第二章
1.異世界から来た聖女様です
「おかえり、クリスティーナ。聞いたよ、婚約破棄されたんだって? ウケる」
目の前で笑っているのは、異世界からやってきた聖女様だ。年齢は私と同じで19歳、背丈や体格も私とさほど違いはないけれど、根元が黒くて途中からプラチナブロンドという風変わりな髪をしている。初っ端に、滅多に見ない髪だと褒めたら「嫌味か」と怒られたけれど。なぜ嫌味になるのか分からなかったが、どうやら触れてはいけなかったらしいので、聖女様の髪に関しては言及しないことにしてる。
でも……根元の黒い部分が前よりも長くなっているのが気になる。
「はい。隣国で暮らすという一大決心をして行ったのですが、結局は一晩過ごしただけで帰国となりました」
「それもう、ただの一泊二日のプチ旅行じゃん」
聖女様は貴族の令嬢が着るようなワンピースは動きづらいからと、ブラウスにスカートといった庶民的な格好をしている。しかもスカートは膝よりも上の丈だ。私ではとてもじゃないけれど、恥ずかしくて着られない。でも、聖女様は恥ずかしがる様子もなく、「ギャルは脚だしてなんぼだから!」と言っていた。異世界の『ぎゃる』という人種にとっては普通の格好らしい。
女性も脚を隠さずに颯爽と歩く、そんな自由な世界なのだろうか。ちょっと興味がある。
「ぷち?とやらはよく分かりませんが、確かにただの旅行になってしまいましたね。でも、お相手になるはずだったカイル殿下にはすでに恋人がいらっしゃったので、婚約破棄されて良かったと思っております」
「うっそ! 信じられない。二股じゃん。あたし、そういう不誠実なの絶対許せない派!」
バンっと聖女様はテーブルを叩いて、興奮をあらわにした。
そう、婚約破棄から十日ほど経った今日、私と聖女様は教会内の一室でお茶をしているのだ。
私が聖女候補だったこともあり、聖女様とは親しくさせて貰っている。異世界からきたこの聖女様は、同じ年頃の令嬢たちとは感覚が違うので、話をしていても新鮮で楽しいのだ。
「聖女様、そう興奮なさらずに」
「あ、また『聖女様』って呼んだ。あたしのことは真奈美って呼んでっていったじゃん」
「ですが……それは失礼になりますし」
「ならないって、あたしが良いって言ってんだから。それに、誰か呼んでくれないと、自分の名前を忘れちゃいそうで怖いの」
聖女様がふいに視線をそらして寂しげな表情を浮かべた。
そうだった。前聖女様が引き継ぎを終えて引退してしまったから、聖女様と呼べば彼女のこと。皆が彼女のことを聖女様と呼び、名前を呼ばれる機会などほぼないだろう。
それに、いつも元気で堂々としているから忘れてしまいがちだけれど、聖女様は一人きりでこの世界にやってきたのだ。寂しいに決まっている。
「ま、真奈美様! わたくしでよければ、全力で名前をお呼びいたしますわ」
「くくっ、そんな全力でなくたっていいよ。でもありがとね」
私と聖女様、いや真奈美様のあいだに、どこかほわほわとした空気が流れる。それもまた心地よいと思っていると、その空気をかき消すように乱入者がやってきた。
「クリスティーナ! よかった、ここにいたのか」
問答無用で開いた扉の向こうには、義弟であるアルバートが立っていた。探し回ったのか、息が切れている。
「出たよ、彼氏面の弟」
真奈美様がぼそりとつぶやく。私はそれに苦笑いするしかない。
「どうしたの、アルバート」
「俺が父上達と話している間にクリスティーナが出掛けたと知って、どれだけ驚いたことか。待っていても全然戻って来ないから心配になって探しに来たんだ」
全然戻って来ないと言うが、まだ真奈美様とお茶し始めてあまり経っていないけれど。お茶も一杯目でほんのりと温かみすら残っているくらいだ。
「アルバートさ、あんまり束縛激しいと嫌われるよー?」
真奈美様がお茶をすするように飲んだ。あまりお行儀がよくないので、あとでこっそり伝えよう。私以外の人とお茶をするときは気をつけた方が良いと。
「な、何を言うんだ。クリスティーナが俺を嫌うはずがない……ないよね?」
