光堕ち大魔王伝-大昔、人間には負けましたが、最近やって来たらしい異世界の連中には負けてないので戦います。それはそうと勇者は凄いぞ。カッコいいぞ-

福朗

暗黒の軍勢復活

 ああそうさ、人は弱い。誰もが知っている事だよ。


 それは人だけが知っている事じゃない。

 獣も知っている。人は餌なのだから。

 吸血鬼も知っている。人は餌なのだから。

 虫も知っている。人は餌なのだから。

 魚人も悪霊も悪魔も巨人もドラゴンも、機械ですら知っている。勿論悪神達も……。


 人は弱く、餌なのだとね。


 かつてはそうじゃなかった。剣と魔法を携えた人は世界の覇者となり、種として我が世の春を謳歌していた。勿論脅威も程々にいたけど、それは外敵ではなく単なる害獣と言ったレベルの話で、神話の世界で語られるような怪物達は、おとぎ話の勇者が全て打倒していた。ゴブリンやオークと言った低位の存在も同じで、それらは最早この世に存在しない筈だったんだ。


 そして。


 王達が偉大なる者として名を遺した。

 騎士達は忠義と名誉のために戦った。

 魔法使い達は世界の秘密を解き明かすために、世の理に挑んだ。

 冒険者達は未開と未知を切り開いた。


 農夫達は金色に実った稲穂を刈り取った。

 商人達は笑顔で金を稼いだ。

 狩人達は獲物を見つけられるかで一喜一憂した。

 漁師達は魚の群れを見つけるのに勤しんだ。


 老いたる者は次に託した。

 親は子供が生まれたことに喜んだ。

 若きは恋と愛を育んだ。

 幼きは愛の下で育った。


 全ては過去の出来事だよ。黄金の日は崩れ落ちた。


【狭間の変】、もしくは【狭間崩れ】と呼ばれた現象が全てを変えてしまった。


 狭間が、次元の壁が混ざってしまったんだ。それによって人が元居た次元、吸血鬼が居た次元、獣人達が居た次元、ドラゴン達が居た次元、巨人達が居た次元、様々な次元が混ざり合い、世界は途方もなく巨大な一つの大地となり果ててしまった。


 その後、人間と言う弱小種族がどうなるかは分かり切っていた。混ざった世界で最も身体能力に劣った人間は、別次元の存在達に攻められ、その生存圏は縮小し続けていったんだ。


 老いたる者は置き去りにされた。

 夫婦は切り裂かれた。

 若きは未来を失った。

 幼きは育たなかった。


 それでも天才と呼ばれた者達が、なんとか人の土地を守る結界を作り出したけど、それも遠からず破られるだろう。


 人はもう……滅ぶしかないのさ。


 ◆


 いいや! 否! 否否否! あの善神共がそれを許容しようと、この俺は絶対に許容しない! 人が真に滅ぶのなら、それは人の手によるものだ!


 それをのこのこやって来た連中が! そして俺のことすら知らないガキの悪神共が人を摘み取るだと!?


 否だ! 断じて否!


 俺がそれを許しはしない! 絶対にだ! 絶対に!


 ◆


 ◆


 ◆


「お兄ちゃん……」


「大丈夫だよリアン。お父さんもお母さんもきっと無事だ」


 森の中で幼い兄弟が震えていた。


 人は洛陽の最中にいた。【狭間の変】が起こって以降、襲撃してきた異種族に対抗できなかった人は、それでもなんとか生存圏全体に結界を張ることで耐え忍んでいた。金の髪と青い瞳を持つ、10歳ほどのルーカスとリアンの兄弟も、そんな時代の農村に生まれた男の子だ。


 そんな時代で貧しいながらも、なんとか家族と暮らしていた兄弟に悲劇が訪れた。人間が展開した結界なら、問答無用で消滅させることが出来る技術を異種族が手にしたことによって再び侵略が始まり、結界の最外延部で暮らしていた兄弟の家族や人間達は、大混乱に陥ってしまったのだ。


 そして混乱で父母を見失った兄弟は森に逃げ込んだのだが、この森もまた兄弟達が震えている原因だ。おとぎ話によると、この森は遥か太古は山で、ある邪悪が大暴れしたことによって更地になり、神が降臨してその邪悪を封印した地として伝わっていた。そのため子供が悪いことをすると、その邪悪が復活して子供を食べにくると教育に利用されており、ルーカスとリアンも出来ればこの森に逃げ込みたくなかった。


