第2話 歩み続ける覚悟

 冬を告げる冷たい風が、ミツルギ学園の屋上を吹きすさぶ。

 本来なら俺も一限目の授業に参加しなければならないはずだが、今は一人で風に当たっている。


 この現状を一言で表すのなら――。


「朝からサボりとは、いいご身分みぶんだな」


 背後から凛とした声が響く。

 どうやら俺に穏やかな時間がおとずれることはないようだ。


 一方で声の主は、風に舞う長髪を手で押さえながら近づいて来る。そして俺の返答を待つことなく、隣に腰を下した。


「期待値ゼロの出来損ないがどこにいようが、誰も気にしない。それより副会長様こそ、こんな所にいて良いのか?」

生憎あいにくと、私の方は出発までは余裕がある。ゆえに今は待機時間であり、サボりは烈火・・の方だけだな」


 声の主――神宮寺雪那じんぐうじせつなから、とがめるようにジト眼を向けられる。

 他の連中にとっては驚愕の状況かもしれないが、俺からすれば慣れたもの・・・・・だった。


「施設見学の連中はもう出発しているはずだが、特別コースは話が違うのか?」

「ああ、あちらの都合に合わせて、私たちは少し予定を遅らせるらしい。相手は正規軍、こちらは参加させてもらう立場なのだからな」

「各学年の成績上位者だけが参加できる特別カリキュラムね、ご苦労なことだ」


 朝から何度も話題に上がっていた通り、今日は大規模な校外学習が予定されている。

 内容というか、参加コースは二種類。


 一種類目は、割り当てられた施設見学というありがちなもの。実質、遠足と同じだな。

 二種類目は、最前線で“異次元獣ディメンズビースト”と戦うクオン皇国・正規軍――“天命騎士団てんめいきしだん”の教練に参加できる特別コース。


 特に多くの生徒が目標としているのが騎士団で成り上がることであり、特別コースへの参加は進路を決める時の大きな要因となる。

 同時に学園側からしても、優秀な生徒を売り込むチャンス。


 結果、この校外学習は学園を上げての一大いちだい恒例行事こうれいぎょうじとされており、朝から生徒の波が凄まじかったわけだ。

 朔乃が転んでしまったのもそういう理由から。


 それは同時に、恥ずかしくてどこにも出せないFクラスが学園待機となった理由でもあった。

 だがそんなことを話している内、いよいよ業をやしたのだろう。雪那の語気ごきが強まっていくのを感じた。


「……校外学習そんなことはどうでもいい。お前はいつまで、Fクラスそこに甘んじているつもりなのだ?」

「甘んじるも何も、試験の結果なんだから仕方ないだろ」

「烈火が手を抜かずに取り組んでいれば、そんな結果にはなっていない! 今日だって、私と一緒に行動していたはずだ!」


 視線を向ければ、雪那は目線を下ろして感情を抑えこむように膝の上で拳をにぎっていた。


「おじさまやおばさまを思うと辛いのは分かる。だがあの二人に恥じないような魔導騎士になることが、お前に出来る唯一の親孝行ではないのか? 少なくとも今のお前を見たら、あの二人は胸を痛めるはずだ」

