第7話 十月七日は盗難防止の日

 日本損害保険協会が二〇〇三(平成一五)年に制定。

 「とう(一〇)なん(七))」の語呂合せ。

 車上狙い、自転車盗難、住宅侵入盗難などの防止啓発が行われる。



「吉川さん、僕はね、万引きを防止することは店の為だけじゃなく、社会に対する義務だと考えているんだ」


 私、吉川美咲(よしかわみさき)は大学に入学して初めてバイトしようと、駅前にある個人経営の書店に応募して採用された。初出勤で基本的な作業を教えてもらった後に、言われたのがこの言葉だ。

 初日は通常のシフト時間より一時間早く出勤し、開店前にレジや商品の展示、整理などを教えてもらった。その後、万引き防止に関する話になった。


「万引きしそうな人間をチェックするのは簡単なんだよ」

「えっ、そうなんですか?」

「本屋に来るお客さんは本や雑誌を探しに来ているから、店員を見る人は居ない。でも万引きしに来ている人間は違う。必ず店員の動向をチェックしている。だからお客さんが入店した時に『いらっしゃいませ!』と挨拶して顔を見るんだ。その時、目が合った人間は注意する。万引き犯の可能性があるから」

「なるほど。分かりました」

「あと、万引き防止はやらせて捕まえるんじゃなく、やらせず諦めさせるのが目的だから。万引きはハードルが比較的に低いから、安易に成功してしまうと盗癖が付いてしまう。万引きを防止することは、常習犯罪者にさせない為でもあるんだ」


 この言葉の後、社会に対する義務うんぬんの話に繋がる。


 初めて働きだして最初の上司となった店長の言葉に、私は凄く共感してしまった。俄然やる気が出て、仕事に対するモチベーションが上がる。



 基本作業教育の後、朝の商品展示を行い、営業開始となった。今日は先輩バイトも一人入っていて、三人で店を回す。

 私はレジと商品整理を担当。レジでは横に店長が立ち、付きっ切りで指導して頂いた。不慣れなレジ打ちで緊張していたが、合い間にはちゃんと出入口のお客さんを見るように心掛けた。それだけ店長の言っていた「万引き防止は社会に対する義務」が胸に響いていたのだ。


 小さいミスをしながらも店長にフォローして貰い、なんとか勤務時間終了まで後二時間となった。夕方になって授業が終わったのか、チラホラ学生のお客さんも店に入って来る。

 そんな中、一人の女子高生が入店して来た。私が「いらっしゃいませ!」と挨拶すると彼女と目が合う。今日だけで何回か同じように目が合ったお客さんが居たが、彼女は他の人とは違った。他の人は一瞬私を見ただけで、その後は目当ての商品に注意を向けていた。でも彼女は入店後にも、何度か目が合う。店内の行動もどこかのコーナーで立ち止まる訳でもなく、辺りをキョロキョロ見たりしている。明らかに他のお客さんとは違うと感じた。


「店長」


 私が彼女のことを報告しようとしたら、すでに店長も気付いていた。


「彼女は不自然だね。万引きしようとしているかは分からないけど、もしそうなら初心者だろうね。あからさまに怪しいから。彼女の為にも何とか防がないと」

「どうすれば良いですか?」

「商品整理しながら店内を回ってくれるかな。で、所々で『いらっしゃいませ』と声を出す。売り場に店員が居るのを意識させるんだ。それから、彼女の近くに行ったら『何かお探しですか?』と声を掛けて。それで牽制になる筈だから」

「分かりました」


 私は店長の指示通りに商品整理を始める。彼女の動向を伺いながら、時々「いらっしゃいませ!」と声も出した。だが少し離れた場所から見ている限りは、彼女に変化はない。私は「何かお探しですか?」と声を掛けようと、近づくことにした。


 雑誌棚が並ぶ通路から、壁面棚を見ている彼女の背中に近づいて行く。

 彼女は左右を見回すと、棚から取り出したであろう本を自分の鞄に入れた。


 衝撃的な瞬間だった。

 どうしよう。店長に指示を仰ぐべきか? でもその間に彼女が店の外に出てしまったら、万引きが成立してしまう。まだ今なら間に合う。

 正直言うと怖かった。逆ギレされたりするかも知れないし。でももし本当にこれが初めての万引きなら、彼女の為にも止めないと。


「鞄に入れたの見てたよ」


 私は彼女の後ろに近付き、小声で話した。驚いたのか、彼女の体がビクッと動く。


「まだ今なら元の場所に戻せば大丈夫だから」


 彼女は返事をせず、固まっている。


「大丈夫。勇気を出して」


 私は必死だった。何とか万引きを止めたい。

 彼女は何も言わずに、そっと鞄に手を入れ本を取り出した。そして、ゆっくりと本を棚に戻す。


「これで大丈夫。もう二度としたら駄目よ」


 彼女は私を見ようともせず頷く。


「ありがとう」


 私は心からそう思った。

 彼女は返事もせず逃げるように店を出て行った。


「ご苦労さん」


 レジに戻ると、店長が笑顔で迎えてくれた。私は緊張が解けて笑顔で「ありがとうございます」と返事をする。

 とんだアルバイト初日になった。でも、これからもこの店で頑張ろうと思った。

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