「こ、これ結界だ……本当にあったんだ……」


「ううう……」


 しかも兄弟にとって悪いことに、森の中で安全な場所を探していると、白く輝く結界現れ彼らを阻み、その先に邪悪な何かがいると確信を深めさせた。


「おんやあ? 強い反応を調査しにやってきたら、こりゃまた随分気合の入った結界だな」


「それの外にいるってことは、見捨てられて可哀想に」


「だ、誰!?」


 突然後ろから話しかけられた兄弟が、弾かれた様に後ろを振り向く。


「じ、人狼!?」


 兄弟が目にしたのは人間の敵対種族の一つ、獣がそのまま人型になった獣人の中で、特に戦闘力が秀でている人狼達だ。


 体格から筋力まで、なにからなにまで人間の数倍以上。重装鎧を着た騎士を、それごと簡単に切り裂く爪と牙、剣を寄せ付けない毛皮、人の四肢を簡単に引き千切る膂力、馬すら置き去りにする脚力。単なる人間の戦士では、10人いようと倒せない怪物が10人以上もいた。


 そして、その狼の面でもはっきり分かる嘲りの表情であり、結界の外に置き去りにされたらしいルーカスとリアンで、どうやって遊ぼうかと考える嗜虐性も持ち合わせていた。


「それじゃあ俺達が、結界を壊して中に入れてやるよ。なあ?」


「おう、そうだな」


「なあに。確かに強力な結界だけど、これを使えば人間が作り出した結界を消せるんだぜ」


 そう言いながら人狼の1人が取り出したのは、掌に納まる程の石板だ。これは悪魔達が悪神と交信して作り出した、人間が関与した結界を無理矢理消去することが可能なアイテムで、再び人間達が攻められることになった要因である。


「だ、だめ!」


「おうおう仲間思いだなあ」


 ルーカスの叫びと、人狼達の考えは全く違うものだった。


 人狼達がそれに気が付くのは無理だ。結界が人間を守っているのではなく、世界を守っているのだと誰が思う。いや、例え知ったとしても変わりはなかっただろう。人間の世界の存在が、自分達を害することなど出来ないと、本気で思っているのだから。


「解除っと」


 石板が黒く輝くと、白く輝いていた結界は完全に消え去った。


 そして。


 世界に溢れる悪意が、嘆きが、死が、阻んでいた結界が崩れ去った事で流れ込んだ。流れ込んでしまった。


 絶対にそうならないように、森の中央を隔離していたのに。そうしないと、どうしようもなかったのに。


 何度も何度も何度も復活するのに。


 その森の中央で倒れ伏していたズタボロの人型がピクリと動いた。頭は割られ、両目は潰れ、全身は焼けただれて噛み傷だらけな上、矢が幾つも突き刺さっている。そして右手は炭化し、左手は切り落とされ、右足は大きな穴が開き、左足は潰れていた。動けるはずがない。生きている筈がないのだ。それなのに確かに両の手足も、体も、頭も動いた。


