第107話 贖罪と眠り姫

「報酬……ですか?」

「ええ、情報の秘匿ひとくと“竜騎兵ドラグーン”戦での貢献具合を思えば、ご褒美の一つや二つ……頂いても構いませんよね? そもそも別に学園の教員でもない俺たち・・・に学園を守る義務なんてありませんし……」


 命を懸けた対価に報酬を――。

 ましてや危険な情報を共有するリスクだけを背負わされるなんて御免被る。


 それと同時、その情報は使いようによっては最大の武器にもなる。それこそ名家出身の理事長に対して、生徒と無職が抗えるほどの武器に――。


「私と取引しようと?」

「さあ、どうでしょうね。でもそちら側からしても、悪い要求じゃないとは思いますけど……」

「――ふっ、話を聞きましょう」


 まあ使い方を間違えれば、本当に不慮の事故・・・・・に巻き込まれる可能性がある諸刃の剣とも称せるわけだが――。


「ち、ちょっと、天月君!? 私は……!」


 とはいえ、シュトローム教諭からすれば、生徒を守ったことに見返りを要求する――というのは、あまり好まくはないのだろう。

 元になってしまったとはいえ、ついこの間まで教員だったのだから分からない話じゃない。

 でもそれが原因で無職になった挙句、国にも・・・帰れない・・・・となれば、あまりに浮かばれない。


 だから――。


「今は大人の話をしてるので、少し黙ってて貰えますか?」

「な――ッ!? わ、私の方が年上でお姉さんなんですからねッ! 君はもうちょっと、年上に対する……んぐっ!」

「それだけ虐めて下さいオーラを全身から出しといて今更ですよ。それに文句なら後で聞きますから、ちょっとお口チャックでお願いしますね。あんまり騒ぐと、その口を物理的に塞ぐことになりますから……」


 シュトローム教諭は俺からの子供扱いに憤慨しているようだが、今は懇切丁寧に突き合っている場合じゃない。

 彼女の目の前に人差し指を突き出し、無理やり言葉を遮るようにたしなめていくが――。


「ぶ、物理的って……だ、ダメだよ! 理事長さんも見てるし、私達は生徒と教師……あ、でも、今は違う……で、でも、私初めてだし……う、うぅぅ……」

「はい?」


 当のシュトローム教諭は、顔を真っ赤に熟れた林檎りんごのように染め上げて俯いてしまう。

 よく分からんが、微妙にニュアンスが違って受け取られているような気がする。


「きゅ、ぅ……」


 だがその直後、俯いてボソボソ呟いていたシュトローム教諭は、ボンっという爆発音と共に顔から蒸気を上げると、寄り掛かる様に倒れ込んで来た。

 良い香りと柔らかな感触に動揺を禁じ得ない一方、どこか冷静に物事を判断する自分がいた。

 というのも、彼女の境遇は、いつ倒れてもおかしくないものだったから。


 実際問題、軍所属でもないのに国家存亡規模の戦いで最前線に立った後、学園の治安維持に協力してくれた。それだけでも重労働というレベルじゃない。

 しかも直属の上司に裏切られたばかりか、エリートから一転して無職への転落。

 その挙句、今は異国の地で一人取り残されてしまっている。


 不安と焦りでまともに眠れない日々を過ごして来たことは想像に難くない。

 いやそれ以前に、今日の彼女のやつれ方を見てしまえば、恐らくそうやってずっと気を張っていたことは事実なのだろう。

 よって、限界を迎えて電池切れになることに対し、わざわざ驚くことはない。


 だが当の俺は左半身にシュトローム教諭の体温を感じながら、やりきれない感情に襲われていた。


「あらあら、お似合いですよ。後はスーツとドレスで着飾ったら、どこかの舞踏会の様ですね」

「理事長は学園の長より、悪女官の方がお似合いですよ」


 一方のババアは、オーバーヒートして気を失ったシュトローム教諭を見ながら、意地の悪い表情を浮かべている。

 無論、純度一〇〇パーセントの皮肉ではあるが――。


「ではそろそろ本題に戻りましょうか。シュトローム教諭が寝込んでくれたのは、こっちとしても好都合なので……」


 刃を交えぬ戦い。

 また緩んだ雰囲気が張り詰めるのを感じた。


「単刀直入に言えば、こちらの要求は二つ。まず最低条件として、シュトローム教諭をこの学園で正規雇用すること。まあどうせそのつもりで呼び寄せたんでしょうけど……」

「あら、お見通しでしたか? どの道、彼女は本国に帰れない・・・・でしょうし、腐らせるには惜しい才覚ですからね」


 AE校の若き魔導実技担当教師。

 本人の力量は実戦で即通用するどころか、トップエース級。

 それも若くて美人。


 この人手不足の中、これほどの人材を手に入れるのは、砂漠で米粒を見つけるに等しいレベルに違いない。フリーになっているなら、捨て置く手はないはず。

 とはいえ――。


「勿論、シュトローム教諭の能力は考慮に入れて下さい。間違っても、立場の弱い彼女に付け入るようなことがないように……。そもそも二階堂がAE校側の口車に乗せられたのが原因ですし、迷惑料込みの好待遇ヘッドハンティング……ってのが、妥当な待遇であるはずだ」

