2.舞踏会に行きますわ


「真奈美様、殿方にエスコートを頼まなくて本当によろしいのですか? 今からでも、あそこで手を振っている兄を連れて参りましょうか」


 今日は舞踏会の当日だ。ローセン家にて真奈美様のドレスアップを行い、まさに出掛けようといった場面である。

 真奈美様は慣れないドレスに四苦八苦していたけれど、着付けが完了した姿を鏡で見たら、とても嬉しそうにくるくると回って見ていた。喜んでもらえたようで私も嬉しい。


「大丈夫だって。アルバートが二人まとめてエスコートしてくれるんでしょ」

「もちろんだ。クリスティーナに他の男を近寄らせたくないからな」

「ウケる。マジでアルバートってぶれないよね!」


 ケラケラと真奈美様は笑っている。だけど、笑い事ではないのでは……と私は内心思っていた。


 舞踏会の話をしたとき、アルバートはいつもの可愛い弟ではなかった。下手に触れると、こちらが火傷してしまいそうな気がした。そんなアルバートに『俺だけのものでいて』なんて言われてしまい……、思い返すだけでそわそわと落ち着かなくなってしまう。


「クリスティーナ、どうしたんだ? 何か顔が赤いけど、暑いのか?」


 アルバートにのぞき込まれ、思わず一歩引いてしまった。


「へ、へいき、ですわ。その、久しぶりに華やかな場へ行くので、少々緊張しているのです」

「ふーん、そっか。大丈夫だよ、クリスティーナは誰よりも綺麗だから」


 にっこりと微笑まれ、これはいつもの彼氏面したアルバートだわと、何故だかほっとする。

 そして、アルバートに手を引かれつつ、馬車に乗りこむのだった。





『ね、アルバートと何かあった?』


 私と真奈美様が先に馬車に乗り込み、兄に呼び止められたアルバートを待っていると、真奈美様が小声で話しかけてきた。


『……どうしてそう思うのですか?』

『んー、勘? でも間違ってないでしょ』

『…………』

『あ、答えないってことは当たりなんだ。なになに、迫られちゃった? あいつって彼氏面はするけど、意外とヘタレだからオスっぽく迫ったりするの見たことないんだよね』

『……へたれとは?』

『あー、ええと、何て言うか、意気地なし?って感じの意味』


 アルバートが意気地無しだと思ったことはないが、確かに迫られた(?)のはあれが初めてかもしれない。いつも距離は近いが、子犬がじゃれつくような感じだったし。


『その、実は……………………髪に口づけを、されました』

「は? 髪? たったそれだけでその反応なの? 初心すぎない? え、可愛いんだけど!」

『しー、真奈美様、声が大きいですわ』


 興奮した真奈美様をなだめる。


『へぇ、あいつも何か思うところがあったのかな』

『さ、さぁ。あのときは急に様子が変わったので、正直なところ戸惑っております』


 そうだ、戸惑っているし、ますますアルバートの将来が心配になった。今までの彼氏面だけでも心配だったのに、まるで、ロマンス小説の中に出てくるような様子で私に接してくるのだから。私にかまけてばかりいては、アルバートのためにならない。


 だからこそ、今日はアルバートが素敵な令嬢とたくさんお話出来るように、私が気配りをせねばと気合いを入れるのだった。




***



 三人で大広間に足を踏み入れると、一斉に注目を浴びた。予想以上の圧に、思わず息をのんだ。好奇心に満ちたものが多いが、中には眉をひそめている人もいる。

 でも、目立つのは分かっていたことだと割り切り、背筋を伸ばして中央へと進んだ。


 まずは舞踏会を開いたモントーレ伯爵に挨拶を済ませ、あとはダンスをするも良し、料理を摘まむも良し、知人とおしゃべるするも良しだ。まぁおしゃべりするような仲の良い知人はいないのだけれど。