 それどころか、かろうじて人間だと分かる存在は土を握りしめると、ゆっくりと立ち上がった。


 こうなるから結界を張っていたのに、それも全て無駄になった。


 世界が、理が、律が軋んだ。


 それは、人狼達の纏う死と怨念に惹かれて森の中を疾駆する。起き上がり走り出す。たったそれだけの動作の間に、体の全ての傷が塞がっていた。


 それは、黒い男だった。この世界では珍しい黒い瞳と黒い髪。そして燃え尽きていたのに元通りになった服さえ黒かった。


 それは、青年だった。中肉中背。少々目つきが鋭いことと、黒い瞳と髪以外に特徴はない。人間の街に行けばよく見かける程度の顔立ちだ。


「さあ、結界も壊れたことだし、俺達と一緒に、お前さん達を見捨てた奴らに会いに行こうか」


「そうそう。怖くない怖くない」


「ちょっと聞きたいことがあるんだが……人獣融合の人狼形態? いや、ビーストマスターではない……そもそもお前達、この世界の出身か?」


「あん? なんだ人間」


 人狼達が、未だにルーカスとリアンが結界に入れなかった馬鹿と思い込んで嗤っているところに、その黒い男が辿り着いた。


「こっちの子供は間違いなく人間だ。お前達は人間でもないな?」


「あっはっはっは! 俺達高貴な月狼族が人間なんて馬鹿種族に見えるのかよ!」


「馬鹿? 今、人間を馬鹿と言ったか?」


 男が再び人狼に問うたが、人狼達はどうして自分達が弱小種族の人間に見えるのかと大笑いする。確かに人間よりは倍近い体格の二足歩行の狼と、人間を間違える者がいたら愚か者だろう。しかしその愚か者は、人狼達の答えが気に入らなかったようで渋面になる。


「リアンこっち!」


「うん!」


 ルーカスは纏う雰囲気が重くなった男と、未だに玩具と遊んでいるつもりの人狼達を気にせず、弟の手を引っ張り逃げ出そうとした。


 しかし、ほんの少しだが遅かった。


「一度だけ警告する! お前達は我が領地を侵している! 直ちに引き返せ!」


「あー人間って耳の出来が悪いから大声出すんだったよな。やっぱ下等種族だわ」

「手足を潰したらもっと大声出すぜ」

「お、そりゃいいこと聞いた」

「試してみようぜ」

「本当は子供の前で親を潰したらいいんだけど」

「あ、それは前にやったことあるな」

「じゃあこの子供でまたやってみようぜ」


 ぶっちん。


 人狼達に不幸があるとすれば、黒い男の耳がよく彼らの会話が聞こえていたことと、少々短気でそれほど思慮深い質でなかったことだ。それこそかつて、とんでもないことをしでかす程度には。


「なら死ね」


「え?」


 人間の何十倍も感覚が鋭い人狼達だが、気付いた時には黒い男が右の拳を突き出し、先頭にいた人狼の頭を跡形もなく消し飛ばした。


「……これで? これで人狼だと!? この程度でか! あのビーストテイマーの至った人獣融合の人狼形態なら、仰け反りもせず俺の拳に食いついていたぞ!」


 それをやってのけた黒い男は、寧ろ人狼達に心底失望して、かつて相まみえた強敵を思い出しながら天に浮かぶ満月に吠えた。人の身で友たる狼と心技体を通わせて人狼となり、男の拳を受けてなお、その鋭い牙を突き立てた美しき魔狼を思いながら。


「な、なんだ!?」

「人間如きが!?」

「やれ! やれえ!」


 一瞬怯んだ人狼達だが、頭が消し飛んだ同胞が倒れるより早く、男を囲んでその鋭い爪を突き立てた。これで終わりだ。人間の作った重厚な鎧すら紙のように切り裂く爪を受けて、生身の男が生きている筈がない。


「この犬っころ共があ! なぜあのモンクのように命を込めない!」


「ぐべっ!?」

「ぎょ!?」


 だが、数多の人を切り裂いてきたはずの爪は男の皮膚と服に当たった瞬間砕け散り、それどころか男が雑に振るった両手に巻き込まれた人狼は、まるで爆発したかの様に消し飛んだ。


「ひい!?」


「ひい!? ひいだと!? まさか殺し合いの今この時に悲鳴を上げたのか!? 暗黒騎士は俺に腕をもがれても、悲鳴を上げるどころか呪詛を打ち込んできたぞ!」


「ぎょぼ!?」


 消滅した同胞の塵を被った人狼が悲鳴を上げた。あまりにも当然なのに、男はなにが気に食わないのか更なる激昂を見せ、悲鳴を上げた人狼の首を掴むと、そのまま握りつぶして引きちぎった。


「己の生を求めるなら抗い勝ち取って見せろ! かつてのあいつ等のように!」


「ぎゃ!?」


 男が吠える。再び音すら置き去りにするかのような拳が振るわれ、人狼が血煙となって消失する。


「おいおい。好き勝手してくれるじゃねえか」


「ワ・グさん!?」

「ワ・グさんが来てくれたぞ!」


 ここで人狼達の後方から、一際体格のいい灰色の人狼が顎をさすりながらやって来た。


 その名をワ・グ。


 獣人の中にあって一際戦闘力の高い人狼族だが、その中でもワ・グは別格だった。彼らの次元で信仰されていた月の狼神ガガグの子とまで称され、【狭間の変】では人間が結界を編み出すまで、名高い100の騎士を貪り、1000の兵を惨殺した。