「――善処致しましょう」

「いえ善処ではなく、確実に……。どこまで何を知っているのかは分かりませんけど……俺が暴れるようなことがあれば、そちらとしても相応に厄介でしょう?」


 俺の身体にもたれ掛かりながら寝入っているシュトローム教諭を一瞥した後、厳しい口調で言い放った。

 今回の原因――それは欲に目がくらんだ二階堂ではあるし、元を辿ればローグ教諭ということになるはず。

 だが更に見方を変えれば、俺が彼女を巻き込んでしまったとも言える。


 現にシュトローム教諭が職を失ったのは、地下モニタールームに意図せず乱入してしまった所為せいだ。

 ドジっ娘属性を遺憾なく発揮したシュトローム教諭側にも問題はあるが、善意で行動した彼女を責めるのは流石に酷というものだろう。

 更にマズいのは、超エリート街道から一気にドロップアウト――という形になってしまったことだ。


 今この社会は、魔導至上主義――なんて言われるように、選民思想と競争社会が加速している。

 そんな風に誰もが余裕のない情勢なのだから、一度墜ちてしまえば元の位置に這い上がるのは至難の業だ。いや、教頭や二階堂があれだけ苦しんでいた通り、実質不可能に近い。

 しかも誰もが憧れる花形教師からホームレスニートへの転落ともなれば、それこそ人生終了まっしぐらとなってしまう。


 人の不幸は蜜の味。

 元から這い上がれもしない連中ならともかく、上から落ちぶれて来た人間が底辺コミュニティーに受け入れられるわけもない。

 その上、シュトローム教諭の年齢や容姿、押しに弱そうな性格を加味すれば、一体どんな目にあわされるのか――。


「随分と入れ込むのですね」

「別に……そういうわけじゃありませんよ。でも行き過ぎた魔導至上主義は間違っていても、能力がある人が優遇されるのは当然のこと。力を活かすのに相応しい立場があるのなら、迷う必要はないはずです」


 それは、どうにか用立てて故郷である“グランデイド”に戻ったのだとしても、何ら変わらないはず。

 二階堂をあちらの学園に入れ込もうとしていた以上、ローグ教諭には他校を動かすだけの力があるということなのだから――。


 つまりシュトローム教諭に待っているのは、良くて明日の命も知れぬ底辺生活、悪ければ文字通り口を塞がれる凄惨な未来。

 国に帰るだけで命の危険が満載である以上、現状は一番安全な選択肢を取るしかないはず。


 早い話が、今はとりあえずミツルギの庇護下に入り、徐々に第二研究所や神宮寺家の影響下へとシフトしていく。

 そうして三つの大勢力が複雑に入り混じる立場になってしまえば、外部から簡単には手を出せなくなるはず。今後ずっとミツルギの教師で在り続けるのかは別としても、当面はこれが最善手だろう。

 その後は、皇国に留まり続けるならそれでいいし、それでも故郷に戻りたいなら戻ればいい。まあ何にせよ、今は落ち着く時間と安定した生活を手に入れることが先決。こんな状況で焦って、行動しても何も良いことはないのだから――。


「それともう一つは……今後俺がいきなり早退したり、休んだりした時、学園側に口利きしておいてください。今回のような有事の時、俺とシュトローム教諭の戦力を保有できると考えれば、安いものだと思いますが?」

「ふふっ、私相手に取引を持ち掛けて来たり、合法的にサボらせろだなんて……やはりキモが据わっていますね」

「構いませんよね? 俺も色々と忙しいので……」


 二つ目の要求を有り体に言えば、“俺のサボりを理事長公認にしろ”というものだ。

 今までと違って、学生らしいストレートな要求だろう。

 だがその本質は、自由に動ける時間を合法的に確保するためのものでしかない。


 以前からの目的であった両親の真実。

 “首狩り悪魔グリムリーパー”、フィオナ・ローグを始めとした一連の騒動について。


 実際、調べることが増えるばかりである一方、ここまでは駐屯地訪問や学園対抗戦――と、時間を拘束された上で、結果的に命懸けで戦ってきた。

 これぐらいの要求は許されて然るべきだろう。

 というか、風破のような優等生になる気は更々ないし、周りからの印象なんて知ったことか。


「ふっ……分かりました。そちらの条件を呑みましょう。その程度で済むのでしたら、こちらとしても異存はありません。何より、貴方も彼女も今の我々には必要な人材ですから……」

「じゃあ、取引成立ということで……」

「ええ、そう受け取っていただいて構いません。ではシュトローム教諭は来年度から雇用する……ということで、書類は後でお渡しするとお伝えください」


 俺と理事長は冷たい視線を交わし合う。


 互いに利用し合う以上、敵ではないが味方でもない。

 敢えて言うなら、学園限定の支援者パトロンってところか。

 だが何はともあれ、両者合意の下で取引は終了した。今はそれでいい。


「そうですか、それは良かった。ああ、それともう一つ……」

「何でしょう?」


 緊張の糸が切れたのか、今も眠るシュトローム教諭を姫抱きにして席を立った直後、俺は理事長の方を振り返る。


「もし約束を違えた場合は、この学園が地図から消えることになる。それだけは忘れないでくださいね」

「――分かりました。きもめいじておきましょう」


 時代の流れ、運が悪かったと言えばそれまでだが、俺自身が深く関わっている一件で理不尽に苦しむシュトローム教諭を見過ごすことは出来ない。

 こんなことで贖罪しょくざいになるとも思わないが、せめて今だけは俺が守る。

 そんな想いを胸に釘を刺した後、理事長室を後にする。


 こうして、先の一件の顛末てんまつと思わぬ休日出校が終わりを迎えることになったわけだが――。


 さてこのお眠さんの金髪美女は、一体どこに持って帰ればいいだろうか。

 何というか――ある意味、大ピンチかもしれない。

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