「ああ、だろうな」

「烈火……」


 顔を上げた雪那の瞳が揺れる。

 その不安そうな様子は、さっきまで女神のようにあがめられていた少女と同じ人間だとは思えないものだった。


 雪那にこんな顔をさせてしまったのは、俺の中途半端ちゅうとはんぱさ。

 それに俺自身より辛そうにしている雪那を目の当たりにしてしまえば、胸が締め付けられる想いを抱かざるを得ない。


 だが――。


「そんな顔をするな。俺は大丈夫だから」

「大丈夫なわけがないだろう!? 烈火は自分が辛い時、絶対に人を頼らない。昔から・・・……」

「……雪那」


 Fクラス生徒と学園の才女。

 本来なら隣り合い、名前を呼び合うなど、あってはいけないことだ。


 でも俺たちの関係性は、ただの同級生というだけじゃない。

 最初の出会いは、お互いが六歳の頃――初等部一年からの付き合いであり、そんな関係に名前を付けるとすれば、腐れ縁――幼馴染と呼ばれるのだろう。


 だから雪那は、俺の現状にいきどおってくれている。

 多分、過去の俺を誰より近くで見て来たのは、他ならぬ彼女自身だから――。


「俺は……」


 天月烈火あまつきれっかの夢は、皇国最強をうたわれた両親に恥じない立派な魔導騎士になること。

 騎士団に入って侵攻者と戦い、皆を守る戦士になることだった。


 両親のように、もっと魔導を上手く使えるようになりたかった。

 誰にも負けないくらい強くなりたかった。


 それでいいと思っていた。幼かった頃の日々は光り輝いていた。

 だが両親を失ったあの日――全てが変わってしまった。


『我ら一■ノ誇リ、■人モけが■こト■わず……』


 惨劇さんげきの中で聞こえてきた“声”。


 それは魔導騎士とは、“異次元獣ディメンズビースト”とは何か。

 なぜ戦わなければならないのか。


 そんな全く別の視点を、俺の心に強くうったえかけて来るものだった。


 加えて、ただの“異次元獣ディメンズビースト”とも違う、あの異形巨竜の存在。

 不自然に訪れた両親の死。


 しかも皇国の英雄の悲劇的な死に際し、この国の対応は何らかの事実をみ消すかのように不審ふしん極まりないものだった。


 でもどうしても納得が出来なくて、真実を確かめようと足搔あがいてみても、俺には何もできなかった。

 他の人よりも少しだけ魔導の扱いが上手いだけの、無策で無力な子供だった俺には――。


 大人たちの薄ら悪い笑み。

 両親の死という悲しみ。


 果てに残ったのは、虚無と絶望、世界への不信感。

 そして上下左右が暗闇くらやみとらわれ、何もできない自分への怒りと無力感だけだった。


 自分の立っている場所が、見ている景色が――本当に真実なのだろうか。

 世界には途方とほうもない悪意が潜んでいるのではないか。


 魔導を使って人々を守って、それが何になる。

 結局、全てが嘘偽りで塗り固められたもので、所詮しょせんは誰かのてのひらの上でおどらされているだけではないのか。


 そうして偽りの真実を突き付けられ、肉親を失い、自分の夢に価値を見出せなくなった。進むべき道を見失った。何もかもが無価値に感じていた。

 だから剣を置き、どこか抜けがらのように過ごしていた。気づけば、学園の落第生と呼ばれるようにすらなってしまうほどに――。


 だが中途半端な俺のために、雪那がこんなにも悲しんでいる。

 こんな風になるまで気付きもしなかった俺のために――。


 それを自覚した瞬間、俺は自分自身に対して、灼熱の如き怒りを覚えていた。


「……確かに、両親が死んだ日から魔導に対する考え方は大きく変わった。昔みたいに優秀な魔導騎士になって騎士団に入る……ってことに、意義が感じられなくなったことは事実だ。だから自分なりに、何らかの答えを出さなきゃいけないと思ってる。父さんたちのことも含めて……」


 多分、俺は両親が亡くなってから、初めて自らの本心を他人に吐露とろした。

 でもそれは投げやりな感情で元気を取りつくろったわけじゃない。


 実際、当時と今とでは、俺を取り巻く状況も随分ずいぶんと変わっている。

 それに俺もこれまで、Fクラスという自由の利く立場を利用して色々調べてはいた。本当に何もせずに過ごしていたのかと言われれば、それは違うと断言できる。


 ただ心のどこかで迷っていて、本当の意味で一歩を踏み出せなかったというだけで――。


 でもこの中途半端さが俺を気遣きづかってくれる人を苦しめていた。

 だから選択しなければならない。


 両親の死を全て忘れて、何も知らない普通の学生に戻るのか。

 それとも、裏で糸を引いている暗躍者フィクサーを突き止めるために走り出すのか。


 単純で、楽で、かしこい選択は、実質的に一択いったくだろう。

 毎日楽しそうな生徒連中の仲間になって馬鹿をやっていれば、それなりに幸せな人生が訪れるはずだから。


 だが俺はそれを選ばない。いや選んではいけない。

 両親の死の真相を突き止め、世界の闇を暴くこと。

 それこそが俺が進むべき道であり、両親の死が汚い大人たちに利用され続けることを許してはいけないのだから。

 例え世界を滅ぼす悪意が立ちふさがるのだとしても、俺は前に進み続ける。


 雪那の問いへの答えになっているのかは分からないが、これが今の俺にとっての全て。


 当然、馬鹿正直に全てを説明出来るわけもない。

 でも名家の一人娘である雪那も、将来はそんな世界の闇にみ込まれかねない位置にいる。

 どうかそれまでには、全ての決着を付ける。


 それが俺の戦い――。


「悪いが今伝えられることは、別に落ち込んでいるわけじゃない……ってことだけだ。でも全部に決着が付いたら、ちゃんと説明する。だからとりあえず今は、そんな泣きそうな顔してくれるなよ」

「私は、別に……そんな顔などしていない。」


 状況はどうあれ、こんな風に面と向かって本音で話すのは、いつ以来だろうか。


 そんなことを思っていると、頬を赤くした雪那は勢いよく顔をせてしまう。

 すると、珍しく狼狽うろたえている様子に軽く吹き出してしまい、副会長様から睨み付けられてしまった。

 まあほほふくらませながらの抗議では逆効果だな。むしろギャップで可愛いだけだ。


「……ん、んっ!! 私はからかわれるのが嫌いなんだ」

「ああ、知ってる」


 このままでは分が悪いと感じたのだろう。雪那はわざとらしいせき払いと共に、強引な話題変更をはかる。

 またまたぁ――と追撃のイジりを加える者もいるかもしれないが、これ以上は言及しない。

 本気で嫌がられるラインぐらい理解しているし、親しき中にも礼儀ありというやつだ。


「そういうわけだから、雪那は俺のことを気に病む必要はない。遠足でも正規軍の訓練でも、安心して参加して来ればいい」

「とりあえずは了承しよう。だが私で力になれるのなら、何でも言ってくれて構わない」

「そうだな。まあその時は……」

「……嘘だな。やはり私には何も言わないつもりだろう?」

「即答かよ」

「長い付き合いだ。さっきも言ったが、こういう時の烈火は信用ならない。もっと周りを頼るべきだ」


 俺の発言に思うところがあったのか、雪那は再び抗議の声を上げる。

 恐らく、本当に信じられない――とかではなく、本気で心配してくれているのだろう。実際、雪那の眼差しは真剣そのものだった。


「……少なくとも私は、烈火に頼られて迷惑だとは思わない。むしろ……その……」


 一方、当の雪那は凛とした彼女らしからぬ態度で、真っ赤になった顔を隠すようにうつむいてしまう。

 俺もそんな雪那とのやり取りには、どこか懐かしさを感じていた。


 確かに他者との関係や背負うべき責任の重さは、年月の経過に合わせて自然と変わっていく。

 気持ちだけでは、どうにもならないこともある。あこがれや希望に満ちた未来が待っているとも限らない。


 だが今この時だけは、無垢むくだった幼い頃のように穏やかな時間を過ごせていたのかもしれない。

 初冬しょとう木枯こがらしは、そんな俺たちを包み込むように吹き抜けていった。

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