 そして人間以外の他種族との小競り合いにも顔を出し、その全てに勝利したことによって、強者の名を確固たるものにした。実際、他種を徹底的に見下している吸血鬼達すら、ワ・グを自分の眷属に出来ないものかと考える者が多く、恐るべき力を持った悪魔も興味を持っていた。


 装備もまた強力だ。狼神ガガグが与えたとされる銀色の毛皮鎧は、装備した者に無限の体力を与え、決して破れることは無いとされていた。


 ワ・グこそが、獣人達の中で戦場に出ることを許されないほど希少で例外的な超越者を除き、最も優れた戦士の1人と言っていいだろう。


 そんな戦士が来たのだから、人狼達が安心するのは無理もない。


「ワ・グさんやっちまってくれ!」


 人狼達は安心して、上半身と下半身が分かれたワ・グの血しぶきを浴びながら声援を送った。


「ワンとでも鳴いてろ駄犬があ!」


「ぎゅぷぶ」


「え?」


 いくら人狼達が呆然としようとも、既に事は終わりワ・グはこと切れている。そして殴られただけで断たれた体が地面にどさりと倒れると、牙の隙間から空気を漏らした。彼を守る筈だった鎧も何の意味も無く裂かれ、鍛え抜かれた体も千切れ、戦士としての経験などなんの意味もなかった。


 力だ。力が無いから無力なのだ。暴力の前には全てが等しく無価値なのだ。


「あれからどれほど時が経ったか知らんが見ているか! まだ生きているかビーストマスター! こんな駄犬じゃなく、再びお前の牙と爪を見たい! 俺の体を切り裂いた爪を! 喉元に食いついた牙を!」


「逃げろ!」

「ひいいい!?」


 訳の分からないことを天に向かって叫ぶ男を放っておいて、撤退を決断した人狼達は正しいだろう。自分達を羽虫のように扱う超越者から逃げ出すのは何ら間違った事ではない。その当たり前の判断が、男を更に刺激するとは夢にも思っていなかったが。


「に、逃げる? 民でもない戦士が? 戦いの場から?」


 背を向けた人狼達に、男が信じられないことが起こったように呆然とした。


「あ、あ、あいつ等は! あいつ等はついに一度たりとも引かなかったというのに! あの!」


 呆然から一転。男は凄まじい速度で去っていく人狼達を放っておいて、俯き両手を握りしめわなわなと震え始める。


「あの勇者達は!」


 一瞬。最後尾の人狼は一瞬で追いついた男の右手に頭を掴まれ、そのまま握り潰された。


 次の人狼は男が横に振るった左手で体を両断された。


 その次の人狼は、背後から男の手刀を突きたてられたが、やはり貫通するどころか、胸にぼっかりと巨大な空洞が出来上がって絶命した。


 次も次も次もそのまた次も。人の槍などなんの痛痒も感じない筈の人狼達が、単なる腕力で肉片にされる。


「ぴ!?」


 そして最後の人狼は、ある意味逃げることに成功した。これまた背中から殴られた結果、僅かな肉片のみ残して消滅したが、少なくともこれでこの世にいる男から逃げることが出来たからだ。尤も、それはこの地にやって来た人狼全員に言える事だったが。


「ふんっ」


 人間の戦士が10人以上で相対しなければならない筈の人狼達。それがあっけなく単なる暴力で粉砕された。


 飛び散った肉片と、ぶちまけられた血液の中で鼻を鳴らした男。


 まさしく力の化身であった。


「ぼ、僕が相手だ!」


「おにいちゃん!」


 しかめっ面の黒い男が、呆然としていたルーカスとリアンの元に戻ると、弟を守らなければならないと我に返ったルーカスが木の枝を握りしめ、弟のリアンは兄を案じて声を出す。


(リアンは僕が守るんだ!)


