第70話 十二月九日は国際腐敗防止デー
二〇〇三(平成十五)年のこの日、「国連腐敗防止条約」が調印された。
公務員等による贈収賄・横領などの汚職・腐敗行為の防止のための日。
「課長駄目ですよ。私たちの分は私たちで払わないと」
取引先との会食の後、支払いを相手に任せて、先に店を出ようとする課長を俺は引き止めた。
「倉田、お前は固すぎるんだよ。これぐらいは普通に慣例だろ。ほら、向こうも戸惑っているぞ」
「駄目です。うちは収賄に厳しいのを、課長も知ってるでしょ」
うちの会社はコンプライアンス遵守を社の方針として掲げていて、特に収賄には厳しい。
「あの……ここは私の方で払いますから」
「ほら、出して貰う方が向こうも助かるんだよ。お前は真面目過ぎる。もっと世間の常識を勉強しろ」
俺は真面目過ぎると言われてカチンときた。
「これで私たちの分を払ってください」
俺は出す必要の無い課長の分の食事代まで相手に突き出した。
「あ、でも……」
「あなたもこんなことで仕事を取ろうとせず、商品で勝負してください」
俺はお金を無理やり渡すと、二人を置いて店を出た。
家に帰った俺は、妻にさっきのことを話して聞かせた。
「……俺は昔から真面目過ぎて面白みの無い奴って言われて来たんだ。課長にも言われてショックだったよ……」
妻は黙って聞いていたが、俺の話が終わるとニッコリ笑い掛けてくれた。
「そんな馬鹿な奴らの言うことを真に受けないで。あなたは誰がなんと言おうと正しい。真面目で正義感が強いのが、あなたの一番良い所よ」
「ありがとう。そう言って貰えると救われるよ」
「うん、もし、あなたが真面目過ぎて問題だって言うような会社なら辞めて転職すれば良い。私だって働いてるんだし、あなたを支えることも出来るわ。でも、きっと大丈夫よ。その課長には天罰が下ると思う」
妻の予言はそれから数か月後に現実となった。
あれから課長は俺のことがうざくなったのか、一緒の仕事を避けるようになった。その分気楽になったが、重要な仕事は回って来なくなった。でも、妻の励ましもあって、俺は腐らずに頑張り続けた。
そんなある朝。出社すると、課長が机の上を整理していた。
「おはよう。課長は朝から何をやってるんだ?」
俺は隣の席の後輩に聞いてみた。
「平に降格らしいです。どうも業者から贈り物を貰ってたみたいで」
「マジか! 呆れて物も言えんな」
妻の予言が当たってしまった。俺は大笑いしそうになったので、落ち着くためにコーヒーでも飲もうと自動販売機に向かった。
「お前がチクったんだろ!」
俺が自動販売機の前で硬貨を入れようとしていると、横から大声で怒鳴られた。声の主は課長だった。課長は俺に掴みかかりそうな勢いで近付いて来た。
「知りませんよ。俺も今朝初めて聞きましたから」
「お前以外誰が居ると言うんだ!」
課長は本当に俺の胸倉を掴んで来る。怒りで目の色が尋常じゃない。
「倉田君じゃないぞ。相手側から謝罪してきたんだ。うちに迷惑が掛かるってな」
先ほど課長が怒鳴っていた場所に、今度は常務が立っていた。
「相手の担当者が、仕事欲しさに勝手にやったらしい。まあ、要求したのは君だと分かっているけどな。倉田君を放したまえ。これ以上問題を起こすなら、降格で済まんぞ」
課長の体が小刻みに震えている。あれほど収賄はやめろと注意したのに聞かないからだ。
課長は俺を掴んでいた手を離すと、肩を落としてフロアに戻って行った。
「倉田君、君は接待も断っていたらしいね」
常務が近付いて来て、俺に尋ねる。
「俺は間違ったことが嫌いなんです。だから接待は受けたくなかったんです」
「我が社は君みたいな正義感溢れる人間を求めているんだ。これからも頑張ってくれよ」
「はい!」
妻の言う通りだった。真面目に正義感を持って生きることは、絶対に正しい。
帰って今日のことを話すのが楽しみだ。きっと妻は笑顔で喜んでくれるだろう。
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