少し不安になったのか、アルバートが伺うようにのぞき込んできた。子犬のような瞳が可愛くて、思わず笑ってしまう。
「嫌うはずないでしょう。あなたはわたくしの大事な弟なんですもの」
「ぐっ……おとうと…………」
私が笑みを添えて伝えると、アルバートは何故か胸を押さえてうずくまってしまった。
「あはっ、ウケる」
そして、真奈美様は何故か笑っているし。
「それよりもアルバート、わたくしは真奈美様と二人でお茶会をしているの。殿方がいるのは無粋というものよ」
「そーそー。女子会やってんだから出てった出てった」
真奈美様が追い払うように手を振る。『女子会』とやらは初耳だが、文脈的にはお茶会と大差ないのだろう。
「だ、だけど、せっかく婚約もなくなったことだし、俺としては――――」
アルバートが何やらもごもごと言っているが、立ち上がった真奈美様に扉の向こうへ追いやられていく。
「はい、バイバイ。っていっても、どうせ張り付いて待ってるんだろうけど」
問答無用で扉は閉められ、アルバートの悲壮な声が小さくなる。
テーブルに戻ってきた真奈美様は、呆れたように扉をチラ見したあと、私の方を向いた。
「アレ、悪化してない?」
アルバートに聞こえないようにか、少し声を抑えて真奈美様が言ってきた。
「えぇ、婚約破棄して帰国してからというもの、今まで以上に過保護になってきているんです」
私も同じように、少し声を抑える。
アルバートと一緒に屋敷に帰ると、武装した騎士達と父と兄がいた。あと少し帰るのが遅れたら、隣国へ攻め込んでいたかもしれない。「妃に欲しいというから、泣く泣く承諾したというのに、向こうが婚約破棄してくるとは何事だ!」と鼻息荒く怒っていた父をなだめるのに苦労したものだ。
諸悪の原因であるカイル殿下は廃嫡されたこと、病床の隣国王はちゃんと謝ってくれたことを説明し、やっと落ち着いてくれた。
それなのに、逆に落ち着かなくなったのはアルバートだったのだ。今までも一緒に過ごせるときはくっついてきたが、婚約破棄後は自分の予定をやりくりして少しでも一緒にいようとしてくる。
「アルバートのアレを過保護という一言で表現できるクリスティーナも問題だって。もう少し危機感持ったら?」
「危機感、ですか?」
弟相手に何の危機を感じれば良いのだろうか?
「そうよ、ヤバいから、アレ」
「やばい……とは、ええとどのような意味でしょう?」
「あー、ヤバいが通じない! え、どう言えば良いの、『ヤバい』は『ヤバい』なんだって」
上手く説明できないのがもどかしいのか、ガリガリと頭を掻く真奈美様。頭が見事にぼさぼさになっていく。
「でも確かに、姉離れ出来ていないことには危機感を持っております」
「……クリスティーナ、アレがシスコンの一種だと?」
「し、しすこん?」
今日も真奈美様からは分からない言葉がどんどん出てくる。
「まぁいいわ。変にクリスティーナが意識するのも火に油を注ぐかもしれないし。じゃあこうしよう。あたしがアルバートが姉離れ出来るように手伝ってあげる」
真奈美様は少し考えるような仕草をした後、顔を上げて提案してきた。
「それは嬉しいですわ。わたくしがいくら言い聞かせても、効果が無くて困っておりましたから」
「でしょ? んでさ、変わりと言っちゃ何だけど、あたしを手伝ってくれない?」
「真奈美様の手伝い……もちろんですが、いったい何を手伝えばよろしいのでしょうか」
「聖女の仕事だよ。だってさ、おかしくない? ここは労働基準法ってないの? 魔物が入ってこないように結界を守るのが仕事ですって、意味は分かるけど年中無休ってブラック過ぎるでしょ。あたしは週休二日の世界で生きてきたの。それ以上働きたくないの」
真奈美様の圧に押されるように、思わず頭を後ろに引いてしまう。
「は、はい」
「だから、あたしが休みの時に聖女やってよ!」
えっ、私、限定的に聖女復帰ということでしょうか??
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