第12話 十月十二日は豆乳の日
日本豆乳協会が制定。
十月は「体育の日」がある月であることから。十二日は「とう(一〇)にゅう(二)」の語呂合せ。
「ほら、豆乳買うて来たで」
私がまだ中学生だった頃、母が嬉しそうな顔をして豆乳の紙パックを買い物袋から取り出して見せた。
それを見た私は、またかと思った。
「なんでそんなん買うて来たん?」
「豆乳はな、健康に良いみたいやで」
やっぱり。母は健康に良いと聞くと何でも買って来てしまうのだ。
家はお世辞にも裕福と言える状況では無かった。いや、むしろ貧乏と言っても過言じゃない。それは中学生の小娘である私でさえ感じているぐらいだったから、無駄なお金を使う余裕など無かった筈だ。
「それ、普通の牛乳より高いんちゃうの?」
「高くてもええやん。みんなが健康になるなら安いもんや」
私はそんな母の考えが嫌いだった。家が貧乏なのは収入が少ないからなのは間違いないだろう。でももっと上手なお金の使い方をすれば、友達の家みたいに、色んなことも出来ると思っていた。
父は毎日お酒を飲んで、肴に高いお刺身などを食べる。お酒はまだしも、みんなと同じものを食べればそれだけでも節約出来るのに。
「お酒はほどほどにして貰ろてるし、肴もお父ちゃんの唯一の楽しみやからな。あれをやめたら、お父ちゃんストレスで倒れてしまうわ」
母の言葉は正しいのだろう。でも私は、せめて年に一回ぐらいは家族で旅行に連れて行って欲しかった。最低でも地元のUSJぐらいは行きたかった。でもそれが叶うことは無かった。
そんなある日、私はインフルエンザを拗らせて、入院が必要なほどの肺炎を発症させてしまった。
母は連日泊まり込みで看病してくれた。意識がもうろうとしている私の耳元で、母は何度も何度も「ごめんな、ごめんな」と謝り続ける。私は「お母ちゃんは何にも悪うないのに」と思っていたが、熱の所為で言葉に出来なかった。
母の看病のお陰か、熱も下がり数日後には症状が落ち着いてきた。母方の祖母が私の好きな苺を持ってお見舞いに来てくれてた。
祖母は私に、子供のころの母の話を聞かせてくれた。なんと母も私と同じように肺炎に罹って入院したことがあったらしい。
「ホンマに苦しかった。二度と入院なんてせんとこと思ったわ。だから家族にも入院せえへんように、健康でいて欲しいんや」
横で聞いていた母は昔を思い出すように遠い目でそう言った。その当時の母の気持ちは良く分かる。私も肺炎で苦しんで、大好きな人たちにはこんな苦しい思いをして欲しくないと思ったから。
退院して以降、私は母の健康好きに何も思わなくなった。みんな健康に過ごせるなら、貧乏なんて大した問題じゃないと思えたのだ。
あれから二十年以上の月日が流れた。私は今、故郷の関西を離れ、結婚して二児の母となっている。母の影響を受けたのか、私も健康に良いと聞くとつい手を出してしまう母親になってしまった。まあ、それも良いかと思っているけど。
母はまだ関西に住んでいて、父と元気に暮らしている。連絡を取ると第一声は決まってこうだ。
「みんな健康で元気か?」
私の返事も決まっている。
「みんな毎日豆乳飲んでるし、元気やで」と。
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