第17話 箱船は行方不明 2
指紋採取その他諸々の調べが終わったことを確かめ、下田は格子の隙間から手を入れ、閉じてあった窓を動かした。視界が開け、玄関の上がり框、リビングに通じるドア、二階に続く階段の手すりといった箇所が目に入る。
「リビングの隣の部屋、ダイニングキッチンの角に置かれたテレビ台の下のスペース、そこにあった茶色のガラス瓶の中に、家の鍵を含むキーホールダーが入っていた訳だ。この格子窓からは、直線距離でも三メートルはある。壁に穴をぶち開けたらの話だ。間取り通りに結ぶなら、四メートル五十センチだ。リビングを通って大きくカーブしなければならないからな」
「はあ。とてもじゃないが、放り投げたぐらいでは届かない」
花畑が、何度も検討したことを、また口にする。下田は吐き捨てるように言った。
「たとえ直線距離で一メートルだとしても、格子窓越しにキーホルダーを放って、ガラス瓶の中に入れられるか? 直径十センチもないんだぞ、瓶の口は」
「は、その通りで」
花畑が答えたきり、二人の刑事の間には沈黙が居座った。密室のことを考えても、何のアイディアも出て来ない。
代わりに、一人の人物の名前が浮かんだ。花畑よりも、下田の方が早かったかもしれない。
だが、口に出したのは、ほぼ同時だった。
「頼んだ方がいいんじゃないですか」
「そうだな」
うなずき合う。他の同僚達には見せられない光景である。
やがて二人はその名を声に出した。ため息とともに。
「地天馬鋭の意見を聞くか……」
秋風が、道路に木の葉の渦を作った。
「合鍵を持っていた恋人、鍋倉亮子は怪しくないんですか」
話を聞き終わるや、私は質問を飛ばした。
「最初、怪しんだんですがね」
花畑刑事は皆まで言わない内から否定する風に、首を横に振っていた。
「事件のあった日のアリバイが完璧だった。鍋倉は菓子メーカーのQに務め、置き菓子配送員をしてるんだが、事件当日を挟んだ二泊三日の社員旅行に行っていたと明らかになった。あっさり、容疑の枠から外れました」
「共犯の影もなし?」
「ええ。被害者との仲は良好で、鍋倉自身、実に一途です。周りの評判にも疑わしい点は皆無だった」
「ふーむ」
私は腕組みをし、椅子にふんぞり返った。
当探偵事務所の主である我が友・地天馬鋭の姿は現在、ここにない。留守を預かった身としては、探偵事務所の威厳を傷つけてはならないという意識が、頭の片隅、否、中央に強くあった。一人でやって来た花畑刑事を出迎え、気持ちが高ぶってもいた。
「地天馬さんはどこへ行ったんです?」
不服顔を隠そうともせず、花畑刑事は椅子を離れ、熊のように歩き回った。その両眼は私の方をじっと見据えている。
「最初に言いましたように、彼は今、調査のために出張中です」
「誰の依頼を受けたどんな事件で、どこに行っているかは、言いたくないというんですな」
「ええ。それが守秘――」
「連絡だけでも取ってくれませんかね」
私が喋り終わらない内に、言葉をおっ被せる刑事。密室の謎によほど苦戦していると見える。
「あの名探偵のことだ。これくらいの密室、電話であらましを聞いただけで、ちょちょいのちょいだろうに」
「それは何とも言い兼ねます」
「だいたい、何故、一人で行かれたんです? ワトソン役というんでしたかな。あなたが引っ付いていかないのはおかしい気がする」
「依頼人が、地天馬一人での来訪を所望したんですよ」
若干の疑いを向けられ、私は憤慨気味に返答した。もちろん、ポーズの色合いも混じっているが、いい気がしなかったのは厳然たる事実だ。
「書かれたくないんですな。そういう人もいるでしょう。いや、それが普通だ」
こちらの喉が干上がるようなことを平気で言ってくれる。
「とにかく、地天馬さんに伝えてくださいよ。どうせ連絡するんでしょう? そうでなきゃ、留守番の意味がない」
「……」
図星である。即、認めるのもためらわれ、私は沈黙を通した。刑事はしかし、伝えてくれるものと決め付け、続けた。
「それで、意見を引き出して、我々に伝えてくれればありがたい。お願いしますよ」
「……私も推理作家の端くれとして、また、地天馬のそばに長くいた者として、それなりに能力があると自負しています」
「ほ?」
「密室の謎、私が解いてみせましょう」
「お、大きく出ましたなあ、これはまた」
刑事の口ぶりと目つきに、私はますます意地になった。
「独自に調査させてもらいますよ。いいですね」
「ええ、ええ、かまいませんよ。犯人を捜すのではなく、密室の謎解きぐらいなら、問題ない」
「新しい情報が入ったら、教えてください」
「ん、ま、しょうがないですな。こっちから話を持ち込んだんだから。ただし、時間制限を設けさせてもらいましょうか」
「期限付きの謎解きという訳ですか。事件をゲーム扱いするのは忍びないが、まあ、目を瞑ります。何日間くれます?」
「地天馬さんが帰って来るのは?」
私はカレンダーに目をやった。
「えっと、三日後の予定だけど、事件解決が長引けば、どうなるか分かりませんよ。逆に、早く帰って来ることもあり得る」
「それなら三日後にしましょう。三日後の今、午後三時……二十分としておくか。三時二十分までに密室の謎を解けなかったら、地天馬さんに助けを仰いでください」
「いいでしょう。受けました」
……花畑刑事が帰ったあとで一人考え、おかしな成り行きになったものだと、つくづく感じた。
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