第10話 反転する殺意 6
「吉山さん。あんたの言うことを信じるから、あんたも正直に話してくれ」
花畑がなだめる作戦に転じたのを、下田はこめかみを押さえながら見守っていた。
これは取り調べではない。話を聞く場所は会議が開けるほど、広々とした部屋だ。吉山は容疑者ではなく、参考人扱い。ただし、頭に「重要」と付く参考人であり、立場は微妙だ。
有島洋の死亡推定時刻は、あの夜――六日の午後六時半から九時半の間と報告されていた。幅をやや広く取ったのは、遺体が川の冷たい水流にさらされていたためだが、吉山の犯行だとしても計算は合う。彼が襲われたのが六時五十分、逆襲に転じて殺したなら、七時までに完了したはずだ。遺体を川へと転がし、凶器を始末しても、さほど手間は掛かるまい。吉山は帰宅時刻を七時過ぎと申告していたが、これには証人も証拠もない。
凶器は、遺体の沈んでいた川底から見つかった。刺身包丁だった。出所が依然はっきりしないが、これは有島・吉山いずれかの持ち物である可能性を想定しての捜査故、時間を要しそうだ。指紋は検出されていない。これは水に洗われたというよりも、何者かが、恐らくは犯人が拭い取ったと考えられた。
長机を挟んで花畑の正面に座る吉山は、髪をなで上げ、苛立ちを隠さない調子で言い放った。
「私は、最初っから正直に話してる!」
「いや、だからね。もっとリアリティのある説明がほしいんだ。帰宅途中のあんたを襲った犯人は、刃物を突き刺そうとはせずに、上から振りかぶってきたんだったな?」
「ああ、そうだよ」
「それを手で防御したり、後ろに下がって避けたりする内に、数箇所の怪我を負った。どれも軽傷だ」
「犯人は刃物の使い方を知らない、ずぶの素人だったんじゃないですか」
吉山の声の響きには、怒りよりもあきらめの色合いが濃くなっているようだ。
花畑は吉山の返答には反応せず、言葉を重ねた。
「あんたは逃げた。おっと、慌てんでいいって。どうして通報しなかったのか、今は問わん。逃げたあんたの記憶力を試したいんだ」
写真五枚を机の上に並べる花畑。どれも人物写真で、内一枚が有島洋が写った物。残りはダミーだ。
「あんたを襲った奴、この中にいないかな? いたら指差してくれ」
この中に襲撃犯がいるかどうか吉山に見せ、彼が有島洋の写真を選べば、証言の信憑性がアップする。ただし、同時に、吉山が有島を殺したという線も強まる。吉山が真実、襲われただけなら、有島の写真を選び、殺害に及んだのなら五人の中にはいないと応えるか、有島以外の誰かを生け贄とする――これが警察側の思惑だった。吉山が襲撃犯の顔を全く覚えていない可能性もあるため、即断は危険だが、参考にはなろう。
「暗かったからな。極端な話、男か女かさえ……」
自分の記憶力に参った様子の吉山。本心の表れなのか、芝居なのか。刑事らには分からない。
「身長はあんたと同じくらいって言ったから、そういうやつを五人ピックアップしたんだ。フードやマスク、サングラスで顔を隠してはいなかったとも言ったよな。ちょっとは印象に残るものだろ?」
「そう言われてもねえ」
決めかねているようだ。無理に決めさせるのもよくないが、このままでは進展が望めない。頃合を見計らって、下田は二人の方に近付いた。
「姿形の印象が薄くても、髪型は目に入ったんじゃありませんか」
吉山に言った。道標のつもりだ。このくらいであれば、誘導ではないだろう。
下田のヒントに、吉山は写真を改めて見つめた。端から一枚ずつ、一定の時間を掛けて凝視する。有島の顔は真ん中にある。オールバックの髪型は、特徴的と言えよう。
「この男……」
果たして、吉山の人差し指が、真ん中の写真を示した。
「こんな感じの頭だった気がする。ポマードとかの匂いはしなかったが」
「確かか?」
下田は立ったまま、有島の写真を吉山の前へ押しやった。
「男か女かも分からないと言っていたんじゃなかったか?」
「あのときは逃げるのに必死だったからさ。冷静になって考えてみたら、ぼわーっと、このオールバックが頭に浮かんだ。顔までは覚えていないが、髪型はこれに違いない。こいつが犯人だ」
「よし」
吉山の喋りをストップさせる。思い込みを強くさせてしまうと、あとで困った事態につながることもある。ほどほどで止めておく。
下田は花畑を手招きし、部屋の片隅で短い相談をした。声のボリュームは極力落とす。
「どう思う?」
「正直言って、自分にはさっぱり」
花畑は頭を掻いた。
「深読みすれば、全部が芝居のように思えてきてしまいますよ」
「そうだな。私も迷っている。写真の有島こそが被害者だという事実を切り出すかどうかだが」
吉山には殺人事件被害者の名前は告げてあるが、容貌までは知らせていない。
「それなら、反応を見る価値はあると睨んでます」
「そうか。では、そっちに任せるよ」
意思決定の後、花畑は机に戻り、下田は再び壁に寄りかかった。
花畑は椅子にどっかりと腰掛けると、また上半身を相手に乗り出す形になり、早くも札を開いた。
「実はね、吉山さん。あんたが指差した男、死んでるんだ」
「死んでる?」
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