第5話 反転する殺意 1

 下田と花畑の両刑事は、遺体のスーツの内ポケットから見つかった紙片に、意識を集中した。

「妙な具合になりそうだな」

 その紙片に記された文字を一瞥し、下田警部は嫌な予感に思わず唸った。

 紙片には、次のように印刷してあった。


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@交換殺人

 AはXに殺意 BはYに殺意

 AはYを殺害(Bにアリバイ)

 BはXを殺害(Aにアリバイ)


 AとBの間に、公的なつながりなし

 AはYを知らない BはXを知らない


 A:私 B:森谷裕子 X:倉塚暁美

 Y:吉山卓也

   ………………

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 吉山卓也よしやまたくやなる名前の下には、住所と勤め先、さらにおおよその行動予定らしき記述がある。花畑刑事はごつごつした手に短い鉛筆を握り、メモの内容を手帳に書き写した。

「あっ、吉山という男の自宅、この近くだ」

「そのようだ」

 相槌を打ち、うなずく下田。そして土手下の遺体を見やる。川から引き上げられ、横たえられた遺体には深い刺し傷が二つ、認められた。九時過ぎに入った通報によると、川の流れが赤くなるほどの出血があったらしいが、今、傷口を見てもそんな様子は窺えない。

「メモを読む限り、あの被害者――有島洋ありしまひろし森谷裕子もりたにひろこという女性と共犯関係を結び、交換殺人をしでかすつもりだった。が、吉山を襲った有島は失敗、逆に吉山に殺された……と見なせそうだ」

 有島洋の職業は某大学の助教授だと判明し、照会済みだ。殺人事件の被害者というだけでもスキャンダルだが、もしも交換殺人の計画が事実だとなれば、大騒ぎになるに違いない。

「早速、確認に出向きますか」

 腕捲くりをした花畑。殊更に張り切った訳ではなく、腕時計で時刻を確かめたかったようだ。

「十時四十分。あそこの丘まで、歩いても十分かかるかからないか。十一時前には着く」

「よし、行こう。あまり夜遅くなると嫌な顔をされるかもしれん。なるべく穏便に進めたい。我々の想像で当たっているとして、正当防衛が成立する可能性が高いことだしな」

 現場を他の捜査員に任せ、下田達は車に乗り込んだ。約三分後、高台にある一戸建に到着し、インターフォンで用件を告げる。殺人事件が近所で発生したので、少しお話を……といった程度の説明で済ませ、本心は隠す。

「分かりました」

 にこやかに笑いながら現れた吉山は、多少酒が入っているようだ。細身の男で、歳の頃は三十路に突入したばかりに見受けられる。切れ長の目と高身長による威圧感を、頬を赤らめた今の容貌が打ち消したようなところがあった。

「夜分にすみません。お一人ですか」

 警察手帳をちらと示し、下田は改めて挨拶から入った。

「ええ、独り暮らしです。パトカーやら救急車やらで騒がしいと思ったら、殺人事件ですか? 驚いたな。まさか、犯人がこちらに逃げてきたと?」

「いえ、そうと決まった訳ではありません。しかし、用心するに越したことはない。戸締まりを厳重に。それでですねえ、えっと、吉山さん? 怪しい人物を見掛けたり、不審な出来事が起きたりというようなことはありましたか」

「いやあ、全く。サイレンの音に、カーテンを開けてみたものの、ほんの短い間でしてね。特に何かを見たということはない」

「失礼ですが、ご自宅で何をなさってました?」

 花畑が丁寧な物腰で割って入った。その柔らかな表情は、普段の彼からは想像もできない。

「はあ。ま、一人寂しく晩酌をして、うつらうつらしてましたよ。ちょっと面白くないことが続いたもので」

「お仕事は何です?」

 吉山は証券業大手の企業名を挙げた。そこで営業とアドバイザーを兼務しているという。

「本日は当然、出社されたと。お帰りになったのは、何時頃でしたかな」

 下田に主導権が戻る。対する吉山は、早くも応対に疲れてきたのか、それとも警察相手という緊張感が薄れたのか、玄関戸の枠に寄り掛かり、ぞんざいな口調になった。

「七時過ぎでしたね。通常は九時を回って当たり前、十一時近くになることもしばしばなんだが、今夜はある客から個人的な相談を持ち掛けられ、七時半には家に着く必要があった」

 自分は多忙であるとアピールしたいのだろうか。吉山はぺらぺらと喋った。

「相談の相手の方は見えられましたか」

「いや。元々、電話で話す予定だった。だが、結局すっぽかされましてね。こちらからいくら掛けても出ないし、ふてくされて酒を飲んでましたよ。そういう訳で、何度も言いますがね、不審な人影や物音を見聞きしてはいません。心地よくまどろんでいたところを邪魔され、ようやく頭がすっきりし出した」

「……話の途中で失礼。それは?」

 下田は相手の額に小さな傷を見つけた。吉山が身体の位置を変えたため、彼に当たる光の角度も変わったようだ。長さ約二センチ半、深さは薄皮一枚分程度で、大した怪我ではないようだが、真新しい傷だ。

 指差された吉山は、左手を額の傷の辺りに持って行き、照れ笑いめいたものを顔に浮かべる。

「ちょっと、どじを踏みましてね。雑誌のページの縁で切ったんです」

「そうは見えませんな。それに」

 新たな発見に色めき立つのが、下田自身よく分かった。代わって花畑が尋ねる。今度は彼も声から柔和さを消した。

「左手の絆創膏、どうされたんで? 吉山さん、本当の説明をしてくれませんか。額の傷と合わせて」

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