第25話 その日


「暑っつぅいよ!」


 夏服の裾を必死にぱたぱたさせると、服の中に溜まった熱気が首元から一気に逃げていく。

 日陰になる場所に座ってるってのに、お昼時の屋上はやはり暑い。夏だから当然と言えば当然だけど、こんなに暑いとダルくて勉強する気になんてなれない。集中を欠いた状態じゃあ勉強もはかどらないし、つくづく夏休みはもっと長くした方がいいと思う。

 時折吹くむわっとする熱気が体を撫でてはどこかへ気ままに去っていく。

 これでも教室の中よりは幾分かマシなんだから嫌になる。


「もう、うるさいし、だらしない」

「まあまあいいじゃん。誰も見てないし」

「もうちょっとちゃんとしてよ」

「もう。つぐってお母さんみたい」


 隣に座るつぐが、呆れた顔で私を見てくる。亜麻色の長髪を垂らす小柄な少女の膝の上には、私のより一回り大きい開かれた弁当箱。つぐは小柄なのによく食べる。本人曰く、ネロアやみんなにおすそ分けするためらしいけど、どう考えてもつぐが一番食べてると思う。けどそれを指摘して機嫌を損ねさせても面倒そうなのであくまで黙っている。そんな大人の対応を昼休みのたびに私はしている。こう見えても意外と気を使う方なのだ。いや、面倒ごとが嫌いなだけか。

 私は膝の上の弁当箱からしそふりかけのかかったご飯を箸でつまむと、落とさないように気をつけながら口へ運んだ。


「で、律火は最近調子どうなの?」

「んー? いたって普通だよ。おかげさまでね」


 降魔から奪った魔力は消失しにくいということに気づいてからは毎日戦う必要もなくなった。魔法使いの魔力だとすぐに消費しちゃうってのに。不思議だ。

 とはいえ、それでも週に一回くらいは黄昏の世界へ行く。


「でもなんで降魔から奪った魔力だと長持ちするんだろうね。魔法使いの魔力だとすぐなくなっちゃうのに」

「さあー? 私には降魔の魔力のほうがなじむのかな? なんか私って少し人と違ったところとかあるからサ」

「なにその中二発言」

「もしかして降魔をたくさん倒すようなプログラムが働いてるんじゃないかしら? 桃璃さんは降魔を狩るものなのよ、きっと!」


 気持ち言葉に力の入った聖さんは、箸を持っていないほうの手でぐっと拳を握り込む。拍子に肩にかかるくらいのショートの黒髪が揺れる。

 聖さんは卵焼きを箸の先で一口サイズに器用に切ると、物欲しそうにしているネロアの口元へ差し出す。


「うーん……でもそれだと魔法使いはみんなそうなる気がするけど……。だって降魔と戦うのが魔法使いでしょ?」


 そう私は言った。

 まあネロア曰く、降魔と戦うのは強制ではないらしいけど。


「まあ……なにはともあれ……毎日戦わずに済んで……よかったじゃないか。僕も……血眼になって時空の裂け目を……探す必要もなくなったし」


 卵焼きをもぐもぐしながら、途切れ途切れにしゃべるネロア。

 味に満足しているのか先端だけが黒いしっぽが満足そうにうねうねする。

 むしゃむしゃしながらおしゃべりするなんて。なんて行儀の悪い白猫だろう。ちょっと注意してやるか。


「ちょっとネロア? 喋るか食べるかどっちかにしてよ。お行儀悪いでしょう?」

「だらしのない律火に言われたらお終いだよ」

「まあそれもそうね」


 もっともな反論に秒で納得する。

 降魔との闘いは綱渡りの連続だけど、つぐたちの協力もあって私はなんとか命をつないでいた。最近は戦いにも慣れてきて安定した生活を送っている。戦ってなきゃ魔力が底を尽きて死ぬってのに安定と言うのもおかしいけど。まあ、なんだかんだ楽しくやっていた。こんな生活が私は案外嫌じゃなかった。それにしても……。


