人形
松本育枝
人形
心を込めて作ったものには魂が入るという。
だから今、私に向かって
「ねぇ、なんでアタシ裸なの」
と言った人はすでに人形ではないのだろう。元人形の声はガラスのようにか細かったが、有無を言わせぬ強さがあった。
「早く服も作ってよ」
私は慌てて一番高価なブランドのハンカチを取り出し、彼女のためにワンピースを縫い始めた。強い視線に手がふるえる。
ついさっきまで、彼女は私が作った人形だった。紙粘土で作る人形細工は、誰に見せるわけでもないが、私のストレス解消を兼ねた趣味である。私は太っていて不細工な自分が大嫌いだった。だから自分の理想の美を人形に込める。彼女はその中でも格別に美しく仕上がっていた。
少し手を止めてチラッと彼女を見ると、立ったまま腕組みしてこちらをジィッと見ている。見ているだけなのだろうが、私は慌てて作業に戻った。容姿端麗な存在にはいつもあっという間にマウントを取られる。女子高時代もそうだった。いや、取られると感じる私が弱いのだけれど。私は緊張しながら服を縫い続けた。そして三十分ほどでワンピースを縫い上げると彼女に着せ、腰のところをリボンで結んであげた。赤い花柄の部分を使ったので、彼女はさらに艶やかになった。私自身は黒やグレーしか着ないのだけれど。
「まぁ…よく似合う、素敵だわ」
私はうっとりとして言った。
「わるくないわね」
彼女はくるんと回って女王様のように言った。女王は軽々しくありがとうなどと言わない。
「アタシ、おなかすいちゃった。なにかないの」
私はまた慌ててクッキーの缶を開けて小さく割って小皿に入れると、彼女に差し出した。彼女は小さな手でクッキーを持って優雅に口に入れた。私はその様子に見惚れた。生まれながらに人をかしづかせるタイプがいるものだが、彼女はまさにそれだった。
それからも彼女は自分のリクエストを次々と繰り出し、私は下僕のように彼女の言うことに従った。従わずにはいられないのである。彼女の命令に従う時、私は大嫌いな自分を忘れることができた。美しいものを崇拝し、その欲望を満たす快感に溺れていた。
だがそんなある日、私は自分の姿を鏡で見て違和感を覚えた。痩せているのだ。顔も小さくなっている気がした。私はハッとして、ソファでくつろぐ彼女に目をやった。
わずかだが太っている。顔がむくみ、背も縮んでいるように見える。
私の胸に、美が損なわれた落胆と同時に、抑えようのない期待感が湧き上がってきた。もしかして『私の方が』美しくなってきているのではないか…。
彼女はどんどん太り、次第にわがままを言わなくなってきた。だるそうに座ってクッキーなどモソモソと食べている。逆に私は彼女が太って醜くなるにつれて、痩せて引き締まり目鼻立ちがはっきりしてきた。美しかった人形にどんどん近づいている。
私は次第に、太って醜くなった彼女に嫌悪感をおぼえるようになった。かつての私自身のようで嫌で嫌でたまらないのだ。私はもう下僕ではなかった。
ある日、だらしない姿勢でソファに座る彼女に向かって、私は苛立ちをそのまま言葉にした。
「ねぇ、もう人形に戻ったらどう」
それを聞いた彼女はどんよりとゆがんだ顔を上げた。昔の私そっくりの醜い顔。卑屈な上目遣いの視線。私は軽蔑しきった目でにらみつけた。
だが、薄く開いた唇が斜めにめくれ、彼女は薄笑いしながらゆっくりとつぶやいた。
「い、や、よ」
私はゾッとした。同時に強烈な怒りが湧き上がり、咄嗟に手近にあった本をつかんで彼女の頭上に振りかざすと、思い切り強く叩きつけた。
「おまえなんか消えてしまえ!」
ぐしゃりとつぶれる感触が手に伝わり、同時に目の前が真っ暗になった。
今、鏡にはきれいなアタシが映っている。
ようやくアタシはホンモノになれた。アタシを作ってくれた人には悪いけど、自分のことを嫌いな人は生きてたって仕方ない。人形で十分だ。
アタシはソファの上のひしゃげた醜い人形を手で払いのけると、赤い花柄のワンピースを手に取り、鏡の前でくるんと回った。
人形 松本育枝 @ikue108
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます