3.お迎え(?)がやってきました



 カーテンの隙間から朝日が溢れてくる。もう朝だ。私は起き上がり伸びをする。すると、控えめな音でノックされた。


『クリスティーナ様、お目覚めでしょうか』


 ステフの声だった。


「えぇ、起きているわ」

『入室してよろしいでしょうか』

「構わないけれど……」


 何かあったのだろうか。ステフの口調がどことなく緊張している。


『あ、お待ち下さ――』


 ステフ以外にも誰かいるようだ。何やらドアの前で音がする。


「クリスティーナ! 迎えに来たよ」


 バンっと勢いよくドアが開いたかと思うと、金髪碧眼の美丈夫が入ってきた。


「え、アルバート?」


 満面の笑みを浮かべて、両手を広げているのは私の二歳年下の義弟だった。遠縁らしいので、ほんのちょっとは血も繋がっているかもしれないけれど。


 彼は私が8歳のときに、父に連れられてやってきた。私は兄がいるだけだったので、下の弟という存在が可愛くて仕方なく、当時はかなり構いまくってしまったように思う。鬱陶しかっただろうと思うのだが、幼いアルバートは嫌がることなく、私を慕ってくれた。健気で優しい子なのだ。


 そんなアルバートもここ数年で背も一気に伸び、体つきもたくましくなったせいか、令嬢達から大人気で良く声を掛けられている。私は姉として鼻が高いのだが、彼は『興味ありません』などと言って婚約者もおらず、将来が少々心配である。



「さぁ、帰ろう」


 アルバートは馬で駆けてきたのか、軽装の旅支度の姿だった。私の地味なブラウンの髪とは違い、見事なブロンドが少し乱れている。まさに駆け込んできたといった様子に驚いてしまう。


「お、お待ちくださいまし。勝手に淑女の部屋に入られるのは無礼でございますよ」


 ステフが我に返ったのか、慌ててアルバートを止めに入る。

 確かに私はまだ寝起きの格好だ。顔すら洗っていない。まぁ、義弟に見られても今さら恥ずかしいとは思わないけれど。


「ステフ、大丈夫よ。彼は弟なの」


「お身内……それは失礼いたしました」


「あなたは悪くないわ。アルバートが勝手に入ってきたのだし」


 私がステフの肩を持つようなことを言うと、アルバートがあからさまに不貞腐れた。


「クリスティーナが隣国で一人寂しさに嘆き悲しんでるかと思ったら、居ても立っても居られなくて。さぁ帰ろう」


 アルバートはベッドの横までくると、ベッドに腰掛けている私をしげしげと頭のてっぺんから足の先まで見てくる。特に首元あたりは念入りだった。そして安堵したように一つ頷くと、私の手を取って……、自分の首の後ろまで引っ張ってくる。


「ほら早く手を回して、俺に捕まって」


 アルバートの指示に首を傾げる。

 意味がわからない。どうしてアルバートの首に手を回さないといけないのだろう?