 ルーカスとて、人狼達を惨殺した、正体不明の怪物に太刀打ちできないことは分かっている。しかし彼は兄であり、弟を守る義務があるんだと戦う意思を示した。


「ああ、そうとも。それでこそだ」


 そんな愚かとしか言いようがないルーカスの姿に、男は寧ろ心底満足したように微笑んで頷いた。


「よっこらしょ。さて……実を言うとあんまりお前さん達、人間と話す資格が俺には無いんだが、全く今の状況が分からなくてな。本当に何でもいいから、あの人狼達やお前さん達のことを教えてくれないか? 代わりにそっちが困ってることを色々手伝うからさ」


「そ、それならお父さんとお母さんを、皆を助けてください!」


「お、おねがいします!」


「はっはっはっ。先払いを求めるとは気に入った。それでその皆はどこだ?」


 年寄臭く声を出しながら地面に座り込んで目線を合わせた男の、困ってることを手伝うという言葉に、ルーカスとリアンは深く考えず藁にも縋る思いで飛びついた。


「わ、分かりません! 森の外で人狼達が大勢攻めてきて!」


 実のところ、男は対軍勢を苦手としていた。相手取れること自体が異常だが、それは軍の全てが男に向かって来てくれたらの話だ。無視されて通り抜けられると、広範囲を纏めて薙ぎ払う攻撃手段に乏しい男では、取りこぼす可能性が高かった。


 だからそれが出来るモノを呼び出した。


 冥府から。


「蘇れ!」


 男が叫ぶと、森の外縁、かつて沼だった場所が盛り上がった。


 地面から水が湧き出て泥となり、ツタが、木が、藻がのたうって泥に絡み、ある生物を形作っていく。


 植物と泥が絡まって絡まって、地面が盛り上がって盛り上げって、ただ盛り上がっていく。


 巨大に巨大に巨大に。


 城ほどに。


「え?」


 それは、木々の隙間からでもはっきり分かったルーカスとリアンのぽつりと漏らした声であり、森の外で逃げまどっていた人間達の声であり、人の無様さを眺めながら、そろそろ狩りをしようと思っていた人狼達の声だった。


『オ・オオ・オオオオオオオオオオオオオオオoooooおおおおおおおお!』


 それが天に、月に向かって吠えた。

 木々も、大地も、人も、人狼達も、世界も震えた。


 体毛は生い茂る藻と葉が波打つ緑。骨は木々を捩じって寄せ集め、それを泥の肉が包み込む。


 巨大な塔と見間違う四肢が星を揺らす。

 赤く灯った瞳が森の外にいた1000人ほどの人狼を睨む。

 鋭い乱杭歯で出来上がった牙の隙間から憤怒の唸りが漏れる。


「フェンリル! 叩き潰せ!」


『オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』


 それは、主である男の命が無くともそのまま動き出していただろう。


 醜い人狼達に思い出を汚されたと思っていた。


 沼に潜みし者フェンリルと名付けられた泥と木々の化身たる狼が思い出すのは、かつて自分が絶命した満月の決戦だ。


 ‐たった10人の人間に、圧倒的巨躯と大地に足を付けている限り無限の再生力を持つ己が敗北した。なによりビーストマスター。最も脆弱であり、真っ先に脱落する筈だった奴は土壇場で覚醒して、使役する獣達と心を通わせて融合したのだ。ああ美しき銀の魔狼よ。幾ら巨躯と力があろうと、無限の再生力を持とうと、速さの前には全てが無意味だと証明して、我が核を噛み砕いた銀の矢よ。それに比べてなんだあの人狼共は。目が汚い。濁っている。臭気がする。なぜ同じ人狼の姿でこうも違う。偽物だ。紛い物は消さねばらない。死ね‐


 人は予想外の事に出くわすと固まるが、それは人狼達も同じだったらしい。フェンリルが、まるで犬が“お手”をするかのように、人狼達のど真ん中に右足を叩きつけるまで誰も動けなかったのだから。


「がば」

「びゅ」

「ぎゃああああ!?」

「ひいい!?」


 だが結果は“お手”などと可愛らしく表現出来ない。圧倒的質量の巨躯が叩きつけた破壊は、それだけで人狼達の半分を地面の染みにして、残りの人狼達は飛び散る地面の弾丸に体を削られていく。