 さて、どうしようかと考えていると、こちらをちらちらと見ている男性が数名いることに気がついた。きっと真奈美様にダンスを申し込みたいに違いない。


「真奈美様をお誘いしたそうにしている殿方がたくさんいらっしゃいますよ。さすが真奈美様ですわ」


 私がそういうと、真奈美様とアルバートから信じられないという目で見られた。


「えっ……二人とも何故そのような表情をなさるのですか」

「いやだってさ、あいつらって、どう考えても……ねぇ、アルバート?」


 真奈美様が困惑したように、アルバートに話を振る。


「いや、聖女よ、余計なことは言わなくていい。あいつらはあんたを見てる、そういうことにしよう。ということで聖女、誰かと踊って来いよ。俺はクリスティーナとファーストダンスをするって決めてるから」

「あたしダンス出来ないからパス! 料理美味しそうだから食べて待ってる」


 真奈美様はそう言うと、料理が並べられた円卓へと歩き出してしまう。相変わらず自由だ。

 このままではアルバートとダンスを踊ることになってしまう。今日の目的は、アルバートに他の令嬢と仲良くなってもらうことなのに。私とダンスをしていては本末転倒ではないか。


 私は慌てて、アルバートから離れて真奈美様に駆け寄る。


「真奈美様、私がアルバートとダンスをしている場合ではありませんわ」

「んー、でもさ、クリスティーナと踊らない限り、他の女子とは絶対にあいつ踊らなさそうだよ?『一曲踊ったんだから、他の女子とも踊ってきなさい』って送り出せばいいんだって」


 さすが真奈美様だ。説得力がある。確かにアルバートのことだから、踊るまでずっと私の横に張り付いていそうだ。


「な、なるほど。分かりましたわ」

「うん。じゃ踊っておいで。あたしは異世界の美食を堪能してるから」


 真奈美様に笑顔で押し返され、私はアルバートのもとへと向かう。


 私が戻ってくることに安心したのか、アルバートが小さく微笑んだ。その控えめな笑みが、余裕のある大人の殿方のように見えて…………とっさに目をそらしてしまった。

 しかし、数歩でアルバートの前に到着してしまう。恐る恐る視線をあげると、困ったような、怯えているような、いつもの子犬のようなアルバートがいてほっとした。


「クリスティーナ、一曲お相手願えますか?」


 差し出された手に、私はそっと手を重ねる。すると、アルバートの表情から怯えが消え去り、喜色が満ちていった。


「えぇ、喜んで」



 まるで私達の様子を伺っていたかのように、ワルツが流れ始めた。三拍子のリズムに揺られながら、アルバートのリードに身を任せる。昔、アルバートとダンスの練習を始めたときは、まだ若干アルバートの方が背が低く、そのせいで踊りにくかった。それなのに、今はとてもしっくりとくる。


 アルバートは当然のような顔をして、隣に立ち、私の腰に手を回してきたりする。その行動も、今までは可愛い弟がじゃれてきているとしか思っていなかったのに。

 こうしてダンスのために手をつなぎ、背中にを手で支えられている状況。なんだか妙に意識してしまい、気恥ずかしくなってくる。


「クリスティーナ、緊張してるの?」


 アルバートの問いかけに、私は顔を上げる。でも、どう答えたものかと迷っていると、聞こえていなかったのだと勘違いしたアルバートが、私の耳元に顔を寄せてきた。


『緊張してる?』


 吐息混じりのアルバートの声が、直接耳に吹き込まれ、思わず肩が跳ねた。


「く、くすぐったいわ」

「だって、聞こえてないと思ったから」

「こんな至近距離なのよ。ちゃんと聞こえているわ」

「そっか。なんか今日のクリスティーナは、いつも以上に可愛いね」


 アルバートがにっこりと笑う。


「……ぇぇ?」


 私の口からは擬音しか出なかった。

 至近距離の微笑みに、なんだか落ち着かない。


 アルバートはいったい、どうしてしまったのだ。私を翻弄するかのように、時折違うアルバートを見せつけてくる。


 踊り続けながら、私は必死で考えた。アルバートのことを、無意識に見つめ続けながら。

 だから、周囲から『見つめ合って恋人同士のようだ』などと思われているなど、全く気付きもしなかったのだ。




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