「あぁ、もういいや。ほら、行くよ」


 アルバートはそう言うや否や、私の背中と膝裏に両手を伸ばして、一気に抱き上げたのだ。そう、いわゆるお姫様抱っこである。


「ま、待って、アルバート。まさかこのまま移動する気ではないでしょうね」


「移動するよ、もちろん。早く帰ろう」


 待て待て待て。アルバートの暴走は今に始まったことではないが、流石にこれは酷い。寝衣姿のまま抱えられて城内をパレードなど恥ずかしさの極みではないか。


「落ち着きなさい、アルバート」


 ぺちっと、アルバートの両頬を手で挟む。

 アルバートの目が驚きに開いた。海のような綺麗な碧色が不安で揺れている。


「クリスティーナ……君にこの国は似合わない。だから一刻も早くここを出よう」


「来てくれてありがとう。でもまずは身なりを整えさせて欲しいの。それからお話しましょう」


「……分かった」


 アルバートは渋々ではあったが、私を下ろしてくれた。だが、部屋から出ようとしない。

 弟とはいえ、さすがに目の前で着替えは抵抗がある。


「ステフ。アルバートに朝食を用意してあげて。私も身支度がすんだら行くわ」


「かしこまりました。ご用意いたしますので、アルバート様はこちらへ」


 ステフが心得たとばかりに、アルバートを部屋の外へと連れ去ってくれた。これでやっと着替えが出来る。

 いくら帰るつもりとはいえ、寝衣のままなどせっかち過ぎだろう。まったく、アルバートは賢いくせに、どこか抜けているのだ。


「それにしても、迎えに来るの早過ぎないかしら」


 伝言が予想より早く着いたとしても、夜中だろう。そこからすぐ準備して来てくれたのだろうか。


「相変わらず、反応が過剰よねぇ」


 そう、アルバートは私に対する態度が変なのだ。成長するにつれて大袈裟になったというか、何というか。時々反応に困ってしまうことがあるくらいだ。



 あれはそう、私が聖女候補として初めて儀式に参加したときのこと。緊張していたが、極力表に出さないように振る舞ったつもりだった。そのおかげか現聖女も国王も、両親からでさえも『堂々としていた』と言ってもらえた。

 だが、アルバートだけは違った。


「今日のクリスティーナは緊張のあまり少しぎこちなかったけれど、それを見せまいと振る舞うところがさすがだ。え、なんで分かるかって? それは俺がクリスティーナを一番近くで見ているからね。俺はクリスティーナのことならなんでも知ってるさ。は? 好みのタイプ? クリスティーナは天使だからそんな世俗的なことは言わない」


 などと、隣にたまたま座っていた貴族にぺらぺらとしゃべっていたのが聞こえてきたのだ。

 アルバートよ、私は天使ではありませんよと言いたかったが、国王たちに挨拶に行かなくてはならなかったので、たしなめるのを諦めたのを覚えている。



「まぁ、いずれ姉離れするでしょうし。今のうちだけよね」


 私は楽観的にそう考えていた。まぁ、そう思うようになって十年くらい経っているけれど。一向に改善されないが気にしたら負けだと思っている。




***


 着替えてからアルバートと一緒に朝食をとった。


「クリスティーナがマルシェヴァ帝国に出立してから、もうつらくて食事も喉を通らなかったんだ。こんなに恋しいのに会えないだなんて信じられなくて、もう頭が変になりそうだった。でも、こうしてクリスティーナと一緒に食べる食事がどれだけ美味しいものなのか実感できたから、それはそれで良い経験になったかもしれないね」


 片側十人は座れる長いテーブルなのに、あえて私の横に座り、椅子をひっつけてくるアルバート。肩が触れる距離にステフは引きつった表情を浮かべている。


 そうだろう。初見でこの距離感は驚くに違いない。慣れって怖い。私はステフの表情を見るまで、これが異常なことだったことを忘れていた。


 ちなみに、アルバートは大げさすぎる。まるで一週間くらい食欲がなかったような悲壮感をかもしているが、私が母国を出立したのは昨日の早朝だ。午前中に移動してマルシェヴァ帝国に着き、準備をして夜の婚約パーティーに参加していたのだ。

 まぁつまり何が言いたいかというと、アルバートはたった一日食事を抜いただけである。


「アルバート。体に障るから、食事はちゃんと取るようにしてね」


「クリスティーナ! あぁ、もちろん。俺だけの体じゃないからってことだね」


 アルバートが満面の笑みを浮かべた。なんだか違う方向に理解しているような気もしないでもないが、アルバートが倒れたら心配するのは確かなので、曖昧に頷いておいた。


「ステフ、カイル殿下に帰国の挨拶がしたいのだけれど」


「帰国……本当に帰ってしまわれるんですね」


「当たり前だ。クリスティーナはイシュリア王国の太陽が似合う」


 アルバートが威嚇するかのようにステフに言い放つ。

 どこの国にいようが太陽は同じだ、と思いつつも、いちいち訂正していたら話がすすまない。無視して私はステフに顔を向ける。


「迎えが予想外に早かったものだから。本当はあと数日、この国にいるつもりだったのよ」


「え、俺の迎えを待っていたのか?」


 アルバートが何故か驚いたように目を丸くしたのち、ふいっと顔を逸らした。照れているかのように頬が赤くなったのは何故だろうか。


「アルバートのというか……まぁ、そうですね、迎えを待っていましたよ。ただ、二日くらいは後だと思っていたので、少々驚いてはいますが」


「そうか、うん、そうか。じゃあさっさと挨拶とやらをすませて帰ろう」


 アルバートが上機嫌に立ち上がる。待ちきれないとばかりに手を差し出してくるので、私は首を傾げながらもそっと手を載せるのだった。



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