「ひいいいいい!? え? ぎゃ」


 足が消し飛び必死に逃げようとする人狼が、上を見て呆然とした。これは単なる“お手”なのだから、次なんて簡単にできる。そして再び振り下ろされたフェンリルの足に残りの人狼が消え去り、また振り下ろされ、消え去り、ついには全ての人狼が地面にすり潰された。


 呆気なさすぎる。1000を超える人狼など、人間では完全に手に負えない軍勢なのに、業や権能を使われたのでもなく、単なる“大きさ”に蹂躙されたのだ。


「我が滅びの塔よ!」


 男はフェンリルが念入りに、巨大な足をぐりぐりと地面に擦って、人狼達をすり潰しているのを気にせず、この地に眠る自分の住処に呼びかけた。


「うわ!?」


 ルーカスとリアンが驚いて地面を見た。

 途端に地響きが発生し、男が封印されていた森の中心から、漆黒の巨大な塔が天に延びる。


 その塔の中は荒れ果てていた。壁は武器と魔法によって傷だらけで、あちこちに剣が刺さり、装飾品や家具も燃え尽きて、まさに廃墟と言うに相応しい。


 道化の仮面が割れている。絵が裂かれている。楽器が砕けている。本が破れている。馬具が壊れている。船が転覆している。花が枯れている。水が枯れている。鎧も、剣も、盾も壊れている。