「暑っつい! ねえつぐ、なにか気が紛れるような話してよ」

「なんで私に振るかな。というか、なにその雑な振り方。もうちょっと気を効かせてよ」

「じゃあ野球の話しよ。好きな球団教えて」

「なに急に……。宗教と政治と野球の話はタブーってよく言うでしょ。荒れるから」

「そうなの?」

「そうだよ」

「じゃあ潰れてほしい政党と嫌いな球団と最もカルトだと思う宗教団体教えて」

「戦争でも始める気?」

「あ、でも最もカルトな教団って難しいか。候補が軽く20以上は上がりそうだし」

「そうねえ……。そういえば昔、体にアルミホイル撒いて宇宙からの電波を受信しようって宗教が流行ったことがあったわね」

「乗らないで聖ちゃん!」


 たわいのない会話をしながらお弁当箱の中身をつついていると、時間はあっという間に過ぎていく。いつも思うけど、授業の50分より昼休みの50分のほうが明らかに短い。きっとお昼休みの時空はねじれている。

 ポケットから取り出したスマホが、残り僅かなお昼休みの余命を無機質に、そして残酷に告げる。ああ……。


「もうこんな時間か」


 空っぽになった弁当箱を閉じた私は頬杖をついてつぶやいた。

 コンクリートの床で背中をそらせて体を伸ばすネロアの、背中に黒く描かれた独特な文様がよく見える。体の大きさの割によく食べた白猫は、大きな三角の耳を機嫌よさそうにピクピク震わせると、


「さて、お腹もいっぱいになったし僕はそろそろ行くよ。みんなは午後の授業頑張ってね」

「いいなあネロアは。勉強しなくていいから」

「まあ僕には受験も何にもないからね。熱中症には気をつけてね。教室はずいぶん暑いんだろう?」

「あれだけ暑いと寝苦しいんだよなぁ」

「なんで寝る前提なの……。というかもう眠れないんじゃない? どうせ午前中ずっと寝てたんでしょ?」

「朝は寝てたけど二限の途中くらいで目が覚めちゃった。この時期の窓際で熟睡って無理じゃない? 徹夜明けでもない限り」

「ふふ。今の季節は午後のほうが暑いからお昼寝は難しそうね」

「ああぁぁ……。眠いのに寝付けないとか体に悪いよ。お昼の後が一番眠いのに」


 ネロアの体が宙へ浮かび、フェンスを越えて飛んでいく。


「さーてと。僕はそろそろお暇するよ。じゃあね、みんな。ごちそうさま」

「見つからないで帰ってよ? ネロアはただでさえ真っ白で目立つんだから。学校の中で見つかったりなんかしたら大騒ぎよ」

「大丈夫だよ。身を隠すのは得意なんだ」


 ネロアが去った後も、照りつける太陽はなおも容赦なく屋上の床をジリジリと焼き続けた。


「帰りましょうか。もうじきお昼休みも終わるしね」

「ダルぅ……。歩きたくなーい」

「もう律火ってば、しっかりしてよ。六限は体育だよ」

「げぇ! 最悪……」


 暑さを跳ね返すようなセミの鳴き声が、大音量で校舎に響き渡る。

 夏休みが迫っていた。



 さて、午後の授業が始まった。

 七月も半ばとなると、クーラーのない教室の中はうだるように暑い。私の座る窓際は特に。とても眠れたもんじゃないので、私は最後列に座りながら、同じく窓際の最前列に座るつぐの様子を暇つぶしに観察する。つぐは黒板に書かれた文字列をマメにノートに書き写してるようだ。しかもよく見ると、先生の発言の後にも時々メモを取る仕草を見せる。黒板に書かれていないことまでノートに記しておくとか優等生は違うな。よくやる。

 そんなまじめなつぐに対して、夏服の胸元をパタパタさせて服の中に溜まった熱を少しでも逃がすべく努力する私。それにしても暑いな……。空にはほとんど雲がなく、直射日光が教室内を照らしつける。暑い……。眠いのに眠れないことほどつらいものはない。なんの修業だ、これは。


 それにしても時間の流れが遅い。学校の授業ってなんでこうつまらないんだろう。わざとつまらなくしてるのかと思うほどに、退屈な授業内容。こんな時間を過ごすくらいなら、面白みのある授業ができる人の動画をスマホで見てるほうがよっぽど頭に入ると割と本気で思う。教室は時空がねじれてると思う。


 やることもないのでぼうっとしていたら、急に教室の中が騒がしくなった。

 生徒の何人かが外を見て何かを騒いでいる。

 私は、なぜか突然眠気が完全に引いた。

 どこかの教室から悲鳴が上がった。

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