第11話 反転する殺意 7
嫌な予感を覚えたのだろう、吉山の唇が歪む。花畑は大げさにうなずいた。
「あんたが襲われた日、近くで発生した殺人事件の被害者、有島洋だ」
「こ、この人が」
写真を手に取り、その腕を一杯に伸ばして驚愕の表情を浮かべる吉山。演技だとしたら過剰な驚き方だった。
これを機会に花畑は厳しい調子に転じるのかと思いきや、彼はにやりと笑った。
「あんたを襲ったあと、別の誰かに襲われたのかねえ。いや、それはいくら何でもないな。うーん、あんたに逃げられたあとも同じ場所に留まり、別の誰かを襲おうとして失敗、逆に殺されたと考えれば筋道が通る」
「そ、そうですよ、刑事さん」
同意する吉山だが、どこか薄気味悪がっている。花畑の態度を怪訝に思っているに違いない。
「あんたに逃げられた有島が、ずっと同じ場所にいたっていうのが気に入らない。それにもう一つ分からないのは、大学の先生ともあろう人物が、無差別通り魔のような犯行をするかってことだ」
無差別通り魔とは重複表現ではないか。下田は内心、苦笑を覚えた。
「そんなこと、分かりませんね。人が裏で何を考えているかなんて、誰にも分からない。助教授が殺人をしでかしたり、殺し損なった犯人がその場に留まったりしても、あり得ないこととは言えないでしょうが」
「かもしれん。だが、俺が思うに、有島洋があんた一人を狙って、襲ったと考えた方が、より筋道が通るんじゃないかねえ」
「まただ!」
信じてないじゃないかとばかり、癇癪を起こす吉山。下田のいる位置からはよく見えないが、目が血走っているようだ。
「私は交換殺人のターゲットにされたかもしれない。その可能性があるのは認める。だけど、襲われただけであって、逆に殺すなんて、絶対にしてないっ」
机を拳で叩く吉山。
堂々巡りだな。頭が痛くなってきた下田だった。
我が友・地天馬鋭は口に手を持って行き、退屈げに欠伸をかみ殺した。多分、ポーズに違いない。下田警部の話は行きつ戻りつして、重複が目立った。私ですらいらいらしていたのだから、地天馬はなおさらだったろう。
「交換殺人について、ここまで微に入り細に入り解説なさるとは、下田さんは交換殺人の権威ですね」
「何のことですかな、そりゃ」
皮肉が通じたのかどうか、下田は目を見開いた。きょとんとしたその様が、警部には似合わず、おかしい。
わざわざ事務所まで尋ねてきてくれた刑事二人に対し、地天馬の応対ぶりは相変わらずだった。自らは腰掛けたまま、来訪者に椅子を勧めようともしない。仕方なく、私が代わりにやった。
ただ、下田警部達にしても、民間人に知恵を求めに来た負い目からか、それとももはや慣れたのか、その表情に特に不平は出ていないので、幸いだ。
「それよりも、どうです? 事件発生から一週間になるのに、壁にぶち当たってしまい、弱っとるんですよ」
席を立った下田が作り笑いを浮かべて、地天馬に近付く。警部の後方では、花畑刑事が「最初は簡単に見えたんだがなあ」とぼやき気味につぶやいた。
「たった一週間で、僕のところに話を持って来たのには、何か理由があるんでしょうね」
「あります。交換殺人のもう一方のラインを断ち切らねばならない」
「ん? 話を聞く限り、有島と森谷の共謀による交換殺人は不発に終わったか、計画自体が元々存在しなかったとお考えなんだなと感じましたがね」
興味を引かれた風に、身を乗り出す地天馬。下田はデスクに片手をついた。
「我々がそう簡単に方針転換できないのは、よくお分かりかと思いますが、敢えて言うと、我々は有島と森谷が交換殺人を企てたと考えており、よって吉山犯人説を捨てていません」
「交換殺人の計画が真実あったとしても、有島が目的を遂げずに死んだ今、森谷が律儀に倉塚暁美を殺害するはずないし、あなた方警察の保護下にある吉山を改めて狙って来るとも考えにくいでしょう」
「交換殺人の組み合わせが別に存在する可能性も、考慮に入れておるんですよ。有島が吉山を殺す代わりに、倉塚を殺す何者かがいるかもしれない、と」
「そこまで信念を持ってやっておられるのであれば、僕に会いに来なくてもいい。お帰りはあちら、というやつですよ」
地天馬は右腕を鎌首をもたげた蛇のような形にして、ドアの方を示した。
「いや、疑問点があるのです。だが、まだ捜査の方向性を揺るがせるほどのものではなくて。だから弱っておるんです」
「疑問点とやらを、まだ聞かせてもらってないような気がしますが」
地天馬の催促に応えたのは、花畑だった。彼もまた椅子から離れると、地天馬の机の前まで足を運んだ。
「まず一つ目。吉山の提出した衣服に付着していた血は本人の物ばかりで、有島の血はなかった。細身の刺身包丁でやられたにしては、返り血が皆無というのは、絶対にない状況とは言えないが、不自然には違いないです」
「衣服が違っている可能性は?」
「証券会社の人間に尋ねたら、吉山が当日着てきたスーツに間違いないと」
「なるほど」
地天馬がすんなり納得したようなので、私は別の可能性を追うことにした。一歩進み出て、花畑刑事に質問する。
「同じスーツを複数着持っていたのかもしれませんよ。警察に提出した物は、適当に自分の血だけを付けたスーツという訳です」
「残念ながら、家宅捜索の結果、それは否定された」
「処分したんじゃないかな。帰宅してすぐ、返り血をたっぷり浴びた服を燃やすか何かして」
「ロスは極力省こう」
地天馬が割って入ってきた。しかし、言うに事欠いて、ロスとは何だ。
「私は、衣服が二着以上ある可能性を君が見落としたようだから、代わりに質問しているんだよ」
「それはありがとう。だがね、その可能性は最初からないと判断できる。質問の必要もない」
「何だって? どうして断言できるんだ」
食って掛かる私に、地天馬は微苦笑を投げてきた。
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