 そして


 体を纏う筈の薄い衣服が破れていた。


 天蓋が付いたベッドが壊れていた。


 竈が壊れていた。


「蘇れ我が! ……まあ、あれだ。そう、とにかく蘇れ!」


 男が気恥ずかし気に叫ぶと全てが元通りになった。


「ぼははははは! 皆様またお会いしましたな!!」


 極彩色の派手な道化服に身を包んだ男が、床に落ちていた道化の仮面を拾い、再び顔に被った


「あの馬鹿、なに言いかけた?」


 女が筆を取ると、再び怪物が描かれた。


「キキキキキ。まさか、蘇れ我が家族とか?」


 燕尾服を身に纏った男が笑いながら直った楽器を手に取り、再び音色を奏でた。


「それより今何年じゃ? ひょっとして新しい本棚がかなり必要か?」


 男が本棚に置かれていた本を手に取り、再び開いた。


「友よ」


 ぼんやりとした幽鬼が愛馬との再会を喜び、再び跨った。


「おーい。誰か油差してくれ」


 船が直り蒸気を吹き出す機械が、再び起動した。


「あいも変わらず騒がしい若造共だねえ」


 枯れていた庭園に、再び花が咲き誇った。


「けっけっけ。若作りの婆がなんか言うとるわい」


 絶えていた水が、再び湧き上がった。


「お父様、変わられた?」

「変わったと言うか、ちょっと馬鹿になってるかも」

「元々じゃない?」

「確かに」

「じゃあ大馬鹿」

「あははは!」

「お父様言うなってまた怒られるわよ」

「およよよ。認知してくれないなんて」

「とは言っても本当に血縁ないんだけどね!」

「義理も果たしたし婚活しないと」

「ちょっと男の理想が高くなってる自覚あるんだけど」

「分かる分かる」


 武装していた凛々しい女性達が、再び華やいだ女に戻る。


 なにより


「あの馬鹿亭主、そこは蘇れ我が妻と言うところだろうが」


 金の髪と白い肌を持つ妖艶な女の体に、再び薄い布が巻き付いた。


「確かにそうですね」


 長い黒の髪を目に巻き付けて隠している女が、再びベッドから起き上がった。


「そんな気が利いた奴じゃないってことは分かってるだろ」


 燃えるように赤い短髪と褐色の肌を持つ女が、再び竈に火を入れた。


 この森に結界を張った者達が、なによりも恐れていた事態が起こってしまった。


 世界の終わりが。


「あ……」


「さて、本当に何でもいいんだ。教えてくれ」


 その黒き塔で蠢く存在を感じ取ったのか、呆然としているルーカスとリアンに問いかけた。


 伝説に曰く、終焉の地に黒き塔あり。蠢く暗黒の先兵。蝕む魔人達。その首魁たる者が世界を滅ぼさんとしたとき時、10の星が世界を光で満たしたという。


 そしてその首魁にして暗黒こそが。


「だ、だ、大魔王……」


 この地に伝わる伝説を確信したルーカスが呆然と呟いた。


「そうとも。俺こそが大魔王だ」


 この森に結界を張った者達が、なによりも、なによりもなによりも恐れていた事態が起こってしまった。


 大魔王の復活がしてしまったのだ。


「大魔王陛下万歳!」「大魔王陛下万歳!」「大魔王陛下万歳!」


 そして塔より大魔王を称えながら、続々と現れる異形の軍勢。その全てが漆黒。


 外見はおんぼろでも、その実恐ろしい切れ味の短剣を持った小鬼のゴブリン。

 二足歩行の巨大な豚に見えて、その脂肪はありとあらゆる耐性を秘めたオーク。

 全身から筋肉の熱量と威圧感を発する一本角のオーガ。

 骨の隙間から黒い瘴気を漂わせ、何度砕けようと再び立ち上がる不死のスケルトン。

 闇の氷を身に纏い、地面を凍らせる氷獄のデーモン。

 暗黒をこね回して出来上がったかのようなジャイアント。

 煉獄の黒炎で鱗を燃やしながら飛び立つドラゴン。


 その恐るべき存在達が、黒一色の旗を掲げて行軍する。


 これこそが、かつて醜き人を絶やさんとして勇者とその一行に敗れた、暗黒の軍勢に他ならなかった。


 今、全てが滅ぼうとしていた。


「いや待て! なぜこうも世界に人の死と悲嘆が渦巻いている!」


「え?」


「勇者! 聖女! 魔女! ビーストマスター! 剣聖! モンク! 暗黒騎士! 狩人! シャーマン! 竜騎士! お前達が生きているならこんな事になるはずがない! 死んでしまったのか!」


 男から溢れ出した。


「ならば!」


 闇が光輝いた。


 掲げられていた漆黒の旗は純白に染まった。

 ゴブリンの外見上粗末な装備は、聖なる騎士が携えるかのような白き鎧と剣となった。

 オークの黒き脂肪は白くなり、金の文様が奔った。

 オーガの鋭い角は白き雷を宿した。

 スケルトンの眼光から光が迸った。

 デーモンの体から飛び出た氷は光の結晶となった。

 ジャイアントの巨躯は光そのものとなった。

 ドラゴンの鱗は聖なる炎で清められた。


 なにより暗黒にして闇そのものの筈の大魔王から、黒き光が溢れ出した。


 今、光り輝く闇によって全てが滅ぼうとしていた。


「この大魔王テネラが人を守る! お前達に、人と希望の光に負けた敗者として!」


 人に仇なす者達が、滅ぼうとしていた。


 ◆


 ‐大魔王が復活したら、改心してるかだって? ふんっ。人間そう簡単に変わるもんかい。ましてや奴は元々神だよ? マシになったとしても、また別の理想を勝手に押し付けてくるだけさ。ま、勇者に脳天カチ割られて、私の予想以上に馬鹿になってたら、ちっとは話が通じるかもしれんがね。とは言っても大魔王から大馬鹿になってるかの確認はしたくないよ。あれから100年以上経って、ようやくお迎えが来そうなのに、今更消し炭にされた腕の礼だなんて言われたくないからね。ヒッヒッヒッ‐伝説の魔女ルル


 ‐大魔王に関する情報はあまりにも少なかったからの。ありとあらゆる想定をしておったが、まさか脳筋だとは思わなんだ。普通は魔法使いだと思うじゃろ? しかも外見は優男だったもんだから、ありゃ詐欺じゃよ詐欺。その上、儂なんて大魔王の小指がかすめただけで、肘から先がなくなったし。まあ代わりに奴の右目を貰ったんじゃがの‐伝説の剣聖サブロ



 後書き

 そろそろ原点回帰で勇者を称えてもよくないかと思い始める。でも安直に勇者を活躍させるのも面白くない。じゃあ、設定が積み重なったらよくある、初期に出てきて主人公や強キャラを苦戦させたあいつはなんだったんだシステムを搭載して、大魔王が活躍すればするほどソレを倒した勇者とは……になるようにしよう。←今ここ。


 別案でお爺ちゃん勇者とお婆ちゃん聖女の夫婦が、かつての仲間たちと勇者パーティーを再結成。よぼよぼ勇者パーティー(やっぱり最強)案もあったりなかったり。

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