って置けないと思った。
「あの、ここ俺の部屋なんですが、ちょっと休んで行った方が良いですよ。顔色が悪すぎます」
「ありがとうございます」
女性は警戒することなく、お礼を言った。それほど限界に来ていたのだろう。
部屋に入った彼女に、ダイニングテーブルに座って貰い、エアコンとオイルヒーターを点けた。部屋の中は冷え切っていて、暖房器具が効いて温かくなるまで時間が掛かるだろう。俺はいつも自分が着る半纏を彼女に渡した。
「ありがとうございます」
そう言った彼女の顔はまだ青白かった。
「あの、中華スープを作るんですが、食べます?」
「ありがとうございます。いただきます」
俺は寒い日には、温まる為にとりあえず中華スープを作ることにしている。作ると言っても、お湯を沸かしてラーメンスープを溶かして、溶き卵を入れるだけの簡単なスープだが。
作ってて気付いたが、もしかしてこういう時はコーヒーとか出すべきなんじゃないか? もう粉末スープを入れてしまったので手遅れだが。
「はい、どうぞ」
俺は出来上がったスープをお椀に入れ、自分と彼女の前に置いた。
「いただきます」
彼女は手を合わせて、スープをすする。
「美味しい」
顔が赤みを帯び、本来のものであろう笑顔で彼女がそう言った。こっちの気持ちも温かくなる良い笑顔だった。
「良ければお代わりもあるから食べてくださいね」
「ありがとうございます!」
彼女の無邪気な笑顔を見て、なんだか癒された。一人ぼっちじゃなく、誰かと一緒にスープを食べるのがこんなに心休まるなんて、新しい発見だった。
「
彼女の顔色も良くなってきたので、聞いてみた。
「急に出てきたので、スマホの充電が切れちゃって。お金も電車で使ってしまったんで……」
「坂巻さんとはどう言った関係なんですか?」
「妹なんです」
そう言えば顔がよく似ている。
「そうなんですか。良かったら、俺のスマホでお姉さんに連絡してみます? 電話番号も入っているし」
「えっ、もしかしてお姉ちゃんの……」
「いやいやいや、違いますよ。世間話する程度の仲ですよ」
俺が説明すると、妹さんは納得して、姉に電話を掛けた。
「あっ、お姉ちゃん? 私、
電話横で聞いていたら、どうやら妹さんは父親と喧嘩して、家を飛び出して来たようだ。
「あの、お姉ちゃんが替わって欲しいそうです」
俺は妹さんからスマホを受け取った。
「もしもし」
(すみません、妹がご迷惑をお掛けして)
「いえ、あまりに寒そうだったんで、こちらから声を掛けたんです。逆に男の部屋に連れ込んで申し訳ない。決して変なことはしてませんから」
(そんなとんでもないです……)
「坂巻さんはまだ帰れないんですか?」
(なんとか明日の夜には帰れるんですが、今日は……)
まあ、もう午後九時前だし当然か。
「もし妹さんさえよければ、今晩は家に泊まって貰って構いませんよ。当然寝る場所は別にしますから」
2DKなので、俺がリビングで寝れば大丈夫だろう。
(もちろん、
「もうこの時間だし、お金も持っていないようですし、私は全然構いませんよ」
(すみません、じゃあお願いしてもよろしいですか)
「もちろんです」
本当に下心は無かった。ただ、この寒い日に彼女を外に出すのも気の毒だし、俺も一人で居るより笑顔の素敵な彼女ともう少し話がしたいと思ったのだ。それを下心と呼ぶならそうかも知れんが。
「ありがとうございます! この寒空の中どうしようかと思っていたんです。私は坂巻柚希です」
彼女に泊まって良いと話をすると喜んでくれた。
「どういたしまして。俺は川辺雄一です」
その後、パスタを作り一緒に食べながらいろいろ話をした。
彼女は大学の四回生で、実家より都会の、この地域で就職の内定を取っていた。それを知った父親が反対したそうだ。父親は地元で就職してくれると思っていたらしい。
「お姉ちゃんは許して貰えたのに、私は駄目だって言われても素直に従えませんよ。しかも内定も貰っているのに」
柚希ちゃんはそう言って怒った。
「お父さんも寂しいんだろうね。上手く話し合いして、お互いが納得できれば良いね」
「そうですね。やっぱり話し合わないと駄目ですね」
次の日には坂巻さんが帰って来て、柚希ちゃんは三日ほど隣で過ごして、実家に帰って行った。
そして春になった。
「お邪魔します!」
お父さんと話し合って、円満に就職できた柚希ちゃんが、俺の部屋にやって来た。彼女は春から隣の部屋でお姉さんと一緒に住み、そこから会社に通っている。
今日はあの寒い日の中華スープのお礼に、柚希ちゃんが得意料理の具だくさんスープを作ってくれるのだ。
「美味しい!」
俺は柚希ちゃんの作ってくれたスープを一口飲んで感激の声を上げた。
「ありがとうございます! でも、あの時の中華スープが今まで食べた中で一番美味しかったんですよね」
柚希ちゃんは自分で作ったスープを飲んで、そう言った。
「冷え切った体に温かいスープが染みたんだろうね」
俺がそう言うと、柚希ちゃんは笑顔で首を振る。
「違うと思います。染みたのはスープじゃなく、雄一さんの優しさですよ」
柚希ちゃんの笑顔で、俺はまた心が癒された。あの時、勇気を出して声を掛けて、本当に良かったと改めて思った。
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