第37話 十一月六日はアパート記念の日
一九一〇(明治四十三)年のこの日、東京・上野に日本初の木造アパートが完成した。
東京・上野の「上野倶楽部」で、五階建て七十室の木造アパートだった。
私は建築会社に勤めていて、現場監督業務をしている。今はある木造建築のアパートを取り壊し、ハイツに建て替える工事を担当中だ。
老朽化して外装が汚れているアパートを、綺麗なハイツに生まれ変わらせるのは気持ちが良い。竣工した建物を眺めている時には、この仕事に就いて良かったと思える。
工事は今、古いアパートを重機で取り壊している段階だ。
「あの、すみません。この工事関係者の方ですか?」
俺は昼休みに近くのコンビニまで買い物に行こうとして、一人のお爺さんに声を掛けられた。
「はい、そうですが」
「私は近所に住んでいる者なんですが、昔このアパートに住んでいたんです」
「そうなんですか……」
「実はお願いがあるんですが、もし工事中に星の形をしたキーホルダーが見つかったら、私に連絡していただけないでしょうか?」
お爺さんは救いを求めるような、切実な表情で頼んでくる。
「いや、現場で見つかった物を私の勝手で渡すことは出来ないですよ。施工主さんに聞いてみないと」
「大家さんですよね。顔なじみなので、私から頼んでみます。大家さんの了解を取れれば大丈夫ですか? 高価な物じゃないので、きっと了解してもらえますから」
「まあ、そういうことでしたら……ただ、見つかるかどうかも分かりませんよ。重機で取り壊しますから」
「ありがとうございます。それで構いません」
お爺さんは喜んで礼を言うと、連絡先とキーホルダーの特徴を書いたメモを渡して帰って行った。
初めからこれを頼むつもりでメモまで用意してきたのか。よほど大切なキーホルダーなんだろうな。
俺はお爺さんの切実な表情が気になったので、メモを失くさないように財布の中にしまった。
翌日、施工主さんから、老人の希望を聞いて欲しいと連絡があった。私はもし見つかれば、老人に連絡しますと答えておいた。
アパートの取り壊し工事は順調に進んで行ったが、キーホルダーは見つからなかった。まあ、それを探す為に仕事をしている訳ではないので、仕方がない。あまり気にしないでおこうと思った。
探し物というのは、諦めた時に出てくるものなのかも知れない。取り壊した瓦礫を入れているコンテナの中に、俺は偶然に星型のキーホルダーを見つけた。
「これか……」
手に取ったキーホルダーは、お爺さんのメモに書いてある特徴とよく似ていた。
俺が連絡すると、お爺さんはすぐに現場まで足を運んでくれた。
「これが探しているキーホルダーですか?」
俺がキーホルダーを手渡すと、お爺さんはじっと眺めたまま言葉が出て来ないようだった。
「ありがとうございます。これです。これが兄のキーホルダーです」
お爺さんは涙を流してそう言った。
「お兄さんのキーホルダー?」
「何かお礼をしたいのですが」
「いや、お礼なんていいんですが、良ければそのキーホルダーの話を聞かせて頂けませんか?」
余計な好奇心だと思いながらも、お爺さんの涙の訳を知りたかった。
「このキーホルダーは、幼くして亡くなった兄の物なんです」
お爺さんは涙を拭って話し出す。
「兄は小さな頃から病弱でした。兄の治療に掛かるお金の為に、うちは貧乏で狭いアパート暮らし。愚かにも私は病気の兄を恨んでいました。
ある日、父は兄に当時流行っていたこのキーホルダーを買って来たのです。うちに余分なお金は無く、兄の分しか買えなかったそうです。たぶん、両親は兄が長くは生きられないことを知っていたんだと思います。
私は不公平だと恨みました。両親がなだめてくれましたが、聞き入れられませんでした。
数日後、ずっと恨んでいた私は、兄の見ていない間にキーホルダーを盗み、アパートの庭の地面に埋めて隠したのです。
キーホルダーが無くなったことで、両親は私を疑い責めてきましたが、兄は自分が失くしてしまったと庇ってくれたんです。たぶん兄は私の仕業だと分かっていた筈なのに、それでも庇ってくれたんです。
私は後悔して、キーホルダーを兄に返そうと、隠していた場所を探しましたが、見つからなかったんです。目印にしていた棒が無くなり、どこに埋めたか分からなくなり、適当に穴を掘って探しても見つからなかった。
私は絶望して、兄に打ち明けようと考えましたが、勇気が出なかった。兄はその事件の半年後には死んでしまったのです。
それからも私はキーホルダーを探しましたが見つからず、やがて引っ越しをしてしまい探すことも出来なくなりました」
私はお爺さんの打ち明け話を黙って聞いていた。そんな小さな頃からずっとこのキーホルダーが心に引っ掛かっていたのかと、気の毒に思った。
「本当にありがとうございました。兄の墓参りをして、このキーホルダーを返します」
「本当に良かったですね」
俺は心からそう言った。
「後日またお礼に伺います」
「いえ、そんなお気遣いなく」
「それでは失礼します」
頭を下げて帰って行ったお爺さんの顔は清々しかった。
このアパートも、長い期間住民と共に歩んできて、様々なドラマがあったんだろうな。
今までただ古いだけに感じていたアパートに、歴史を感じた日だった。
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